第53回「小説でもどうぞ」選外佳作 改心 村山健壱


第53回結果発表
課 題
罪
※応募数466編
選外佳作
改心 村山健壱
改心 村山健壱
俺の目の前に、いかつい顔をした大男が突如現れた。その大男は大袈裟な冠を被り、きらびやかな衣装を纏っていた。そして右手には大きな木製の棒を持っていた。
「おい、お前。お前は岩崎直樹。そうだな?」
帳面を覗きながら、その大男は大声で話を続けた。頭が激しく痛かった俺は、その声量だと一層痛みが増すのでは、と警戒した。が、意外にも頭痛は消えていた。
「お前の罪を今から見ていくぞ。その前に、何か心当たりはあるか?」
俺は理解した。この大男は、かの閻魔大王だ。死者を裁く冥界の主。ここで赦されなければ地獄行き。待てよ? ということは俺、死んだのか? 職場の飲み会から家族が寝静まった家に戻り、一人カップ麺を食べていたはずの俺が、急に?
死を受け入れられない俺に、早速罪の心当たりを尋ねるとは。さすがは閻魔大王だ。しかし俺は、モノを粗末にしないことを旨とする善人だ。しばらく待ってくれとも言えず、俺は咄嗟に思いついた些細な罪を告白した。
「蚊やゴキブリをよく殺めていました」
閻魔大王は傍に控える記録員のような者を一瞥して言った。
「それはある程度仕方がない。他にもあるだろう?」
思ったよりも現実的な裁きをしてくれそうだと感じた俺は、次の罪を告白した。
「妻に隠れて、アダルトサイトを鑑賞していました」
記録員が帳面をめくってある箇所を指し、閻魔大王に見せた。どうやらこの罪は記録されていたらしい。
「正直でよい。だがこれは、鑑賞に留まっており問題はない」
閻魔大王は少し頬を緩めたがその直後、鋭い眼光で再び俺を睨んできた。
「岩崎直樹。お前は罪の意識が希薄なようだな」
より大きな声で言われ、俺はたじろいだ。しかし、もしここで大王が望んでいる罪を告白できれば、地獄行きは避けられるのかもしれない。
「分からないようだな。では鏡を見よう」
閻魔大王が傍らにあった布を外すと、鏡が現れた。生前の姿を映し出すという鏡なのだろう。俺が産まれたその日からの画像が、すごい速さで流れていった。
「子どもの頃の一番の罪はこれだ。二番目はこの後出てくる」
一番、と言われたのが小学校五年の時に松下君へのイジメを見て見ぬフリでやり過ごしたことだった。高校生の時に偶然会った時にも謝ることはしなかった。
二番目は中学二年生の時だ。母親のことをクソババア呼ばわりし、無断外泊をした。反抗期を過ぎ、俺は普通の高校生になったがやはり母には謝らなかった。
「この期に及んで、何とも思っていないのか?」
松下君にも、母親にも謝りたい気持ちは当時からあったはずだが、できなかった。閻魔大王が指摘する罪とは行為そのもののみならず、反省し謝罪していないことも含むようだった。人間界の裁判と似たようなところがあるな、と俺は理解した。
「気持ちはあったのです」
俺は恐る恐る言った。すると閻魔大王は、舌を見せろ、と声を荒げた。
「お前の舌は抜き甲斐がありそうだな」
俺は身震いし、うなだれた。言い訳をする度胸はなかった。
「しかし、お前の罪はこんなもんじゃないだろう。続きを見るぞ」
大学時代、就職内定を貰ったにも拘らず周りの友人には、「未だ全然」と嘘をついたこと。妻と結婚する直前まで二股をかけていたこと。次々と俺の罪が映し出されていった。俺は憂鬱になっていた。やっぱり罪だらけだ。地獄行き確定か。地獄を逃れられる奴なんているのかよ?
「岩崎直樹。しかし最大の罪はこれじゃない。ええい、最後のチャンスをやろう。お前がここに来る直前の行動だ」
直前の行動といえば、カップ麺をすすったことだ。鏡の映像もとうとうそのシーンに到達した。鏡の中の俺は「勿体ない」と言いながら、そのスープを飲み干した。その直後、頭を抱えテーブルにうつ伏せてしまった。そういえばスープを飲みながら、高血圧の俺が全部飲んだらダメだよな、と罪悪感を覚えたのだっけ。
「何か思い出したか、岩崎直樹」
閻魔大王が静かな口調で問いかけて来た。
「カップ麺のスープを全部飲むことは罪なのですか? 食べられるものを食べずに、飲めるものを飲まずに廃棄するのも十分罪だと思うのですが」
これは俺の正直な気持ちだった。なのに去来する、飲み干す事への罪悪感。この狭間に俺は悩みながら閻魔大王の前に立ってしまったのだ。
「その問いは立派だ。しかし話はここで終わらない。見ろ」
鏡に初めて俺以外の人物が写った。妻の陽子だった。俺の身体を揺り動かしながら泣き叫んでいた。やがて寝ていたはずの娘が泣き出す声も聞こえて来た。
「お前の最大の罪。もう分かるな」
俺は言葉が出なかった。嘘をついたつもりはないが、もう舌を抜かれたのかもしれない。そう思った。やがて地獄行きの判決を言い渡され、俺は針山の道を歩き出した。足の裏が鋭く痛んだ。
「直樹、こんなところで寝てないで、起きて!」
陽子の叫び声がした。陽子は俺の足底を自分の指で弾いていた。俺は飛び起きて陽子を抱きしめた。
「ちょっと、何よ、酔ってるんでしょ? またカップ麺なんか食べて」
「すまん。もうカップ麺やめる。医者にも行って、血圧の薬も飲む」
(了)