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第16回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 ホテル 津沼夏之

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小説でもどうぞ
結果発表
第16回結果発表
課 題

悲劇

※応募数424編
ホテル 
津沼夏之

 道に迷ってしまった。ただでさえ就活が上手くいかなくて人生という巨大な道に迷っているのに、物理的にも迷ってどうする。
 この街には面接試験のために今日到着したばかりで、土地勘というものは微塵もない。
 今日が面接当日じゃなくて本当に良かった。時間を守れない就活生の未来は暗い。自宅から会場までは特急を乗り継いで半日はかかるから、明日の面接に遅刻しないよう、前日から会場近くのホテルにチェックインしていた。
 ホテルに到着したのは午後二時過ぎだったが、私はまだ昼食を摂っていなかった。ビジネスホテルなら周辺にコンビニがあるだろうと思っていたら、予想に反して何もなかった。住宅地の真ん中にホテルが建っているのだ。
 ホテルの売店にカップ麺の類いがあるにはあるが、それではあまりにも味気ない。スマホで近場の飲食店を調べると、大抵は午後二時で営業終了だったが、一件だけ通し営業をしている喫茶店があった。
 口コミではたらこスパゲティが名物となっていたので心躍った。何しろ私はたらこスパゲティに目がないのだ。それに店内は明るく、女子一人でも気軽に入れるという投稿もあり、ますます気に入った。おじさま方がくゆらす紫煙が立ち込める照明の暗い店に一人で入れる度胸は、一応うら若き乙女である私にはない。
 地図アプリを頼りに住宅地の中を十分ほど歩いたが、私を待っていたのは『臨時休業』の貼り紙だった。げんなりして引き返そうとしたら、道に迷った。いつの間にか入り組んだ路地に入ったと思ったら、目の前にブロック塀が立ちはだかった。
 来た道を戻るだけだから、と高を括って地図アプリを見なかったのが災いしたのだろう。慌ててスマホを取り出したが、あろうことかここに来て画面がフリーズした。本体がホットの缶コーヒーくらい熱くなっている。
 辺りを見回すと、古い文化住宅や、のっぺりとした団地の群れの遥か向こうに、私が泊まっているホテルの姿が見えた。十分かそこらで随分遠くまで歩いたのだなと、変なところで感心した。
 ホテルが見える方向に歩いていけば、まあたどり着けないことはないだろう。そう思って再び歩き始めたが、甘かった。今度は緑色のフェンスが立ちふさがった。金網の向こうには小奇麗な一戸建てが見える。
 仕方なく、来た道を少し戻って脇道にそれると、今度は古い日本家屋が建つ敷地に入っていた。大量のごみ袋や雨ざらしの白物家電が庭に散らばっている。玄関は半開きで、暗い屋内にも大量のごみ袋が見えた。誰も住んでいないのだろうが、これでは不法侵入だ。
 再び踵を返す。脇道にそれるたびに、より入り組んだ裏路地に迷い込んでいる気がする。そうやって暫くうろうろしていたら、いよいよ自分がどこにいるのか分からなくなってきた。ホテルの姿は見えている。むしろ先程よりも大きく見えているから、漸近してはいるらしい。ただ、どんなに歩いても袋小路に突き当たる。
 懐から再度スマホを取り出す。そろそろ熱暴走から回復したかと思ったら、今度はスイッチを何度押しても画面が暗いままだ。本体は冬の朝くらいヒンヤリとしていた。
 落ち着け、と自分に言い聞かせた。見知らぬ街とは言え、何も異国の地にいるわけではないのだ。人が通りかかれば、道を聞いてもいいし、最悪そこらの家をノックして聞いてもいい。
 しかし、思い起こせばホテルを出てから誰ともすれ違っていない。こんなにたくさん家が並んでいるのに、人の気配がしないのだ。平日の午後だからそんなものなのか。老いも若きも働きに出ているのだろうか。みんな就活に成功したのか。うらやましいものだ。私は本命の企業を含めてもう四つも落ちているのに。
 じわじわと疲労感が込み上げてきた。喉も乾いた。曇天とはいえ初夏だ。歩けばそれなりに汗をかく。今や喉の渇きは空腹よりも強くなっていた。
 ありがたいことに、すぐに自販機を見つけた。喜んでお金を投入し、スポーツドリンクのボタンを押したが、なぜか何の反応もない。故障している。頭を掻きむしりたくなった。機体の下部には、『不具合の際には、下記の番号にお問い合わせください』と書かれているが、スマホが動かないのでそれもかなわない。しかも千円札を入れてしまった。ただでさえ就活で物入りだというのに。
 怒りで喉の渇きは遠のいた。スポーツドリンクと千円札を諦めて、再びホテルを目指す。
 目の前に今度は掲示板が立ちはだかった。住宅地図でも貼られていないかと思ったが、ほとんどのポスターが日に焼けて白くなっている。一枚だけ鮮やかなポスターがあって、画数の多い、知らない漢字の神社の名前が毛筆で書かれている。その下にはナントカの神事開催、とあって、恐らくお祭りがあるのだろう。
