第50回「小説でもどうぞ」佳作 物忘れの対価 深谷未知


第50回結果発表
課 題
まちがい
※応募数309編
深谷未知
家に帰ってきて、靴を脱いでスリッパに足を滑り込ませる。ここまでの動作は、照明をつけなくても目を瞑っていても出来る。そして、照明のスイッチに手をかけて、何か引っかかるものを感じた。そうだ、電球がきれかけていたことを思い出す。
スイッチを入れると、チカチカと点滅を繰り返している。日常には、こうしたミスがつきものだ。シャンプーの詰め替えをしなければと思いつつ、頭を洗うときになり思い出す。歯磨き粉が残り少ない中、買い忘れて必死で絞り出す。こうしたみみっちいことをしていると、買うのがもったいないのか、ただ忘れているのか分からなくなる。
溜め息をついて、スイッチをきる。真っ暗な廊下を手探りで進み、リビングの照明をつける。真新しい光がリビングを照らし出す。カーテンをしめて、冷蔵庫の中を確認する。胡瓜と豆腐とキムチのパックを取り出して、キッチンに持っていく。豆腐の水をきって、皿にのせて胡瓜を細く刻んで、キムチをざく切りにして、豆腐の上にきゅうりとキムチをあえたものを乗せて、だし醤油とごま油をかけて、白ごまを軽く振る。ダイニングテーブルに乗せて、買ってきたお惣菜のパックを並べる。夜遅いので、ご飯は食べない。お酒も飲まない。もくもくとテーブルに乗ったものを食べながら、スマートフォンを手に取り、ニュースアプリを開いた。同時にテレビのリモコンも手にしてスイッチを入れる。
夜のニュース番組を見ながら、今日一日のことを考える。仕事をする間、上司からニュースをもっとよく見ろと言われた。確かに、ニュースを見ることは大事だが、その上司が日本の政治や経済を語るところを見たことがない。私は、そんなことを言われる前から、社会人として、恥ずかしくない程度の知識は持っているし、毎日チェックしている。その上司に間違いを指摘したら、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしながら、そういう態度は、部下としていかがなものかと延々方向性の間違った説教をくらった。
深いため息をついて、大した知識もない癖に、若い部下はニュースなんて見てないだろうと決めつけていること事態が間違っていると思う。
ふいにスマートフォンが振動していることに気づく。こんな時間に誰だろう。画面を見ると、非通知だった。いつもなら無視するが、しばらくすれば諦めるだろうと思っていたが、しつこく電話の相手は、電話をきろうとしない。
通話ボタンを押して、そっと耳をあてる。電話の向こうの相手の出方を窺う。こちらが黙っているからか、相手も声を出さない。何か言おうか迷っていたら、電話の向こうの相手が小さくあっと呟いて電話がきれた。間違いだと気づいたなら、謝れよと思いながら、ふとその声が、亡くなった友人に似ていたことに気づいた。そういえば、照明が点滅し始めたのも、友人の葬儀に行ってからだ。常々、私の間の抜けた部分をたしなめる子だった。
「ユリはさ、しっかりしてるように見えて、どこか抜けてるよね。婚活とかしないしさ」
友人が亡くなる数日前の夜、仕事終わりに飲みに出かけた帰り道だ。私は、ノンアルコールとソフトドリンクしか飲まなかったが。友人は、丸い月を見上げて、こういう夜をしっかり覚えておかなきゃねと、笑っていた。
私のことを常に心配してくれる子だった。街灯と月明かりの中、友人の体は今にも透けて消えそうだった。正直、ゾッとするほど綺麗な子で、いつかふっと消えそうだなと不安に思っていたら、居眠り運転のトラックにはねられて亡くなった。
財布を掴んで、リビングを出る。ふと、玄関に誰かいるような気がした。友人の幽霊だろうか。何か伝えたいのだろうか。本当はもっと生きたかったのに、無念で成仏できないのか、私に伝えたいことがあるのか、それは分からない。怖いというより、いたいのならずっといればいいと思った。納得いくまでいていいよ、あなたは、絶対間違ったことしないし、気が済んだら私もいつかそっち行くからさと思った瞬間、気配が消えた。
なぜ私はまた出かけようとしているんだろう。何を買いに行くかも考えず、財布だけ持って外に出る。アパートの廊下は、静まり返り、夜の闇に沈み込んでいる。階段を下りて、道路に出ると私の部屋の窓から明かりが漏れている。カーテンを閉めたはずなのに、開いている。あの子がいるのかなとぼんやり思う。やはり怖くない。むしろ、いたければいればいい。照明が点滅している。チカチカと数回点滅した。何か伝えたいことがあるのかな。トラック運転手は、会社のブラックさのせいにして、謝罪していなかった。両親も無念だろう。安らかに逝けるわけがない。何度も何度も私はあれから考えている。彼女の死が何かの間違いであってほしい。パラレルワールドが存在していて、彼女が生きている世界が存在していて欲しいとあの日からずっと願っている。自分の部屋を見上げていると、何回か点滅してふっと消えた。
(了)