第8回「小説でもどうぞ」選外佳作 ある晴れた日の事件/桑島りさ
第8回結果発表
課 題
うそ
※応募数327編
選外佳作「ある晴れた日の事件」桑島りさ
灰色の鳩が俺の足元を呑気に歩いている。
よく晴れた水曜日の昼過ぎ、俺は家から少し離れた公園にいた。
この場所で日中を過ごすのももう十日目。
なぜ平日の昼間に公園にいるのか。それは俺が会社をクビになり、家族にその事実を言えず、出勤するふりをして街中をさまようしかないからだ。最初は図書館やショッピングモールに行っていたが、どうも人目が気になるし、なるべく無駄な金は使いたくない。結局行き着いたのは、ほとんど人のいない近所の小さな公園だった。
そろそろ本格的に職探しをするか。でももう少し現実から目を背けていたい。そんなことを思いながら鳩を見ていた時、携帯が鳴った。妻からの着信。咄嗟に通話ボタンを押してしまう。
はい、と言う間もなく、
「ねぇ、あなた大丈夫なの!?ニュースであなたの会社で立てこもり事件が起こっているって!」
あの会社で立てこもり事件?
「従業員のほとんどが外に出られる状態じゃないって…あなたは無事なの?電話はできるということは犯人とは違う階にいるの?」
「あ、あぁそうだよ。今大変なんだがなんとか電話ができる場所に逃げられて。」
「なんだ、あのビルにいるのは確かなのね。外勤でもしていてくれれば良かったのに。」
そうか、外勤という手があったか。その方が百倍自然だった。毎日が外勤みたいなものだからまったく思いつかなかった。まずいまずいと焦る間にも妻の声のトーンは上がっていく。
「犯人はどんな人?人質はいるの?」
「人質は……島崎部長だ。ほら、あの、この前の忘年会で上司が酔い潰れたって言っただろう。あの人だ。犯人…犯人は男のようだが変装していて年齢はわからない」
俺がクビになった時、ニヤニヤしながら挨拶してきたあいつ。ちょっと人質になってもらうとしよう。
「そうなの……犯人は一人って聞いたけれど本当?どのフロアにいるのかしら?」
「どうやら2階にいるらしい。俺は3階にいるから、もしかしたら隙を見て逃げ出せるかもしれない……が……」
とにかくこの状況から逃げ出したい。早く事件が解決してくれ。
「そんなこと危ないわ。でもこれで大体の状況が分かったわ。実は警察も誰も中の様子がよく分からなくて突入ができなかったの。この情報を警察に提供すればあなたもすぐに逃げ出せるわ」
「け、警察!?」
思わず立ち上がる。足元にいた鳩が勢いにつられて飛び立つ。
「ええ、そうよ。警察に犯人を捕まえてもらうしかないわよ。」
まずい、これは本当にまずい。こんなことになるくらいなら、クビになった当日にでも事実を言えば良かった。ああ今なら簡単に言えるのに。いっそのこと今言ってしまうか。
「あ、あのな。実は俺、今会社にいないんだ。言えなくてすまない。俺はクビになったんだ」
電話の向こうの妻は何も言わない。怒られるか、泣かれるか、もしくは安堵のあまり俺の嘘すべて無かったことに……。
「君には本当に申し訳ないことをしたと思っている。家に帰ったら謝らせてほしい」
しばらく続く無言。
「はい、よく言えました」
不意に肩を叩かれて飛び退く。そこには妻の姿があった。
「あなたが仕事を辞めたのは知っていたのよ。ただいつまでも私に言わないから……。立てこもり事件は嘘。ごめんね」
なんという演技力。俺はまんまと騙されていたのか。いや最初に騙そうとしたのは俺か。
「さあ帰りましょう」
鳩が足下で呑気に歩き始めた。
(了)
よく晴れた水曜日の昼過ぎ、俺は家から少し離れた公園にいた。
この場所で日中を過ごすのももう十日目。
なぜ平日の昼間に公園にいるのか。それは俺が会社をクビになり、家族にその事実を言えず、出勤するふりをして街中をさまようしかないからだ。最初は図書館やショッピングモールに行っていたが、どうも人目が気になるし、なるべく無駄な金は使いたくない。結局行き着いたのは、ほとんど人のいない近所の小さな公園だった。
そろそろ本格的に職探しをするか。でももう少し現実から目を背けていたい。そんなことを思いながら鳩を見ていた時、携帯が鳴った。妻からの着信。咄嗟に通話ボタンを押してしまう。
はい、と言う間もなく、
「ねぇ、あなた大丈夫なの!?ニュースであなたの会社で立てこもり事件が起こっているって!」
あの会社で立てこもり事件?
「従業員のほとんどが外に出られる状態じゃないって…あなたは無事なの?電話はできるということは犯人とは違う階にいるの?」
「あ、あぁそうだよ。今大変なんだがなんとか電話ができる場所に逃げられて。」
「なんだ、あのビルにいるのは確かなのね。外勤でもしていてくれれば良かったのに。」
そうか、外勤という手があったか。その方が百倍自然だった。毎日が外勤みたいなものだからまったく思いつかなかった。まずいまずいと焦る間にも妻の声のトーンは上がっていく。
「犯人はどんな人?人質はいるの?」
「人質は……島崎部長だ。ほら、あの、この前の忘年会で上司が酔い潰れたって言っただろう。あの人だ。犯人…犯人は男のようだが変装していて年齢はわからない」
俺がクビになった時、ニヤニヤしながら挨拶してきたあいつ。ちょっと人質になってもらうとしよう。
「そうなの……犯人は一人って聞いたけれど本当?どのフロアにいるのかしら?」
「どうやら2階にいるらしい。俺は3階にいるから、もしかしたら隙を見て逃げ出せるかもしれない……が……」
とにかくこの状況から逃げ出したい。早く事件が解決してくれ。
「そんなこと危ないわ。でもこれで大体の状況が分かったわ。実は警察も誰も中の様子がよく分からなくて突入ができなかったの。この情報を警察に提供すればあなたもすぐに逃げ出せるわ」
「け、警察!?」
思わず立ち上がる。足元にいた鳩が勢いにつられて飛び立つ。
「ええ、そうよ。警察に犯人を捕まえてもらうしかないわよ。」
まずい、これは本当にまずい。こんなことになるくらいなら、クビになった当日にでも事実を言えば良かった。ああ今なら簡単に言えるのに。いっそのこと今言ってしまうか。
「あ、あのな。実は俺、今会社にいないんだ。言えなくてすまない。俺はクビになったんだ」
電話の向こうの妻は何も言わない。怒られるか、泣かれるか、もしくは安堵のあまり俺の嘘すべて無かったことに……。
「君には本当に申し訳ないことをしたと思っている。家に帰ったら謝らせてほしい」
しばらく続く無言。
「はい、よく言えました」
不意に肩を叩かれて飛び退く。そこには妻の姿があった。
「あなたが仕事を辞めたのは知っていたのよ。ただいつまでも私に言わないから……。立てこもり事件は嘘。ごめんね」
なんという演技力。俺はまんまと騙されていたのか。いや最初に騙そうとしたのは俺か。
「さあ帰りましょう」
鳩が足下で呑気に歩き始めた。
(了)