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第50回「小説でもどうぞ」選外佳作 間違った選択 イノハタカ

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小説
小説でもどうぞ
第50回結果発表
課 題

まちがい

※応募数309編
選外佳作 

間違った選択 
イノハタカ

 地面についた掌に、アスファルトの冷たさが突き刺さる。肺の底から絞り出すように、俺は叫んだ。けばけばしいネオンが明滅するパチンコ店の前。無精ひげにボサボサの髪、佐藤兼、二十八歳。財布の中には十円玉が数枚転がっているだけだ。
 また負けた。明日のパンを買う金すらない。どうして勝っているときにやめなかったんだ。あと一回、あと千円だけ。悪魔の囁きに、俺はいつだって耳を貸してしまう。人生の岐路で、常に間違った選択肢を選び続けてきた。
 学生時代は、常に間違った選択の連続だった。小学校では正義感を振りかざしていじめに遭い、中学では孤高を気取って自ら孤独を選んだ。高校でようやくできた友達は人生初の光だったが、それすら授業をサボり、ゲームセンターで時間を潰すことで浪費した。親に高い学費を払わせた三流大学では、講義にも出ずパチンコとバイトで空虚な時間を埋めた。就職活動もせず、社会から弾き出されるように卒業し、当然のように引きこもった俺に、ついに父親の堪忍袋の緒が切れた。「出ていけ」と玄関から突き飛ばされた日の、背中に突き刺さる冷たい視線を忘れられない。
 日払いのバイトで稼いだ金は、すぐにパチンコ台に消える。家賃は三ヶ月滞納し、大家の老婆の顔は日に日に険しくなる。俺はずっと間違った選択を重ね、がんじがらめになった末路が、この無様な姿なのだろう。
 力なく立ち上がり、ネオンの届かない路地裏へ足を踏み入れる。湿ったコンクリートとゴミの腐臭が鼻をついた。もし、人生をやり直せるなら。今度こそ正しい選択ができるだろうか。そんな叶わぬ願いを思った、そのときだった。
「兼だよな?」
 背後からの落ち着いた声に振り返ると、上質なジャケットに磨かれた革靴を履いた男が立っていた。この薄汚い路地裏には不釣り合いな、俺と同じくらいの歳の男。
「誰だ…?」
 訝しげに顔を見るが、記憶の霧が邪魔をする。
「伊藤だよ。高校のとき、つるんでただろ」
 伊藤。その名に雷が落ちた。馬鹿な。あの伊藤が? 俺と一緒に教室の隅でくだらない話に咲き、未来から目を背けていた、将来のことなど何一つ考えずに生きていた、あの伊藤が、こんなにも立派な身なりをしているわけがない。第一に、お前は俺と同じだったじゃないか。ずっと間違った選択をし続けていた仲間だったはずだ。お前も小学生のときにいじめられ、中学のときはひとりぼっちで、高校では俺と一緒に未来から目を背けていたじゃないか。
「本当に、伊藤なのか……?」
「ああ。お前のほうこそ、あんな盛大に叫んでたから別人かと思ったよ。まあ、おかげで気づけたんけどな」
 軽口を叩く口調は、確かに昔の伊藤のものだ。嘘だ。お前は俺と同じ、惨めな生活をしているはずだ。俺だけが、こんなどん底にいるはずがない。頭に血が昇り、気づけば伊藤の胸ぐらを掴んでいた。
「お前はっ……どうして成功してるんだ! 俺と一緒に、間違った選択をし続けていた男だろうが!」
 怒声が路地裏に響く。伊藤は一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻し、静かに俺の目を見つめて言った。
「俺は、間違った選択をしたとは思っていない」
「なんだと……?」
「小学生のとき、いじめられたのも、中学で孤独だったのも、高校でお前とつるんで勉強しなかったのも、後悔していない。俺は、その選択を、全部『正解』に変えたんだよ」
 意味が分からず、掴んでいた手を思わず離した。
「どういう……ことだ……」
「今が幸せだからだ。兼、間違った選択というのは、後からいくらでも意味を変えられる。過去の事実は変えられないが、過去の意味は変えられる。いじめられたから人の痛みがわかり、孤独だったから他人に依存しない強さを学んだ。勉強しなかったから、必死で学ぶ重要性を誰よりも理解できた。だから大学へは行かず、専門学校で必死にプログラミングを学んで、今は小さな会社を自分でやってる」
 伊藤は一度言葉を切り、まっすぐに俺の目を見た。
「今までの選択があったから、今の俺がある。そして今の俺が幸せなら、過去の間違いは全部、今の俺を作るための『正解』に変わるんだ」
 伊藤の言葉が、脳に直接流れ込んでくるようだった。
 伊藤は俺の肩を軽く叩いた。
「お前が今までを間違いだったと思うのは、今のお前が幸せじゃないからだ。ただそれだけのことだ。間違った選択をしたと後悔しているなら、その選択を糧にして、これから幸せになればいい」
 そう言って、伊藤は俺の横を通り過ぎていった。磨かれた革靴が、カツ、カツとアスファルトを叩く音だけが、やけにクリアに聞こえた。
 そんな簡単なことのはずがない。頭の中は反発心で埋め尽くされていた。でも、なぜだろう。不思議と、さっきまで間違った選択だと思っていた「パチンコで勝っているときにやめずに負けた」という選択が、ほんの少しだけ、正解だったのかもしれないと思えてきた。
 なぜなら、あのとき、あの場所で絶望のあまり叫んでいなければ、伊藤に出会うことはなかったのだから。
(了)