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第16回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 痣 李玲瓏

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小説でもどうぞ
結果発表
第16回結果発表
課 題

悲劇

※応募数424編
痣 
玲瓏リンロン

 施設内は、いつも消毒液とおしっこのにおいが混ざったようなにおいがしている。制服を何度洗っても、そのにおいは髪や肌に染み付いている。私の仕事は、お年寄りの体を裏返し、汚れを拭き、おむつを替えること。その繰り返しだ。だが、仕事は嫌いじゃない。おじいさんやおばあさんが話してくれる昔語りを聞くのが、私には楽しみだったからだ。
 佐藤さんは彼らの中で特別な存在だった。金持ちだったらしいが、訪ねてくる親族は一人もいない。「裏社会の人間だ」「事件で家族を捨てた」と噂は絶えないが、本当のことは誰も知らない。あの日、彼が過去を私に語るまでは。彼の話は普通の商売の成功談だったが、成功と引き換えに、彼は孤独だった。
「息子が三歳のとき、妻が連れ去った健一に一度会って、財産を譲りたい。それが最後の願いだ」
 仕事の帰り、居酒屋で友人の武田にその話をすると、彼はニヤニヤしながら言った。
「チャンスじゃないか。お前が息子だって名乗り出ればいい。どうせボケてるし、それに三歳から一度も会ってないんだろ? わかるはずがないさ」
「嘘なんてすぐにバレる」と返したが、「知らない誰かに金が渡るより、お前がもらったほうがいい話じゃないか。じいさんだって、最後に息子に会えたと思えば幸せだろ?」と彼が言った。
 物心ついたときから父親という存在を知らずに育った私にとって、それは悪い話ではないと思えた。けれど冗談だと言い聞かせた。
 数日後、私は佐藤さんに尋ねてみた。
「何か、息子とわかる特徴はありますか」
「火傷のような痣がお腹にあるんだ。それを見れば、息子だとわかる」
 この話を武田に話すと、彼は鼻で笑った。
「簡単じゃないか。タトゥーショップに行って、同じ痣を彫ればいい。店を紹介してやる」
 だが、私はタトゥーなんて大嫌いだった。人間は同じものを愛し続けることなんてできない。そう思っていたから、一生消えないものを体に刻むなんて、いつか後悔するはずだ。
 しかし、あの日の出来事が、私の考え方を変えた。仕事を終えてエレベーターに乗ったとき、高級なコートを着て香水の匂いをさせた親子と乗り合わせた。彼らは眉をひそめて鼻を覆い、まるで汚いものを見るような目で私を避けた。
 その夜、武田からタトゥーショップの住所が送られてきた。これは運命なのかもしれない。針が私のお腹に刺さる瞬間、ものすごい痛みが走った。
 数日後、佐藤さんの体を拭いているときに、私はわざとお腹の痣を見せた。
「あ、すみません……」
 慌てて隠すふりをして、お腹の「痣」をチラリと見せた。
「……待って。今のは、なんだ?」
 佐藤さんの動きが止まった。震える手で私のお腹に触れた。
「健一……。健一なのか……」
 私は彼を抱きしめ、共に涙を流した。
 一週間後、佐藤さんは息を引き取った。葬儀が終わって、私は弁護士に呼ばれた。ついに、新しい人生が手に入るはずだった。だが、弁護士から渡されたのは、一通の手紙と古びた小さな箱だけだった。
『健一へ。お前がここで働き始めた日から、気づいていたんだ。お前の顔も笑い方も妻にそっくりだったから。あの日、「痣はお腹にある」と言ったけれど、それは私の勘違いだった。お前が帰った後で、本当は腰の後ろにあったんだと思い出した。その後、お前がお腹の痣を見せてくれたとき、私はお前の腰の後ろにあった痣も同時に見ていたのだ。その瞬間に確信した。お前こそが、私の探していた息子なのだ。父親としてお前のそばにいて、正しく導いてやれなかったことを、本当に申しわけなく思っている。これは私の責任だ。お金はすべて施設に寄付することにした。お前に一つ、残しておきたいものがあるんだ。三歳のあの日、デパートで泣いて欲しがっていた、あのオルゴールだ。あのとき約束したのに、買い与えられないままだったものだね。最後まで私の面倒を見てくれて、ありがとう。さようなら。健一』
 箱にはオルゴールが入っていた。ネジを回すと、途切れ途切れの音色が流れ出した。
 鏡の前に立って、服を脱いだ。彫った痣がはっきりと浮かび上がっていた。体をひねって見てみると、自分ではこれまで気づけなかった腰の後ろに、本物の痣があった。
 声を上げて泣いた。鏡の中の痣が、私をあざ笑っているように見えた。お金も、たった一人の父親も、すべてを失った。父の最期に現れた私は、彼にとって救いだったのか。それとも、悲劇だったのだろうか。その答えは、もう永遠に失われた。残されたのは、お腹に一生残り続ける偽物の痣だけだ。
(了)