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第7回「小説でもどうぞ」佳作 離婚写真/朝田優子

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第7回結果発表
課 題

写真

※応募数327編
「離婚写真」朝田優子
 私のどこが悪かったのだろうか。
「離婚したい」
 夫ははっきりと言い放った。理由は聞かないでほしい、君が受け入れてくれたらすぐにこの家を出ていく。昨夜、そう言い残して寝室に消えた。
 一晩経った今でも信じられない。寝不足でだるい体を引きずって、なんとか身支度を済ませる。
 結婚してもうすぐ十年になる。共働きの気楽な二人暮らし。喧嘩もなく、穏やかに過ごせていると思っていたのは私だけだったのかもしれない。ただ、理由は全く思い当たらない。
 それから、夫の拒絶を感じる場面が増えていった。ご飯を残すようになった。帰りが遅くなった。何を話しても生返事。心がもうここにないことが分かる。
「別れたくない。せめて理由教えてよ」
 私が懇願しても、夫は黙りこんだ。苦しそうに表情を歪ませる。苦しいのはこちらのほうだというのに。

 休日、夫は朝早くから出かけて行った。私はそっと彼の部屋に入った。離婚したい理由のヒントが転がっているかもしれない。無趣味な彼の部屋は殺風景だ。本棚に結婚式のアルバムが並んでいた。さりげなくそれを取り出して開く。彼とのツーショットは結婚式の写真くらいしかない。彼は根っからの写真嫌いだ。見た目にコンプレックスがあるからだと言っていた。たしかにぽっちゃりした体型だし、イケメンとは言い難いけれど。しばらく結婚写真を眺めていると、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。こんなことになるなんて、知る由もない当時の自分の笑顔が情けなくて腹立たしい。アルバムを乱雑に戻して、しばらく部屋中を探し回ったけれど、これといって目ぼしいものはなかった。
 彼の頑固な性格は身をもって知っていた。離婚したい理由を言わないと彼が決めたのなら、私が知ることはないだろう。

 次の日、髪を染めなおした。化粧も少し派手にした。自分のためだけに一人分の食事を丁寧に作った。彼は外で食べているようで、そんな私を見ても何も言わなかった。当てつけだ。私はわざと独身時代に戻ったかのように振舞ってみせた。
 ある時、職場で同僚に声をかけられた。
「最近、雰囲気変わったね」
「そうかな?」
「明るくなった気がする」
「なんかふっきれたかな。もう色々馬鹿らしくなっちゃって」
 彼から離婚を切り出されて一カ月ほど経っていた。もういいや。やっとそう思えた。

「もういいよ、別れよう」
 リビングのテーブルに向かい合って座って、ついに私は敗北宣言を出した。彼はほっとしたように見えた。
「最後に記念写真でも撮ろうか」
 彼の言葉に耳を疑った。
「なにそれ、結婚写真じゃあるまいし。離婚写真? 年賀状にでもする?」
 私の自虐に彼は声を上げて笑った。笑うところを久しぶりに見た。彼が写真を撮りたいと言うなんて、初めてではないだろうか。もう二度と会うこともないだろう。私は彼の案に乗った。
 テーブルにカメラを置き、タイマーをセットしてから彼の隣に座った。
 十秒前。
「やっと笑うようになったな。ちゃんとご飯も食べてるし」
「ちょっと、今喋らないでよ」
 五秒前。
「君はもう大丈夫だ」
「何言ってるの?」
 二秒前。
「自分のために生きるんだよ」
 フラッシュが光り、シャッターの電子音が鳴った。私は椅子から立ちあがり写真をチェックした。
 私の隣には誰も写っていない。
 当たり前だ。だってもう夫はこの世にいないのだから。
 一年前だった。心筋梗塞だった。突然だった。分かっていた。あとは、事実を受け入れるだけだった。
 写真の中の私は一人ぼっちで、泣いているのに笑っていた。夫は結局、最後まで写真に写ることを拒んだ。本当に頑固な人だった。
 顔を上げ、振り返る。もちろん誰もいない。
 明日は休日だ。シーツを洗濯して、買い物に行って、それから……。明日の予定を頭の中に思い描きながら、カメラの電源を切った。
(了)