第16回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 ホテル 津沼夏之


第16回結果発表
課 題
悲劇
※応募数424編
津沼夏之
道に迷ってしまった。彼氏と別れ、就活にも行き詰って人生という巨大な道に迷っているのに、物理的にも迷ってどうする。
この街には何度目かの就職試験のため今日到着したばかりで、土地勘は微塵もない。
今日が面接当日ではなくて本当に良かった。時間を守れない就活生の未来は暗い。自宅から会場までは特急を乗り継いで半日はかかるから、明日の面接に遅刻しないよう、前日から会場近くのホテルに泊まる予定だった。
最寄り駅に到着すると、ホームからでもホテルの姿が見えた。
建物が見える方向に歩くだけだ、そう高を括って地図アプリを確認しなかったのが災いした。いつの間にか入り組んだ路地に入ったと思ったら、目の前にブロック塀が立ちはだかっていた。
慌ててスマホを取り出したが、大事な時に限って画面がフリーズした。本体がホットの缶コーヒーくらい熱い。
辺りを見回すと、古い文化住宅や、のっぺりとした団地の群れの遥か向こうに、ホテルの姿が見えた。
仕方なく、来た道を少し戻って脇道にそれると、今度は古い日本家屋が建つ敷地に入っていた。玄関は半開きで、暗い屋内には大量のごみ袋が見えた。誰も住んでいないのだろうが、これでは不法侵入だ。
慌てて踵を返す。脇道にそれるたびに、より入り組んだ裏路地に迷い込んでいる気がする。そうやって暫くうろうろしていたら、いよいよ自分がどこにいるのか分からなくなってきた。ホテルの姿は見えている。むしろ先程よりも大きく見えているから、漸近してはいるらしい。ただ、どんなに歩いても袋小路に突き当たる。
懐から再度スマホを取り出す。そろそろ熱暴走から回復したかと思ったら、今度はスイッチを何度押しても画面が暗いままだ。本体は冬の朝くらいひんやりとしていた。
落ち着け、と自分に言い聞かせた。見知らぬ街とは言え、何も異国の地にいるわけではないのだ。人が通りかかれば、道を聞いてもいいし、最悪そこらの家をノックしてもいい。
しかし、思い起こせば駅を出てから誰ともすれ違っていない。こんなにたくさん家が並んでいるのに、人の気配がしないのだ。
不安感と共に、じわじわと喉の渇きが込み上げてきた。曇天とはいえ初夏なのだ。
幸運にも、自販機はすぐ見つかった。喜んでお金を投入したが、何の反応もない。故障している。頭を掻きむしりたくなった。機体の下部には、『不具合の際は、下記の番号にお問い合わせください』と書かれているが、そもそもスマホが動かないのだ。しかも千円札を入れてしまった。ただでさえ就活でもの入りだというのに。
仕方なく再び歩き始めると、今度はいつの間にか神社の境内に迷い込んでいた。
手水舎で喉を潤そうと思い立ったが、龍の口から水は一滴も流れていない。
それでも一応、賽銭箱に五円玉を放り込んだ。職にありつけますように。あとさっさとホテルに着けますように。
参拝を終え、再び路地を歩いていると、ピンク色のソフビ人形が落ちているのが目に入った。近所の子どもが落としたのだろうか。人形よ、君も迷子か。
余計なことを考えたのがいけなかった。顔をあげると、先ほどまで常に見えていたホテルの姿が跡形もなく消えていた。驚いて辺りをぐるりと見渡したが、影も形もない。
私は思わず呻いた。藁にもすがる思いでスマホを取り出そうとしたが、スマホどころか財布すらない。先ほど、神社で賽銭を投げたときに財布とスマホを落としたに違いなかった。財布には免許証もマイナカードも入っている。慌てて神社に戻ろうと踵を返したが、案の定、鳥居すら見当たらない。
鼻の先がツンとして目頭が熱くなった。私が何をしたというのか。私は、ただホテルに行きたいだけなのだ。
我を忘れ、でたらめに走りながら角を曲がると、雑貨屋らしい建物が目に入った。硝子戸の向こうが明るい。文字通り希望の光だ。
「誰かいますか!」
半ば転げ込むようにして店内に入った。
「ああ、はいはい」
店の奥から初老のおばさんが出てきた。
「あの、すいません! 私、道に迷っちゃって! スマホとかも失くしちゃって……」
「はいはい、西野さんから話は聞いてたから」
西野って誰だ。呆然とするが、おばさんは意に介さない。
「金と男が絡むごたごたって大変よねえ。アタシも若い頃はいろいろあったからそこらへんは分かるわ」
「え、いや」
私を誰かと勘違いしていませんか、と尋ねようとしたが、おばさんは聞く耳を持たない。
「ほとぼりが冷めるまでうちにいてもらっていいから。ちょうど店番がいなくなっちゃって困ってたのよ。アタシもいつも店にいるわけじゃないし」
「はあ」
「ここ、電話とかパソコンとかないけど、まあ、あなたみたいな子はむしろ外と連絡取れない方がいいでしょ」
いや、今は外界との連絡手段が一番欲しいのだが。
「心配しなくても大丈夫よお。お客さんそんなに来ないし、覚える仕事も少ないから」
不安なのはそこではない。
「あの、ちょっと聞きたいんですけど」
「なあに?」
「この辺にホテルってありますか?」
おばさんは怪訝そうな顔をした。
「さあ、この辺にホテルなんて聞いたことないけど」
まあ、ないのだろうさ。さっき消えたのだから。スマホも財布も、きっと見つからないのだろうなという予感がした。
それから、私はこの店に住み込みで働いている。職は得たわけだから、あの神社は願いを半分叶えてくれたわけだ。
客は週に大体五人くらい来る。
店の外を眺めると、時々ホテルの姿が遥か彼方に見える。
(了)
※編集部注 この入選作は、最初に応募した時点では規定字数を大幅に超過しており、その後、規定字数内に書き直して再提出してもらいました。このページで最初に公開したものは、最初に応募した作品を編集部が誤って公開してしまったものです。この作品は4.23に正規のものに差し替えました。選考会では規定枚数内のもので選考しています。