第3回「おい・おい」佳作 誰のためでもない正月 みずの


佳作
誰のためでもない正月
みずの(北海道・40歳)
今年の年始、はじめて帰省を見送った。結婚してからずっと、義実家には一月一日に顔を出すのが恒例行事だった。義母は大型ショッピングセンターで働いており、年末年始もほとんど休みがない。唯一の休館日である元日は、滅多にない家族が揃う日だった。
今年も当然のように帰省の準備をしていた。ところが十二月に入り、義母から一本の連絡が入った。
「そちらも移動も準備も大変でしょう。正月だからって、わざわざ帰省しなくてもいいからね」
……え?
最初は、胸の奥に一瞬にして冷たい風が吹いた。
「いきなりどうしたの? 何か気に障った?」
心の中で反省会が開かれる。だが同時に思い当たることもある。年に一度の貴重な休みに、息子とその嫁と十歳の孫を迎え入れるとなれば、準備も手間も、正月感などどこへやらだろう。労いどころか、体力勝負だ。
あえて「来なくていい」というのは、もしかしたら、老いというより、役割をそっと手放した勇気なのかもしれない。そう思い直し、今年は帰省を見送った。家族三人で迎えた大晦日は、久しぶりにただだらだらと過ごす時間だった。紅白も途中で飽きてごろ寝し、翌朝の元日は、起きた順にのそのそと餅を食べた。いつもならピンと背筋を伸ばすお正月も、今年はすっかり猫背で過ごした。
数日後、同居している義理の妹から連絡が来た。
「おかあさん、今年はおせちをやめて、大晦日に店で売れ残った惣菜を山ほど買って帰ってきて、家でプチパーティーしたよ」
思わず吹き出してしまった。なにやら両家とも、誰のためでもない完全セルフケア正月を満喫していたようだ。
きっと義母は、誰かのために気合いを入れて作る料理より、自分の好きなものを好きなだけつまむ料理を選んだだけなのだ。それはたしかに老いかもしれない。けれど同時に、バランスの再配分。気を張る役割を、そっと降りただけだ。
そして思う。人はいつからもてなす側になるのだろう。いつ、またもてなされない自由を取り戻すのだろう。義母の背中が、少しだけ未来の自分に重なった。
(了)