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第8回「小説でもどうぞ」選外佳作 瞳の奥に沈む/朝霧おと

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第8回結果発表
課 題

うそ

※応募数327編
選外佳作「瞳の奥に沈む」朝霧おと
 昼休み、携帯でタカラヅカの動画を観ているときだった。後ろで嫌な気配がしてふり返ると、おじさん社員の畑中さんが私の手元をのぞきこんでいた。瞬間鳥肌がたった。
 畑中さんは私の最も苦手な人だ。入社してまだ半年だが、最初の一ヶ月ですでに畑中さんに対して拒否反応が起こっていた。
 仕事はできないのに態度はでかい。足音が大きく、電話の声も異常に大きい。いかに自分が仕事をしているかをアピールしているのだ。三流会社なので畑中さんでも勤まっているのだと思う。私はできるだけ畑中さんにかかわらないようにしてきた。
「うちの娘、タカラジェンヌなんだよね」
 ぼそっと畑中さんが言った。
 えっ? 見上げる私の顔を畑中さんはまじまじと見つめる。そしてニッと笑って立ち去った。
 畑中さんとタカラジェンヌ……ありえない組み合わせだ。そもそも安月給の父親が娘を宝塚音楽学校へ入学させられるわけがない。
 私の父はここよりもう少しましな会社に勤めているが、昔私がタカラヅカを受験したい、と言ったとき、軽く鼻であしらわれた。
「あほか。そんな金ないよ。というか、お前にそんな才能あるけないじゃないか」
 特に美人でもなく、ダンスができるわけでもなく、ただ憧れで言っただけなので、私は簡単にあきらめることができた。そのころから、タカラヅカは美人でお金持ちのお嬢様が行けるところなのだと思い込んでいた。
 あまりかかわりたくない畑中さんではあったが、その日以来、娘さんのことが知りたくて、私は少しずつ畑中さんに近づいていった。
「娘さんの芸名はなんていうんですか?」
 芸名がわかれば顔がわかる。畑中さん似なら、タカラジェンヌは無理だろうから、きっと奥さんが美人で娘さんは奥さんに似ているのだろう。
「芸名は言えないな。娘に言わないように釘をさされているんだよ」
「じゃ、これまで出演されていた公演の名前とか役名とか、男役なのか女役なのかだけでも教えてください」
 畑中さんはそれが癖なのか、じっと私の目をのぞきこんだあとニッと笑った。
「女役だよ」
 あれほど毛嫌いしていた畑中さんだったが、
 そのころは大きな足音も大きな声も気にならなくなっていた。
 けれど同僚の美月は言う。
「うそに決まってるじゃない。あのオッサンの口からタカラジェンヌという単語が出ると、似合わなすぎて笑えるわ。そもそも結婚してるかどうかも怪しい」
 言われてみれば、畑中さんに奥様の影は見当たらない。奥様手作りのお弁当を持ってくるとか、「うちのやつが」という奥様の話も聞いたことがなかった。
 その日の昼休み、私はバレエの動画を観ていた。タカラヅカと同じくらいバレエにも興味があり、子どものころのあこがれは今も持ち続けていた。
「うちの娘がフランスにバレエ留学してるんだよ」
 私の肩越しに声をかけてきたのは畑中さんだった。
「え? タカラヅカじゃないんですか?」
「ああ、あれね、辞めて本格的にバレエのほうに進みたいって言ってね」
 うそだ。タカラヅカでも大変なのに、畑中さんの給料で留学させられるわけがない。
「今、日本に帰ってるんだよ」
 畑中さんのうそを暴くチャンスになりそうだ、と考えた私は「娘さんに会わせていただけませんか? タカラヅカやバレエのことをいろいろ聞きたいんです」と頼んだ。
 どうだ、無理だろう、と思ったのに、畑中さんはあっさりと「ああ、いいよ」と言って居酒屋で会うことを約束してくれた。
 私はその日を心待ちにした。それがどうだろう、畑中さんは悪びれる様子もなく「悪いね、フランス人の彼氏が迎えに来て、今朝あちらに帰ってしまったよ」と言いニッと笑った。その瞳の奥に闇が見えたような気がしたのは気のせいだろうか。
 タカラヅカもバレエ留学もうそ、娘さんの存在だって怪しいものだ。それ以来、私の中の畑中さんは苦手どころか、以前にも増して大嫌いになっていた。
 一ヶ月ほどたった昼休みのことだ。畑中さんはお休みで、久しぶりにストレスのない環境でタカラヅカの動画を楽しんでいたところ、遠くで上司と女性社員の会話が耳に入ってきた。
「もう十三回忌なんですってねえ。早いものですね。畑中さんのカラ元気を見るのが今でも辛いです」
「突然の事故だったものな。美人の奥さんとタカラヅカの娘さん、ほんとに惜しいよ」
 もう少しで声を上げそうになり、私は必死で自分の口元を押さえた。
(了)