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【結果発表】第22回坊っちゃん文学賞

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結果発表

第22回坊っちゃん文学賞

ショートショート作品を募集。テーマは自由。

〔主催〕松山市役所 文化・ことば課
〔応募数〕9,900編

大賞
「読書完走文」

(フカミエミコ)

 ⼆ページを残すところで競技場が⾒えた。読了と同時にゴールテープを切れれば美しい。表向きでは本を⽚⼿に平然と走りながらも⼼の内では時代に翻弄された主⼈公の⽣涯に⼼を震わせ、ライバルたちを次々追い抜いてきた。そして誰より速くゴールテープを切ると同時に本を閉じた。
「ご覧下さい、⾒事な読書完走文です!」
 計測係から⼿渡された⼀枚の完走文には、文字で描かれたまばゆい模様が広がっていた。オリーブの冠を授かりガッツポーズをとろうとした⼨前だった。
「またか…」
 眠い⽬をこすりながら、ため息をついた。三⽇前は課題本を理解できずリタイヤした夢を⾒た。それほど追い詰められているのかもしれない。今週末に控えた全⽇本⼤学読書完走文⼤会に。

 物⼼ついた頃にはすでに本を読みながら走っていた。プロのリーディングランナーだった⽗は遊びの⼀環だと、⼩さな⼿に⽇本昔話を持たせ背中を押した。よく転び、そのたびにぐすぐす泣く幼い私に⽗は厳しかった。
「転ぶのを恐れたら負けだ」
 ⽗の⼝癖は今でも呪いのように胸の奥に刻まれ離れない。
「お⽗さん、かっこよかったじゃない。これしか知らないのよ、許してあげて」
 ⺟はそう⾔って慰めたが、現役だった⽗の姿を私はよく覚えていない。⺟に抱きかかえられ沿道で声援を送った記憶が少し残っているだけだ。引退したのは、確実視されていた世界選⼿権の代表枠から外された翌年。挫折を味わった⽗が⾒つけた希望が私だった。ランドセルを背負った私を待ち構える⽗は⻤に⾒えた。来る⽇も来る⽇も本を持たされては走らされ、それが嫌で⽗に反抗した。
「⾃分の夢が破れたからって私に託さないで! 私には私の⼈⽣があるの」
 ⽗が私たちの前から姿をくらましたのはその⼀週間後だった。⽣活のために働かざるをえなくなった⺟を⾒ながら⽗を憎み、つくづく⾃分勝⼿な⼈だと呆れた。
 ⾵向きが変わったのは、全⽣徒参加しなければならない⾼校の読書完走文⼤会だ。⽗の束縛から逃れ、読書も走るのもやめていたのに、
「文字の羅列がすごくキレイ! こんな完走文どうやったら描けるの?」
 私は⾼得点をたたき出し、クラスメイトから賞賛された。他にこれといった取り柄のない私はまんざらでもなく、そのノリでかり出されたインターハイに出場した。
「きっとお⽗さんの遺伝ね」
 ⺟は喜んだが、癪に障った私はつっぱねた。
「結果は⾃分の努⼒でしょ。お⽗さんいなくても⾼得点出せるもん」
 ⽗の⼒を頼らず⼀⼈前になること、それこそが⽗への復讐だと胸に落とし込むと、読書も走ることも新しい章に進めた。

 ⼤学からスカウトされると、全⽇本⼤学読書完走文⼤会で優勝するという⽬標ができた。本格的に練習に取り組むと、それまで⾃分がいかにいい文を描いてやろうと打算を働かせていたかに気づかされた。
「本を持つ肘の⾓度をもう少し開けてみて。そう、走り出しはゆっくりでいい。まっさらな気持ちが⼤事。
ただ純粋に本と向き合い、⼼を研ぎ澄ませ物語に浸かって。走るリズムに合わせて文字を追って」
 ゴールテープを切ったと同時に、脳波キャップがタイムアップする。完走文は脳波キャップと同期していたICチップによってはじき出され、ゴール後ランナーも初めて⾃分の完走文を⽬にする。データベースから抽出される⾔葉はランナー⾃⾝の⼼の揺れ幅に左右され、時に⼤胆に、または繊細に、文字で描かれた模様は⾔葉の芸術そのものだ。⼼拍数をおさえつつフィニッシュするまでに課題本を読み終えるには、体⼒はもちろん猛禽類並みの動体視⼒とAI張りの瞬発⼒と読解⼒が必須となる。美しい完走文を仕上げるには課題本との共鳴が鍵を握る。あとは⾃分を信じるしかない。

