第16回W選考委員版「小説でもどうぞ」最優秀賞 ブローケン冷蔵庫 夏ノふゆ


第16回結果発表
課 題
悲劇
※応募数424編
夏ノふゆ
冷凍室に入れておいた大量のイカが、夜中の間に全て解凍されていた。
去年、新築一戸建てを買ったばかりで日々節約中だというのに、いつも角に足をぶつけたときはちゃんとごめんと謝っているというのに、家電は空気を読んではくれない。
しかたなく、妊娠中の妻と二人で家電量販店に行き、店員から様々な最新冷蔵庫の機能の説明を受け、悩んだ末、子どもも生まれるし、せっかく買うなら前のより大きいものがよいよねと、チルド室がワイドな五百七十二リットルの冷蔵庫が選ばれた。
値段は、ネットの最安値と同じにしてもらって三十一万円。……三十一万。妻の顔をチラリと覗けば表情は険しい。危ない。ただでさえ家を買ってからお小遣いを二千円も減らされたのに、これ以上減らされたらミセチルのコンサートに行けなくなるかもしれない。
どうすべきか……と迷っていたら、説明を終えた店員がにこやかに続けた。
「家はキッチンが二階とおっしゃられていましたが、階段はどのような形ですか?」
「階段? コの字型ですが……」
「こちらのサイズだと階段が通らないという場合もありますので、まずは通るかどうかを確認していただいた方がよいかもしれません。専門の計測スタッフもおりますので」
「ちなみに通らなかった場合って……?」
「その場合は、もう一サイズ小さいものにしていただくか、窓からの搬入になります。窓からの場合は一万円の追加料金が掛かります」
プラス一万の三十二万。また眉間の皺が深くなった妻に気づき、買うかどうかはあとにして、まずは入るかどうかだけでも確認してもらうことにした。
我が家に計測に来たのは若い男性スタッフで、俺は彼が取り出したメジャーに見覚えのあるシールが貼ってあるのを見付け、つい声を掛けた。聞けばなんとミセチルのファンクラブ会員らしく、普段妻とはできないようなマニアックな話に花が咲いた。
「こちらの手すりを外していただけたら大丈夫です。ご希望の冷蔵庫でも通りますよ」
十数分ですっかり仲良くなった我が同志がメジャーをしまえば、さっきまでつまらなそうにしていた妻が胸の前で手を合わせた。
「本当ですか! 外せます! 外します!」
もし階段から入れられるなら買おうと決めていたらしい妻が、テンション高く返答し、あの冷蔵庫を買うことが、今ここに決定した。
俺がやらされるであろう手すりを外して付け直す作業は、正直かなり面倒そうだが、これで妻がご機嫌になれば、産後のコンサートのお許しも出やすくなるはず。もしかしたらお小遣いだって少し戻してくれるかもしれない。
そして俺たちは後日、その冷蔵庫を買うために再びその家電量販店を訪れる……はずだった。
朝にチラシが入っていたのだ。別の家電量販店のそのチラシには、あの三十一万円の冷蔵庫が二十九万円で売っていた。間違いなく最安値だ。
ごめんなさい。丁寧に説明して下さった最初のお店の店員さんと、家まで計測に来てくれた同志の彼。だって妻が、二万円も浮いたし、焼き肉でも行っちゃう? とかウキウキ言ってるんですもん。俺には反論できません。
俺たちは僅かな罪悪感と高揚感を抱えつつ、二十九万円でついにその冷蔵庫を手に入れた。
そして、いよいよやってきた搬入日。古い冷蔵庫の中はなるべく中身を少なくするために、野菜と卵と義母から貰った大量のイカしか入っていない。新しい冷蔵庫が来たら、イカ野郎たちを冷凍室に帰還させ、今日は二週間ぶりに肉を食うのだ!
なのに搬入スタッフは、壁を養生するための毛布を床に置いてあっさりと言い放った。
「この階段では通りません」
…………は?
「え、ちょっと待ってください、だって通るかわざわざ測りに来てもらったんですよ」
「うちのスタッフがですか?」
「それは……、でも確かに通るって、手すりも外しましたし」
そうだ、昨日の深夜、一人で苦労して外した手すりのせいで腕はパンパンだ。
「その方、ここは測ってました?」
彼は手に持っていたシンプルなメジャーを、階段の壁から腰壁の上部に伸ばした。
ほんの三センチ飛び出したその部分は、あのとき、ミセチル話に大輪を咲かせていた俺の頭があった場所だった。
「あちらの窓からなら入ると思いますので、来週クレーンで搬入になりますね」
「……それって……料金は」
「五万円になります」
合計三十四万円。妻がスッと俺を見る。
さよなら焼き肉……さよならミセチル……そしておかえり地獄のイカライフ……。
(了)