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第50回「小説でもどうぞ」佳作 どっちにしても 和久井義夫

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小説
小説でもどうぞ
第50回結果発表
課 題

まちがい

※応募数309編
どっちにしても 
和久井義夫

 スマートフォンのアラームが鳴り、手探りで止めた。小林翼は液晶を見なくても止められる。慣れたものだ。今朝は休みの日の朝のようにすっきり目が覚めた。カーテン越しの光はいつもより明るく感じられる。ふとサイドテーブルのアナログ時計を見ると、短い針が〈7〉を指していた。
「えっ!」 
 あわててスマートフォンも見ると、こちらは7:01。しまった! いつも通り六時に起きるつもりだったのに! アラームの時刻設定をオンにしたところがずれていた⁉ あわててベッドを降り、洗面所にいくドアの角で足の小指をぶつけた。痛くて飛び跳ねる。学生時代、水泳の合宿中にもよくぶつけて「足の先まで意識がいかないんだ」と笑っていたが、今は痛みより情けなさで涙がでてきた。へたり込んでいる間にも時間は過ぎていく。
 今朝の企画課会議で次の販売施策を提案することになっていた。うまくいけば翼がリーダーになり、プロジェクトが始まる。大筋は課長の了解をもらっていた。あとは部長が何と言うか。昨夜はずっと寝つけなかった。
 痛む足指を触らないようにしながら身支度をする。コンタクトレンズは面倒で、もう度のあっていない分厚い黒縁メガネとマスク。逆三角形の身体に黒のスーツを着て、アパートの狭い玄関に脱ぎ散らかした靴のなかからあっちとこっちの黒靴を履く。起きてからここまで十五分。いつもの三分の一だ。寝ぐせを直すために水で濡らした髪に手をあてて駅まで走った。
 休日のジョギングのおかげで走りきり、息を整えようと膝に手をあて、足もとを見て気づいた。靴の片方は先が丸く、もう一方は尖っている。ホームに上がるエスカレーターでは後ろに立つ人に見られるのが嫌で、エレベーターを待って乗る。ゆっくり上昇するのにいらいらしながら扉が開くと同時に飛び出し、止まっていた電車に飛び乗った。車内がやけに空いていて、普通電車だったのに気がついたときにはドアが閉まっていた。反対側のホームに入ってきた急行が恨めしい。二つ目の駅で急行に乗り換え、降りてからまた走って会社に駆け込んだ。IDカードをタイムレコーダーの端末にタッチできたのは始業十分過ぎ。久しぶりに遅刻しだ。電車が遅れていれば言い訳できるが、今日は正常運転だった。会議開始まであと五分。うなだれている暇もなく、手にしていた上着を椅子の背にかけたところで、加藤先輩が会議室からでてきた。
「翼、どうした。目が死んでるぞ。寝坊か?」垂れた目が笑っている。メガネ越しでも目元を見られるとつらい。
「もうみんな待っているから急いだほうがいいぞ」
「はい、すぐいきます」
「ああ、部長は美咲ちゃんが話をしていて笑っているからいいけど、課長はいらいらしてる。早くしろよ」
 同期の美咲はやっぱり気が利く。洗面所で髪だけでもチェックしたかったがあきらめ、ノートパソコンを抱えて会議室に入った。
 プレゼンは初めから躓いた。クラウドに保存したデータが見当たらない。いつものフォルダに他のファイルと一緒にあったのは二日前のデータで、昨日手を入れたものがない。ちゃんと保存したはずなのに。まさか消してしまった? クラウドのトラブル? みんながざわざわしはじめた。
「おい翼、そのフォルダじゃなくて。隣にあるフォルダじゃないのか」
 加藤先輩から声がかかった。そうだ、新しいフォルダを作ったんだった。
「ありました! ありがとうございます!」
 さっきまで笑っていた部長が厳しい顔をしている。そちらを見ないようにして説明を始めた。マスク越しなので大きめの声ですすめる。最後に部長から細かい質問といろいろなことを指摘され、やり直しすることになった。もっともなことばかりだったのが悔しい。
 会議のあと席に戻ってメールのチェックをすると、経理から支出伝票について連絡がきていた。この前自分のクレジットカードで支払った分で、記入漏れがあるので再提出だそうだ。今日にでも口座に振り込まれるはずだった。まだ給料日には数日あり、あてにしていたのに。
 ため息をついて化粧ポーチを持ち、洗面所へ向かう。美咲が追いかけてきた。
「今日はどうしたの、翼らしくない。ほら靴だって」と言って翼の足元を指さす。
「うん、寝坊した。慌てて出てきたから、スーツも上下色違いだったよ」
 パンツは紺、黒だった上着は脱いで手にかけてきた。
 洗面所で泡立てたソープで顔を洗い、唇にリップを塗る。アイメイクも整えた。コンタクトレンズをすると気合が入った。とりあえず会社を少し抜けて靴を買いに行こう。余計な出費だがしかたない。
 目覚まし、スーツ、靴、電車、フォルダ、経費。そして販売施策も考え直さないと。
 最近、気合を入れるためにパンツスーツにした日はミスが多い。今度からロングスカートとジャケットにしてみようか。でも私の体形には似合わないと思う。どっちにしても、ま、ちがいはないか。
(了)