第3回「おい・おい」佳作 母と祖母 みなみん


佳作
母と祖母
みなみん(埼玉県・41歳)
子どもの頃、私は祖母が苦手だった。いかにも九州男児な「家では亭主関白、外では警察官」である祖父を、専業主婦として横で支え、二人の息子を育てあげた祖母。厳しくも、どこか昔の古き良き日本を感じさせる、凛とした空気感のある祖母だった。一方、田舎育ちの少しおっちょこちょいな母。子どもながらに「祖母は母が嫌いなんだろうな」と感じていた。
それが如実に現れる日があった。それは年末年始だ。毎年元旦は、祖父母の家に親族たちが集まり、大人たちは朝から夜までお酒を飲みながら用意された豪華な食事を食べ、同世代の子どもたちはゲームをして過ごすのが恒例であった。食事はそれぞれの家庭が持ち寄っていた。
母は大晦日、私や父が年末のテレビ番組を観ながらゴロゴロしている間、ずっとこの「豪華な食事」を作っていた。黒豆、栗きんとん、がめ煮を作り、それを大きなお重にせっせと詰める。翌日、みんなに食べてもらうために。
しかし、母の用意した食事が食卓に並んだことは一度もない。祖母は「ありがとうねえ、こんなに用意するの大変だったでしょう?」と言いながら、それをリビングから遠く離れた薄暗くひんやりとした仏壇の部屋にポンと置く。置かれた「それ」は、母が夜になって帰宅するまで、一度も開けられることはなかった。
「もう作らなければいいのに」と母に言ったことがある。だが母は「本当よね」と言いながら、毎年作っていた。意地なのだ。「きちんとしている嫁」でいたいのだ。しかし、毎年、母のお重は仏間に置かれ続けた。
時がたち、小さかった子どもたちは大きくなり、家庭を持ち、元旦に集まる人数も減っていった。三年前には祖父が亡くなった。目に見えて、祖母は元気がなくなった。母は、祖母に「体調が悪い気がする」と言われれば車を出して病院へ連れていき、部屋で一人ボーッとしている様子を見ては「ランチに行きましょうよ」と外に連れ出している。「ありがとう、頼りにしている」と涙を流す祖母がいる。
「あんなに意地悪されてきたのに?」と疑問に思う私に、母は微笑みながら言う。「あんなに怖かったお義母さんがね、なんだか最近可愛いのよ。」と。
昔のように大勢の親族が集まることはなくなったお正月。静かになった家で、母は今年も元旦を祖母と過ごす。私も数年ぶりに、年末は祖母に会いに帰る予定だ。
(了)