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高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」佳作 もう嫌だ/諸井佳文

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小説でもどうぞ

第1回 高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」 佳作

もう嫌だ

諸井佳文

 目が覚めたら五時四五分だった。しばらく布団のなかでごろごろする。六時になった。もうすぐ母が起きる。一階からがたがたと音がするはずだ。

 十五分になった。音がしない。着替えて恐る恐る一階に降りてみる。居間のカーテンはしまったままだ。母の部屋に行ってみる。母は布団のなかだった。眠っているように見える。頬をつんつんしてみる。反応がない。

「お母さん、朝だよ」

 声をかけたがやはり反応はない。

 もしかして、死んでる?

 昨夜の残りを適当に温めて朝食をとる。どうしよう? 十年前父が死んだとき、葬式は母がすべてを仕切った。葬式とか面倒くさい。五年前会社を辞めてから、母の年金で養ってもらっている。母が死んだら生きていけない。

——死のう

 通っている精神科で貰った睡眠薬がいっぱい残っているから、全部飲んだら死ぬはずだ。あとのことはいっぱいいる親戚がなんとかするはずだ。そうと決めたら気が楽になった。もう職安の松田さんに説教されることもない。どうせ駄目だと知りながら、緊張して面接を受けることもない。思い残すこともない。——いや、ある。

 九時になるのを待って、近所のスーパーマーケットに行った。果物売り場に直行する。一番目立つ場所にそれはあった。

——シャインマスカット

 ずっと食べたかったが、物凄く高価だった。母はうちのように貧乏な家庭は食べてはいけないと命令を出した。最後に食べて死にたい。一番キラキラしているような気がするものをかごに入れ、レジに向かった。

「二一三八円です」

 やっぱり心臓が締め付けられる金額だ。

「くじが一回できます」

 レジのおばさんが、くじ券を一枚くれた。いまこのスーパーマーケットでは、二千円で一枚くじ券をくれる特売をやっているらしい。これから死ぬのにくじなんてと思いながら、くじをやっているブースに行く。今まで生きてきて、参加賞以外のものを貰ったことはない。投げやりな気分で、くじ引き機を回す。コロンと金色の球が出てくる。

「おめでとうございます!」

 担当のひとが興奮して鐘を鳴らす。一等賞が当たってしまった。商品は県内の老舗旅館の宿泊券だった。目録を見たら、大きな蟹が鎮座する夕食の写真に目が釘付けになる。食べたい。行きたい。食べたあとに薬を飲めばいい。迷惑をかけるけれど、老舗だから慣れてるはずだ。でもそこに行く旅費は自分なければいけない。服もそれなりにパリッとしなければ。お金が必要だ。

 お金を引き出しに銀行に行った。十万ぐらいおろしちゃおうか? 服を買うのは久しぶりだ。浮わついた気分でいたら、突然物凄い力でうしろから羽交い締めにされた。

「みんな動くな!」

 わたしを羽交い締めにした男がわめく。頭に硬いものが押し当てられる。銃?

「俺の言うとおりにしなければ、こいつを撃つぞ!」

 銀行にいる全員がこっちを見てる。

「この袋にありったけの金を入れろ! 急げ!」

 銀行強盗が袋を銀行員さんに投げる。ちょっとわたしをつかんでいた力がゆるむ。わたしはその隙に手を振りほどいて、銀行強盗に対峙した。

「撃つぞ!」

 全然怖くない。だって死ぬ予定なんだもの。銀行強盗はわたしの額に銃口をあてる。 わたしは催促した。

「どうぞ撃ってください」

 銀行強盗は撃ってこなかった。

「畜生!」

 銀行強盗はピストルを捨てると、逃げ出した。そのあとを男の銀行員さんたちが追いかけて、タックルをかけて地べたに倒した。

 ピストルは安物のモデルガンだった。

 それからはジェットコースターのようだった。銀行の偉いひとたちが、かわるがわる「怖くなかったですか? よくモデルガンってわかったね」と話しかけ、そのつど「映画で観たことがあって……」とお茶を濁した。その後、警察のひとも来ておなじようなことを聞かれた。銀行強盗を未然に防いだので、表彰されるとも言われた。すべて終わって解放された時、すでに夕方になっていた。

 いったいいつ死んだらいいんだろうと、漠然と思案しながら家に帰ったら、家に灯りがついていた。

 母は熟睡していただけだった。

 普通の夕食が始まった。

(了)