第3回「おい・おい」選外佳作 父のしめ縄 田村ゆう


父のしめ縄
田村ゆう(大阪府・47歳)
もう、しめ縄はしない、と父が言う。
買いに行けないし、取り付けるために脚立に立つのが怖いそうだ。
八十代の父。最近は入退院を繰り返し、ひと回り小さくなってしまった。今までは十二月二十六日になると、車で三十分ほど走らせたところにある市場まで行き、しめ縄を買ってきていた。早い時間に行かないと良いものを買えないらしい。
毎年、年末の朝五時頃になると、ブルルルーという車のエンジン音で目が覚める。ああ、もうそんな時期なのだ、と布団の中で、正月のことをぼんやりと考えていたことを思い出す。
しめ縄がないのは寂しいのだが、そのことより、父がしめ縄を準備できなくなってしまったということに胸がキュッと締め付けられる。父ができないなら、せめて私がしよう。
「市場までは遠くて行けないけど、近所で買ってきて私が取り付けるよ」
と言ってみた。
「もういいよ、もうしないって決めた」
と父に言われてしまった。
もともと季節の行事を大切にする人だ。正月準備はもちろん、節分には豆をまき、七夕には笹を立て、お盆にはお供えをして過ごす。これらを一度として欠かしたことがない。そんな父がしめ縄を準備できなくなったことは、大きなショックだったろう。
できなくなることを、ひとつひとつ受け入れるということ。父はどのような思いなのだろう。それは本人とともに家族も受け入れていかなければならないことだ。あの父が、と元気な頃と比較して落胆する。頑張ればまだできるのではないか、と無理なことを思ってしまう。そして誰もが最後にたどりつくその地点に父も向かっているのだ、ということを思い知らされ、また心が沈む。しかし、誰もがいつかは通る道なのだ。それをたとえ受け入れられなくても、見届けるということが私にできることなのだろう。
年末の朝五時にブルルルーという車のエンジン音を聞くことはもうない。しかしあの瞬間にこそ、父との大切なものが宿っていたのだということに、今頃になって気づくのだ。
(了)