高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」選外佳作 白い恋/夏野ちえり
夏野ちえり
「おはようございます」
耳元から声をかけられリップを触ろうとしていた手を止めるとさっきの店員だった。
「雑誌、お待たせいたしました」
「え?」
「待っていてくださったんですよね」
胸の名札をみると「三木」と書いてあった。
手にべちゃっと泥のようなものの感覚がある。
「いたた!」
手の方を見ると地面が白い。顔をあげると四方がオフホワイトの空間に私はいた。はるか上の方に黒い円があり、そこからさっきまでみていた空がのぞいていた。
パンパカパーン!
ファンファーレが鳴った。
「ようこそ、オレの城へ」
いつのまにか目の前にバランスボールくらいの大きさのベージュ色の玉があった。
「はあ?」
「お前、処女だろ」変に高い子供っぽい男の声だ。
「オレはトーフ王子だ。豆腐ばかり食べているもうじき30歳でも処女のかわいそうな女の前に一度だけ現れる」
「確かに胸を大きくするために豆腐ばかり食べているけど、意味わかんない」
「一箇所だけ、お前が変えたい場所を遺伝子組換えしてやるぞ」
「はあ? なんでも変えてくれるわけ?」
「おう、ただし」
「ただし何よ」
「三十になるまでに処女を捨てなかったら、元に戻らないばかりか! 元に戻らないばかりか!」
あいづちをいれないと先に進みそうにないのでしかたなく声をだす。
「何が起こるって言うの。早くいいなさいよ」
「豆腐にしちまうぞ」
「だったら何よ」
「オレは豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえと言われたけれど死ねなかった少女の怨念がつくった大豆の妖精なのだ。だから豆腐にしちまうぞ。柔らかいぞ」
「意味わかんない。もういいよ。豆腐でもなんでも。あたしの人生終わっているんだから。ミキ君の好きな顔になりたい! ミキ君が一目惚れしちゃうような顔にしてよ」
「お安い御用だ。でも誕生日までに処女を捨てないと」
「大きなお世話よ。豆腐でも油揚げでもなんでもいいわよ」
「なに、あれ、もう。嘘ばっかり」
なんだか色々バカらしくなった。豆腐になるつもりで昼間の仕事を探してみよう。ちゃんと胸をはって恋ができるような生活をしてみよう。何か資格も取ろうかな。
「あの」
怖くて走ろうとしたら、
「待って」と聞こえてきた声がミキ君のような気がした。
「よかった。商品忘れていったので、追いかけてきたんです」
諦めようとしていたのに、顔をみると心が揺らぐ。
買ったものを忘れていたことも恥ずかしくて下を向いたままお礼をいった。
「ありがとうございます」
「あの、いつもご来店ありがとうございます」
「いえ」
「失礼かもしれないのですが、こんな時しかお話できるチャンスがなくて。連絡先を教えていただけませんか」
もしかして期待してもいいのかな。私の顔がミキ君好みだったかもって。豆腐にならなくてもいいのかもしれない。私はまだぼんやりとミキ君の手のレジ袋を見ていた。
(了)