第16回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 通知 池平コショウ


第16回結果発表
課 題
悲劇
※応募数424編
池平コショウ
前の住人がガラス代をケチったのだろう。枠よりも明らかに小さいガラスはドアがノックされるだけでガチャンガチャンと音をたてた。
「やさしくお願いしますよ。ガラスが割れてしまう」
「高橋さ~ん。郵便ですよ~」
間延びした声が薄いガラスを抜けてきた。
「そこの郵便受けに入れてくれませんか」
「内容証明郵便だからハンコが必要なんすよ」
ドアを開けると敷居に頭が届きそうな大男が受領証をヒラヒラさせてハンコを急かしていた。
流し台の引き出しをかき回して三文判を探しだし、ハーと息を吹きかけてから受領証に押しつけた。
大男は「ありがとございました」と言いおいてバタンとドアを閉めた。ガラスがまたガチャンと切迫した音をたてた。
「だからさ、ガラスが割れるってば」
つぶやいた程度の声は外階段をガタンガタンと派手に踏みならす男の耳に入るべくもない。
受け取った封筒には市役所税務課とあった。
親展という朱書きの脇に「宛名を確認して本人以外は開封しないでください」と丁寧な注意書きがされていた。
中身をトントンと下に寄せてからハサミで開封した。封筒を破って開けるのはどうしても性に合わない。保管が必要な郵便物だったら困るじゃないか。ビリビリに破れた封筒はあちこちにひっかかって収まりが悪い。
税金の督促状だった。
滞納している七万六千円を三週間以内に納付しろ、と書いてある。
二カ月前、突然それまで働いていた会社を解雇された。収入の途がなくなった。蓄えもない。
職安には通っているが、還暦過ぎた薄汚い風体の男を誰が好き好んで雇う?
「力仕事ならあるんですけどね」
職安職員のわざとらしい困り顔を見ながら、こいつは手取りいくらなんだろうと、そればかり考えていた。
腰に持病があるから力仕事はできないんだって。足に力が入らねえんだって。
怒鳴りつけたい衝動を飲み込む。それでもヘラヘラと笑いながら、「じゃあ、また、明日来てみますよ」とカウンター席を立ち、深々と頭を下げる。とたんに鋭い痛みが走った。うなり声が漏れる。
職員は「バカだなこいつ」と顔に書いたまま、ついたての向こうに消えていった。
「ぶっ殺してやる。公僕のくせに」
悪態は頭の中をグルグル回っていたが、ついぞ口から外には出なかった。
職安の道すがらにパチンコ店があるのは店側のたくらみだろう。それでもとくにかく俺には気晴らしが必要だった。
ポケットにあった硬貨二枚がなくなり、喫煙コーナーで長めのシケモクを探していると横からヌッとラッキーストライクが差し出された。首をひねって見上げると貧相な男がホレホレと顎をシャクっていた。
手がたなを切って一本抜き出すとライターの火までサービスされた。
「お兄さん、腎臓売らない?」
男は下卑た笑いを作りながらストレートに切り出した。
腎臓を売れば十万円になるという。もともと二つあるから一個は売っても支障はないのだと付け加えた。
「どうすればいいんですか?」
「そういうのに通じた医者がいるから紹介するよ」
「でも、傷てぇのは苦手なんです」
「麻酔で寝てる間に終わるさ」
男は一本しか残っていない前歯をむき出しにして笑った。
指定された病院は住宅街にポツンとあった。古めかしい外観。ろくに掃除もしていないのだろう。去年の秋からとおぼしき落ち葉が焦げ茶色になってつむじを描いていた。
手術は本当に寝ている間に終わった。
医者は愛想よく気分はどうかと訊ね、茶封筒の十万円をよこした。
「今晩あたり痛むかもしれないから」
と痛み止めの飲み薬をくれた。
「一度に飲み過ぎないこと」
医者は意味ありげにニヤリと笑った。
「飲み過ぎると気持ち良くなったりするヤツですか?」
「さあ? どうだろうね」
「じゃあ、ちょっと多めにくださいよ。腎臓一個無なくなったんだから」
上目遣いに医者を見ると
「まあ、いいだろう」
薬を追加してくれた。
痛みは意外と早くやってきた。もともと意気地がない方だから、少しの傷みを感じた段階で薬を飲んだ。スッとして気分が軽くなった。ついでに何でもできそうな気がしてきた。そしてそのまま寝入った。
薬は三日で切れた。傷みはほぼ同じ間隔でやってきた。薬をもらおうと医者を訪ねた。医者は手術のことも薬のことも、まして俺のことも知らないと言い張った。
「今さら、それはないでしょうよ」
食い下がった。
「何の証拠があって、そんな言いがかりをつけるのか?」
医者は語気を荒げた。
医者の豹変ぶりに戸惑っていた。
「いいかげんにしないと警察を呼ぶぞ」
追い出された。
それから一週間、手術痕は傷み続けた。
万年床に臥せっていたとき、無遠慮にドアがノックされ、ガラスがガチャンガチャン鳴った。
「高橋さ~ん。郵便で~す。簡易書留だからハンコくださ~い」
例の大男だ。
ハンコを押して葉書きを受け取る。市役所税務課からだった。
圧着式のハガキを開くと、「税金の算定に誤りがあり、七万六千円を返すので口座番号を連絡するように」と書かれていた。
傷口がさらにズキンと痛んだ。
(了)