第16回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 アル女 海風美保子


第16回結果発表
課 題
悲劇
※応募数424編
選外佳作
アル女 海風美保子
アル女 海風美保子
ここはトイレだ。私が住む、1Kのザ・一人暮らしのコンパクトなマンションの、私がすべてをさらけ出して甘え、くつろげる安息の神殿…などと意識したことはないけど、まあ、本当のことだからね。
先ほどまでリビングで、いつものようにひとり宴会を気ままに繰り広げていた。まずはビールから始めて、鰆のたたき(スーパーで半額でゲット)に合わせてキンミヤのソーダ割、人形町の老舗おでん店からテイクアウトしてきたおでん(大根、白滝、卵、ウインナー巻き)を温めなおしてコンビニで買ってきた八海山を冷やでやり、ふと、食べかけて冷蔵庫の隅に放置されている、丸い木箱に入ったお高いウォッシュチーズがそろそろヤバいことを思い出して、カチカチに固まりかけてるそれに白ワインをぶっかけて木箱ごとホイルで包んでオーブンでとろとろにし、それに合わせて偶然空いていた陰干しのブドウのイタリアの赤ワインを、最初はチビチビだけど、チーズがおいしすぎてガバガバ行き、私の人生って結構、最高じゃね?という気分になって、今までの様子をSNSにあげつつ、なんとなく甘いものが欲しくなって、冷蔵庫のプリンが賞味期限が切れてそろそろ1週間なのを思い出し、そいつを救済しながら、瓶に1センチだけ残っていたメーカーズマークをコポコポと空いたワイングラスに注いでストレートで流し込んだ。そうこうしているうちに先ほど冷蔵庫に氷結のレモンが1缶残っていたのを思い出し、最後にデザートがわりにいいかもと思ったところで限界まで来ていた尿意に気づき、トイレに駆け込んだのだった。
便座に座り、用を足す。尿が出る時間がやけに長い。これはペットボトルにするとどのぐらいなんだろうとぼんやり考えながら、目の前のドアの壁紙を見つめている。薄茶色と白の、大理石柄が印刷された壁紙で、模様の一部が人の横顔に見える。鋭い目つきで前を見据え、鼻の形が亡くなった父にそっくりな気がする。じっと見つめているうちに模様はぶわっと浮かび上がる。「え……?」と思ってるうちにその模様は手で壁紙の空間を押し広げ、穴をまたいで飛び出してきた。え……?
「こんにちは。私はあなたの守護霊です」
目の前には、人間とも幻ともつかないような、なんともいえない「現象」がたたずんでいた。
「ぎゃー」と頭で思っていても叫び声は出てこない。かわりに「守護霊でよかったじゃん。死神でなくてよかった」とこの状況にふさわしからぬ、妙に冷静かつ楽観的な思考が浮かんだ。そうでも考えないと驚愕のあまり生きていけないからなのかもしれない、人は。
守護霊はおもむろに話し始めた。
「私はあなたを、生まれたときから54年間、守護してきました。ですが、本日をもって、私はあなたを見放します。代わりの守護霊も付かず、今後は空席となります。残念ではありますが、これも天の定め。あなたが生まれてから今まで行ってきたことの結果なのです」
私がいったい何を、と言いかけて言葉につまった。さらに守護霊はたたみかけてきた。
「あなたは私が守護してきたことに全然気づかずに今まで生きてきましたね。そして、自分は美人でもっとみんなの憧れの的になるような特別な存在なのに、なぜつまらない会社の窓際族に甘んじてるの?という思いが、あなたの今の人生への敬意を失わせている。
気がつきましたか? あなたが会社に遅刻しそうになったら、なぜかいつもマンションのエレベーターがあなたの住む5階で待機していたことを? 12年前のソチオリンピックの時、例によってあなたは酒をあおって酔いつぶれていたのに、なぜかフィギュアスケートの浅田真央選手の、あの伝説のフリー演技の直前に目が覚めて偶然テレビをつけたのは?あなたがタクシーを止めて乗ろうとしたらバイクがそのタクシーに突っ込んできて、すんでのところで身をかわし、事なきを得たのは?
数えだしたらありませんが、私はあなたのご先祖様の魂の集合体としてあなたの人生をお支えしてきました。それなのにあなたは自分の人生に感謝することもなく、現実逃避をしては酒をあおり、周りの人への思いやりもなく自分のことばっかりで、その自分すらも粗末にしている。そんなあなたをもうお守りできません。さようなら」
守護霊はシュッと煙のようになり、消えた。愕然とした。私は気づかないうちに守られていたのか?これからどうなるのだ?
次の瞬間、私ははっと目覚めた。私は便座に腰掛けながら、パンツとジャージを膝のところに下ろしたまま「丸出し」の状態で寝てたらしい。夢だったのか…。ペーパーでお尻を拭き、水を流そうとするが、レバーがやけに軽く、水が流れない…。これは故障か⁉こんなのこのマンションに越してきて初めてだ。私はふう、とため息をついた。
まあ……そんなことより、氷結だよ、氷結。あれ飲んで寝よ。私はパンツとジャージを履きなおして、便座にふたをし、イエイ、とドアを開けてトイレを出たのであった。
(了)