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第8回「小説でもどうぞ」佳作 親密な夫婦/伊吹せきと

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第8回結果発表
課 題

うそ

※応募数327編
「親密な夫婦」伊吹せきと
 私の誕生日パーティーと称する食事会が今年も開催された。私は、どうでもいいのだが、妻が開催することに拘っている。私は足が不自由なため、外出をあまりしない。そのため、会場は自宅のリビングで開催している。それでも、我が家は高層マンションの最上階にあり、都心の一望できるほど見晴らしがいい。招待した客人がいつも羨望の声を上げるほどだ。
 私は妻の友人夫婦と談笑しながら、妻の手料理を味わう。至福の時だ。私は、昔の記憶が少し曖昧なところがあって、自分の方からあまりしゃべることはない。もっぱら、参加者が話すことを聞くことに徹している。妻によれば、昔の食事会で私が酔って失態を演じたことがあったようだ。だから、しゃべらないことにしている。
 食事会が終わり、キッチンで片付けをしている妻のもとに私は足を引きずりながらゆっくりと歩いて行き、
「ありがとう、今年もいい誕生日会だった。本当に感謝している」
 と言って、妻を抱きしめた。
「いいですよ、私はあなたの役に立つことが私の幸福ですから」
 と、妻は少し照れながら答えた。
 この誕生日会は今年が最後になるだろう。私の命はもう長くはない。肺がんでステージ四と宣告された。主治医から手術は無理で、余命半年だろうと診断されている。
 五年前に沖縄旅行に行った際に、私は飛行機事故に遭った。私の乗った飛行機が着陸に失敗して滑走路の先の水辺に突っ込み、乗客の半分がなくなったと聞かされた。そのショックから事故以前の記憶がほとんどない。病院に担ぎ込まれてから何日かして妻が現れて、それから献身的に尽くしてくれる。私は体の右側と顔に大きな傷を負った。顔面は何度も復元手術をしたが、結局元の顔に戻すことはできず、いつもサングラスとマスクをかけて顔を覆っている。
 しかし、少しずつ思いだしてきた。私には妻も家族もいなかった。仕事に行き詰まり、人生に絶望してどこかの岬から飛び降りて死ぬつもりで沖縄に向かったことを。
「実は、」といつか、本当の事を言おうと思いながら過ごしてきたが、いざとなるとなかなか言えず、それに妻も何かはずらかしてしまう。

 誕生日会から三週間後、私は容態が急に悪化し、緊急入院となった。食事も喉から通らず、点滴でとるだけで、呼吸器用のマスクをつけられ、体はどんどん衰弱していきほとんどしゃべることもできなかった。
 それでも、妻は私のベッドの横にいて私の手や足を献身的に擦ってくれた。
「真実を言えず、このまま死んでいく自分が情けなかった」
 痛み止めで朦朧として、ほとんど寝たままになっていたが、耳だけは聞こえていた。病室に見舞いに来た者と妻の会話がなんとなく聞き取れた。
「お姉さん、お兄さんの看病は大変でしょう」
 妻の妹が見舞いに来たようだ。
「そうね。でも、ようやく終わるわ」
「いいの。そんなことを言って、お兄さんに怒られるじゃないの」
「いいわよ、恵美子。でも、あなたもうすうすわかっていたでしょう。この男が、信一郎さんじゃないことを」
「そう、なんかそんな気はしていたわ」
「信一郎との関係は、五年前から壊れていたのよ。沖縄には愛人と一緒だった。離婚届も書いて、信一郎に渡したわ。旅行から帰ってきたら、提出するつもりだったようね。
 でも、飛行機事故に遭ったと知らせが来て、急いで沖縄に向かったわ」
「でも、どうしてこの男がお兄さんと入れ替わったの」
「偶然ね。多分、席が隣だったと思うわ。この男の発見された近くに信一郎の免許証入れが落ちていたの。この男は、何も身分証はなかった。夫が生きていることにすれば、遺産が全部私にものになる。そう思ったの。
 愛人も飛行機事故で亡くなっていたからね。
 この男は、重症だった。半年ぐらいで亡くなると思ったのに。五年も生きたのよ。仲のよい夫婦を演じるために誕生日会まで開いたわ。この男も最初は記憶が曖昧で扱いやすかったのに少しずつ取り戻してきて、少しヒヤヒヤしたわ。でも、ようやく終わりよ。」
(了)