 この住宅街の中でお祭りがあればさぞや賑わうだろう。そんなことをぼんやりと考えていたら、団地の一角に入り込んでいた。広い駐車場があるが、車は一台もない。その駐車場の隣に公園があって、その奥に鳥居と、小さな社があった。
 ということはさっきの張り紙の神社があれなのか。思ったより小さいから違うのかもしれない。手水場で喉を潤そうと境内に入ったが、龍の口からは一滴も水は流れていなかった。
 それでもここまで来たのだからと、賽銭箱に五円玉を放り込んだ。職にありつけますように。あとさっさとホテルに帰れますように。
 参拝を終え、公園まで引き返した。公園と言ってもブランコとプラスティックの小さな滑り台があるだけだ。
 何とはなしにブランコに腰かけると、鎖がキシキシと嫌な音をたてた。足元に、ピンク色の魔法使いみたいな恰好をしたソフビ人形が落ちている。日曜の朝にやっている女の子向けのアニメのおもちゃだ。団地に住む子が落としたのだろうか。人形よ、君も迷子か。
 そう言えば、私もこんな人形を失くしてしまったことがあった。離婚する前の父から貰った最後の誕生日プレゼントで、大事にしていたのに。
 普段ものを失くすと母に烈火のごとく叱られたものだが、その人形を失くしたときだけは怒られなかった。思うに、私が失くしたのではなく、母が隠してしまったのだろう。そこら辺の真実を聞いてみたくはあったが、母とは大学進学について揉めて以来、会っていない。
 学費を払ってもらっている手前、義父とはそれなりに電話するが、「お母さんいる?」と聞いても曖昧にはぐらかされている。母はまだ私を許してはいないのだろう。もう会うこともないのかもれない。就職に成功したら、資金援助をしてもらう必要もなくなるから、実家とはますます疎遠になるだろう。
 親不孝な娘だとは思うが、母には義父と、彼の間にできた二人の弟がいるから、まあ寂しくはないはずだった。
 不憫に思って人形を拾い上げようとしたら、思いのほかずっしりと重かったので拾うのをやめた。
 団地の群れの向こう側にホテルが見えていたので、敷地内を突っ切っていくことにした。団地なら不法侵入で咎められるということもないだろう。
 足早に団地を抜けると平屋のテナントが目に入った。居酒屋やラーメン屋、カラオケ店の看板が掲げられているが、中はガラガラで、廃業して久しいらしい。
 その平屋の隣には簡易郵便局があったが、こちらももう使われていないようだ。〒の字が取れてしまっている。
 そう言えば、住宅地をさまよっている間、郵便ポストを一度も見なかったな、とどうでもいいことを一瞬考えたのがいけなかった。ふと我に返ると、先ほどまで目の前に迫っていたホテルの姿が跡形もなく消えていた。
 私は思わず呻いた。藁にもすがる思いでスマホを取り出そうとしたが、スマホはおろか財布すらない。先ほど神社で賽銭を投げたときに財布とスマホを落としたのではないか、と思い至った。財布には免許証もマイナカードも入っている。慌てて団地方面に戻ろうと踵を返したが、案の定、団地も見当たらない。
 鼻の先がツンとして目頭が熱くなった。私が何をしたというのか。私は、明日の面接の景気づけにたらこスパゲティが食べたかっただけなのだ。
 不意に、私以外に動いている物体が目に入った。立方体の回転看板らしく、面には『酒』、『薬』と書かれている。看板を出しているのは雑貨屋らしい。店内の照明がついている。営業中。文字通り一筋の希望の光だ。
「誰かいますか!」
 半ば叫びながら店内に入った。
「ああ、はいはい」
 店の奥から初老のおばさんが出てきた。
「あの、すいません! 私、道に迷っちゃって! スマホとかも失くしちゃって……」
「はいはい、西野さんから話は聞いてたから」
 西野って誰だ。私は固まるが、おばさんは意に介さない。
「金と男が絡むごたごたって大変よねえ。アタシも若い頃はいろいろあったからそこらへんは分かるわ」
「え、いや」
 私を誰かと勘違いしていませんか、と尋ねようとしたが、おばさんは聞く耳を持たない。
「ほとぼりが冷めるまでうちにいてもらっていいから。ちょうど店番がいなくなっちゃって困ってたのよ。アタシもいつも店にいるわけじゃないし」
「はあ」
「ここ、電話とかパソコンとかないけど、まあ、あなたみたいな子はむしろ外と連絡取れない方がいいでしょ」
 いや、今は外界との連絡手段が一番欲しいのだが。
「心配しなくても大丈夫よお。お客さん、そんなに来ないし、覚える仕事も少ないから」  
 不安な点はそこではない。私は、ただホテルに帰りたいだけなのだ。ホテルに戻れば、部屋に置いてきた鞄に予備のお金がある。それで飲み物とカップ麺でも買おう。ああ、スマホと財布の紛失届も出さなくては。何より、明日の面接の準備がある。
「あの、ちょっと聞きたいんですけど」
「なあに?」
「この辺にホテルってありますか?」
 おばさんは怪訝そうな顔をした。
「さあ、この辺にホテルなんて聞いたことないけど」
 まあ、ないのだろうさ。さっき消えたのだから。スマホも財布も、きっと見つからないのだろうなという予感がした。
 それから、私はこの店に住み込みで働いている。職は得たわけだから、あの神社は願いを半分叶えてくれたわけだ。
 客は週に大体五人くらい来る。
 店の外を眺めると、時々ホテルの姿が遥か彼方に見える。
(了)