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高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」選外佳作 白い恋/夏野ちえり

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ

第1回 高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」 佳作

白い恋
夏野ちえり

 真っ暗で寒くて星が見えていた朝の5時も、夏が近づくにつれ、うっすらと明るくなっている。太陽がギラギラする前に家に着かなければ、灰になってしまうのじゃないかってくらい、私は長年夜の仕事をしている。奨学金の返済のために始めたキャバ嬢からそのまま居着いてしまい、8年。転職するにしても実入りを考えるともう、薄っぺらいドレスを脱ぐしかない。それも何年できるだろうか。今更ながら、一度は昼間の仕事についておけば良かったと後悔している。

 寝る前のビールを買いにコンビニに入ると、見慣れない若い男子が雑誌を並べていた。いつも買う雑誌の発売日だったことを思い出し、陳列が終わるまで化粧品の棚を眺めていた。

「おはようございます」

 耳元から声をかけられリップを触ろうとしていた手を止めるとさっきの店員だった。

「雑誌、お待たせいたしました」

「え?」

「待っていてくださったんですよね」

 胸の名札をみると「三木」と書いてあった。

 たぶんまだ学生のミキ君が、今日はいるだろうかとコンビニを覗くのが私の楽しみになった。そして心の中でミキ君の名前を呼びながら眠るようになっていった。もうすぐ来る私の誕生日に思い切って声をかけて、連絡先を教えてもらおうかな。

 明け方のコンビニに女子大生風の若い女の子がバイトに入ってきた。ミキ君に馴れ馴れしく話しかける。どうやら同じ大学らしい。青い制服で並ぶ二人の姿を見ているとなんだかペアルックをしている若い夫婦みたいに見えて、首の下あたりが苦しくなってきた。私はいつもより早く会計を済ませてコンビニを出た。

 自分の歳を考えるときっとあの子の方がお似合いだろう。もしもう一度やり直せるならちゃんと大学生をしたかったな。夜の仕事なんかに足を踏み入れずに昼間の仕事についていたらこんなことにならなかったかな。やっぱり私なんか、あんな表街道を歩いている爽やかな青年と合うわけないよな。明日から帰る道を変えよう。早足で歩いていると急に足がふわっとした。ハイヒールのカカトがグキっと体の外側に倒れ、私はバランスを崩して尻もちをついた。

 手にべちゃっと泥のようなものの感覚がある。

「いたた!」

 手の方を見ると地面が白い。顔をあげると四方がオフホワイトの空間に私はいた。はるか上の方に黒い円があり、そこからさっきまでみていた空がのぞいていた。

 パンパカパーン!

 ファンファーレが鳴った。

「ようこそ、オレの城へ」

 いつのまにか目の前にバランスボールくらいの大きさのベージュ色の玉があった。

「はあ?」

「お前、処女だろ」変に高い子供っぽい男の声だ。

「何言ってんの、なんなのよあんた」

「オレはトーフ王子だ。豆腐ばかり食べているもうじき30歳でも処女のかわいそうな女の前に一度だけ現れる」

「確かに胸を大きくするために豆腐ばかり食べているけど、意味わかんない」

「一箇所だけ、お前が変えたい場所を遺伝子組換えしてやるぞ」

「はあ? なんでも変えてくれるわけ?」

「おう、ただし」

「ただし何よ」

「三十になるまでに処女を捨てなかったら、元に戻らないばかりか! 元に戻らないばかりか!」

 あいづちをいれないと先に進みそうにないのでしかたなく声をだす。

「何が起こるって言うの。早くいいなさいよ」

「豆腐にしちまうぞ」

「だったら何よ」

「オレは豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえと言われたけれど死ねなかった少女の怨念がつくった大豆の妖精なのだ。だから豆腐にしちまうぞ。柔らかいぞ」

「意味わかんない。もういいよ。豆腐でもなんでも。あたしの人生終わっているんだから。ミキ君の好きな顔になりたい! ミキ君が一目惚れしちゃうような顔にしてよ」

「お安い御用だ。でも誕生日までに処女を捨てないと」

「大きなお世話よ。豆腐でも油揚げでもなんでもいいわよ」

 気がつくと私はいつもの帰り道にいた。スマホのカメラを起動して顔をみるが変わっていない。

「なに、あれ、もう。嘘ばっかり」

 なんだか色々バカらしくなった。豆腐になるつもりで昼間の仕事を探してみよう。ちゃんと胸をはって恋ができるような生活をしてみよう。何か資格も取ろうかな。

 歩き始めようとすると足音が近づいてきた。

「あの」

 怖くて走ろうとしたら、

「待って」と聞こえてきた声がミキ君のような気がした。

「よかった。商品忘れていったので、追いかけてきたんです」

 諦めようとしていたのに、顔をみると心が揺らぐ。

 買ったものを忘れていたことも恥ずかしくて下を向いたままお礼をいった。

「ありがとうございます」

「あの、いつもご来店ありがとうございます」

「いえ」

「失礼かもしれないのですが、こんな時しかお話できるチャンスがなくて。連絡先を教えていただけませんか」

 もしかして期待してもいいのかな。私の顔がミキ君好みだったかもって。豆腐にならなくてもいいのかもしれない。私はまだぼんやりとミキ君の手のレジ袋を見ていた。

(了)