第50回「小説でもどうぞ」選外佳作 305号室 家福勝生


第50回結果発表
課 題
まちがい
※応募数309編
選外佳作
305号室 家福勝生
305号室 家福勝生
部屋にいた男に、後ろから襲われた。そんな経験は初めてだった。
男は手際がよかった。まっくらな部屋のなかでぼくを見つけても、そんなに驚いたようすもなく、冷静に腕を捻り上げられた。
屈強な男だった。ぼくが「痛っ」と叫ぼうとするコンマ数秒前に口が塞がれた。声は外に出ることなく、モゴモゴとした不明瞭な音になった。
そのまま、床にねじふせられた。フローリングにゴツンと鈍い音がした。ここは三階だ、とそのときぼくは考えた。自分から、何度も床に頭を打ちつけた。二階にいる誰かへのアピールのつもりだったが、男は、四回目でそれを阻止した。
右手でぼくの口を塞ぎ、左手で腕をひねったまま、男は台所のほうに移動した。そのまま馬乗りになって、ぼくは食品包装用ラップで巻かれた。
口もラップで密閉された。台所用品に過ぎないこんな薄い膜で、こんなにも人の動きを封じられるとは。ぼくは逆に冷静な気持ちになって、この知識を今後に活かそうと考えていた。
男はぼくを和室へ連れて行った。奇妙なほどにがらんどうな部屋で、隅に段ボールがいつか積まれているだけだった。家というより、倉庫のような雰囲気。
そこに置いてあった、キャンプのときに寝袋の下に敷くような、銀色に輝く表面と水色の裏面を持つ断熱性シートで、男はぼくを包んだ。そして、外側からロープでキツく締め上げた。
身動きが取れない。まるでロールキャベツになったような気分だった。キャベツといっても、正確にはひき肉の部分だが。
ぼくは目を閉じた。開けたままでも、どっちにしろ視界はほとんどゼロだった。
やがて、男の気配が部屋から消えた。しかし物音はほとんどしなかった。あれほどの大男が、無音で移動するなんて。男はただ者ではなさそうだった。
もしかしたらぼくは、このまま二度と外に出ることができないかもしれない。
うかつだった。そもそもこんな事態になってしまったのは、ひとつの凡ミス、ちょっとした思い込みが原因だった。
ぼくは、ある女性に恋をした。ちょうど一ヶ月前のことだ。電車でたまたま見かけた、髪の長くて切れ長の眼をした、長身の女性だった。
三島瞳さん。名前はあとでわかった。大学四年生。これもあとでわかった。ぼくは電車から降りる彼女のあとに着いて行って、このマンションを突き止めた。
外から廊下のほうが見える側に回って、さりげないふりをして上のほうを眺めていると、彼女があらわれた。ドアを開けて入っていったのは、三階の奥から二番目の部屋だった。
マンションの入口はオートロックだった。ぼくは、ほかの住民が入るタイミングを見計らって「こんにちは」とにこやかに声をかけながら、一緒に中に入った。上品なおばあさんで、笑顔で挨拶を返してくれた。
これで結構、他人からの第一印象が良いほうなのだ。ぼくは、世間一般の爽やかな青年像を体現できているという自負がある。実際の中身はともかく、なにかと得だから、そういう人間を演じている。
エレベーターを三階で降りて、彼女の家のところまで行く。305号室。部屋の前には、可愛らしいフリルのついた傘が一本置いてあるのが確認できた。
収穫はあった。ひとまず今日はこれだけで良い。こういうのは引き際が肝心で、いきなり深追いするのはまずい。こつこつと少しずつ、積み重ねが大事なんだ。
一ヶ月間、ぼくは慎重に調査を続けた。
大学、学部、名前はすぐにわかった。部活関係のSNSを辿るようにして彼女自身のアカウントを突き止めた。
放課後の行動パターンを把握したうえで、訪問の日時を設定した。
瞳さんに眠ってもらうための薬もきちんと用意した。彼女の友達のアカウントを乗っ取って、家の鍵を開けてもらうまでは順調だった。
なのに当日、ぼくはやらかした。
原因は、あの傘だ。思い込みとは恐ろしいものだ。ぼくがいよいよ訪問を決行しようとしたその日だけ、フリルの傘が、彼女の一個手前の部屋の前に置かれていたのだ。
理由はわからない。なにかの拍子で廊下に落ちたものを、誰かほかの住民が拾って、勘違いして置いてしまったとか、おそらくそんなところだろう。
ぼくは傘に惑わされ、部屋を間違えてしまった。中は真っ暗だった。そこにいたのは三島瞳さんではなく、名前も素性もわからない、屈強な男だった。
すぐに逃げればよかった。でも、向こうの手際が良すぎた。自分も経験者だからわかる。こいつは手慣れている。
同業者、というのは日本語がおかしいかもしれない。なんて言えばいいんだろう。とにかく、人をしばったり、痛めつけたりする経験が豊富で、かつそれに快感を覚える……というのでは、ぼくと一緒の人間だった。
ああ、「同類」っていえばしっくりくるかも、なんて考えた瞬間だった。鈍い衝撃が背中に走った。痺れと共に意識が遠のく。
部屋さえ間違わなければ、ぼくがやる側だったのに。残念だが、仕方ない。今までにもピンチはあったが、今回ばかりは無理そうだ………………。
(了)