 うってつけの読書完走文⽇和だった。
 テレビの中継⾞が何台も待機していた。ウォーミングアップしたあとシューズの紐を結んでいるだけで緊張感が半端ない。脳波キャップをかぶったライバルたちもストレッチしたり瞑想したり、それぞれ本を迎える準備を整えている。
 スタート時に⼿渡される作品は作家の書きおろし。短編もあれば⻑編もある。難解な作品は描かれる文字も複雑になり、読破できずリタイヤする選⼿も少なくない。スタート⼗分前。審判員から選⼿に課題本が差し出された。思いのほか薄く、ページ数は百ページにも満たない。おそらく⼀筋縄ではいかない難読系だ。タイトルはあえて書かれていない。
 ライバルたちがスタートラインに並び、私も本を⽚⼿に前傾姿勢をとる。
 パーン!
 合図の⾳で⾜を踏み出すと同時にページをめくった。
 センテンスの⻑い⼀⼈称の文章だったが、作者独特のリズムに乗ると主⼈公の声が早くも胸に染みこんできた。いつも思うがそれはここではないどこかに連れ去られるような不思議な浮遊感。単なる文字の羅列から映像が浮かび上がる。読み進めるうち、親に⾒放された娘の物語だとわかる。⾃分の境遇と重なる⾯が多く、もしや私に有利な課題本だったのではないか、そう訝いぶかるものの驕りは文字列を乱すゆえすぐに考えを打ち消し、残りの距離と本の進み具合を鑑みた。
 後半、⼀番の難所である坂道が⾒えた。登りながら感情が苦しみに⽀配されぬよう、物語への没⼊感をできるだけ維持しようと構えたその時、少し前を走っていたランナーが転倒した。きっと読む作業と走る動作のバランスを崩したのだ。膝から⾎を流すランナーを横⽬に⾜の回転数が下がっていく。それなのに⼼拍数は上がる。焦燥感に駆られながら最後の折り返しをまわろうとした時だった。
「焦るな」
 その⾔葉が胸元をすり抜けた。神経が研ぎ澄まされていると、時に沿道にいる⼈たちの⼼の声までキャッチしてしまう時がある。そのため⽀障なく淡々と読み進め、走る鍛錬もしてきた。なのにまた声が⼼の隙を狙って⼊り込む。
「転ぶのを恐れたら負けだ」
 お⽗さん? 沿道から響いてくる声の出所に視線を走らせると、警備員の背後で不安そうにこちらを⾒つめる男がいた。お⽗さんに似ているが、あんな弱々しい表情をみたこと
がないので別⼈のようにも⾒える。ざわついた。ページを繰りながらも、⼼は別の物語を追ってしまう。
「もう少し優しく教えることはできないの?」
 ⽗と⺟の会話を盗み聞きした⽇のことを、よりによってこんな時に思い出すなんて。
「優しくするのは簡単だ。あの⼦は⽢やかすといい気になる」
 事実、⼤会で結果を残してきた私には慢⼼があり、コーチにひとりよがりの誤読を何度も指摘された。
「だったらもう少しゆとりを持たせてあげたら?」
「集中させないと怪我させるだけだ」
 注意⼒の⽋如もそうだ。それによって読む、走るの両輪が崩れ、転んで怪我したことは数知れない。
 あの時、私はダメな⼦とレッテルを張られたようでひどく傷ついた。⾃分は⼈より⼿がかかるのだと。でも違う。今ならわかる。リーディングランナー⼀筋で育った⽗は読書完走文を通して⽣き⽅を教えてくれていたのだと。私の弱さを強さに変えようとしてくれていたのだと。学校の授業についていけなくてめそめそ
したり、好きな⼈に告⽩できなくてくよくよしたり、友達に迎合するばかりで⾔いたいことが⾔えずやきもきしたり。いつも私は転ぶのを恐れていた。
 流れていく景⾊の中に、転んでばかりの⾃分が堀りおこされて物語が⼊ってこない。走っても走っても⾏間をまごまご⾏ったり来たり、ライバルたちに抜かれますます思考が乱れた。
 私はいったいどこへ向かってるの?

 ゴールテープを切っても本を閉じることができなかった。完全な敗北だった。⽬の前に打ち出された完走文は、それでも文字でぎっしり埋められていた。熱を加えて炙り出される絵のように感情的で、そこには胸の奥にためこんでいた⾔葉が描かれていた。誤字脱字が多く、とても美しいとは⾔えない。なぜならそれは途中から、⽗への想いにあふれた⼿紙になっていたからだ。どうしていなくなったの? 私たちを捨てたの? 会いたいよ。
 あの時、⾔えなかった⾔葉が吐露されていた。
「コーチ、すみません。⼼の乱れを修正できませんでした」
「お⽗さんがいたからだろう」
「えっ」
「黙ってて悪かったんだけど、実は君のお⽗さん、僕の先輩でね」
 コーチは⾃分が実業団時代の⽗の後輩ランナーで、娘を頼むと懇願されていたことを打ち明けた。
「お⽗さんは誰よりも先に君の才能に気づいたんだと思うよ」
「どうして教えてくれなかったんですか」
「邪念が働くと思ってね。沿道で応援なんかしないって⾔ってたんだけど、いてもたってもいられなかったんだろうね。先輩らしいよ」
 ⽗はどんな想いで読書完走する私を⾒ていたのだろう。
「動揺させて悪かったなって⾔ってたよ」
「ほんとですよ。つくづく⾃分勝⼿な⼈です。娘が動揺しないとでも思ってたんですかね」
「でもね、お⽗さんも本を⼿にまた走り出したんだよ」
「今さらですか? なにをがんばるっていうんですか?」
 どうしてもひねくれた⾔い⽅しかできない。
「全⽇本マスターズに向けて」
 年代別に記録を狙う⼤会だ。テレビ放映もされない地味な⼤会だけれど、年に⼀回、夢に向かって全国から猛者たちが集まるのは知っている。
「優勝したら家族に会いに⾏くって⽬標をたてたみたいだよ」
「そんな⽬標たてなくても会いにくればいいじゃないですか」
「それが⾃分のケリの付け⽅だって。逃げてきた⼈⽣を恥じてるんだよ、きっと」
 私たちのやりとりを⽗は競技場のどこかからのぞき⾒している気がして、気弱な⽗に私からカツを⼊れたくなる。
「じゃあ私からも伝⾔を伝えてくれますか? どっちが早く夢を叶えるか勝負しましょうって」
「悪くない提案だね」
「問われるのは転んだあとだ、って」

出典:https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/machizukuri/kotoba/bocchan.html#cmsCDF05