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みぞれ

#第34回どうぞ落選供養 第34回に応募していませんが、過去の落選作品を供養します。反省を踏まえて書き直しました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『宛先』(お題:トリック)  繁忙期の半ばを迎えた早朝に異変は起きた。体の節々に拭いきれない疲れを感じながら、勤務先の公認会計士事務所に出勤した。  フリーデスクに空席を見つけ、席に座った。背伸びをすると、パソコンを起動させた。メールの確認を始めると、三歳年下の藤堂先輩からメールが届いていた。 「現時点で、確認状に関する業務を私が担当しておりますが、業務を引き継いで頂ければと存じます。適宜メールを共有しておりましたため、業務内容についてはご存じかとは思いますが、ご不明点等ございましたら、お気軽にご連絡下さい。お忙しいところ恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします」  メールを読み終えると、舌打ちをした。ひ弱で頼りなさそうな優男が、脳裏に浮かんだ。  メールを見返すと、チームリーダーである大島さんも、メールの宛先に入っていた。スマートフォンを手に取ると、迷いなく大島さんに電話をした。  電話が繋がるまでの時間が永遠に続くように感じた。寝ぼけた声が、「はい、大島です」と名乗った。俺は、早口で捲し立てた。 「先ほどの藤堂さんからのメールをご覧になりましたか」 「おう、俺も見たよ。もともと確認状は高坂君の担当じゃなかったっけ」 「忙しかったんで、藤堂さんに引き取ってもらったんです」 「高坂君より年次の高い藤堂君のほうが忙しいだろうに。高坂君の作業まで引き取るなんて、藤堂君は優しいな」  大島さんの口調には、同情が込められていた。スマートフォンを強く握りしめた。語気を強め、自分の正当性を主張した。 「繁忙期の真っ只中に業務を返されても、困ります」 「分かった、分かった。藤堂君に電話してみるから、少し待ってくれる?」  家庭持ちで十歳年上の大島さんの力強い言葉に、胸を撫で下ろした。  やはり上司や先輩と呼ぶべき存在は、周囲の状況を俯瞰できるような、年上であるべきだ。  落ち着きを取り戻し、未読で溢れかえっているメールボックスの確認を再開した。全てのメールの確認を終え切れていない中、早くも五分後に大島さんから電話が架かってきた。 「藤堂君に電話して事情を聞いてみた。単刀直入に言うと、藤堂君から業務を引き継いでくれないか」 「何でですか。今からなんて、迷惑ですよ」 「高坂君、君は半年前から理由もなく、藤堂君からの仕事の依頼を断って、逃げていたそうだね」 「逃げてなんかいませんよ」 「高坂君さ、いつも定時過ぎに上がっているよね。仕事を片付けてくれるんだったら、早くに上がっても、全く問題ないと思っている。だけど、藤堂君は、高坂君がすべき仕事を片付けるために、日付が変わっても、毎日仕事をしていたそうだよ。藤堂君のほうが先輩である分、普段から、難易度の高い業務をこなして忙しいんだよ」  信頼していた大島さんの裏切りに、沸々と怒りが湧き、腑が煮え繰り返った。 「今日中に引き継ぎのミーティングをオンラインですると聞いたから、適切に業務を引き継ぐように。よろしく」  電話の切れる無情な音がした。メールボックスに新着メールが届いた。  藤堂先輩から引き継ぎのミーティングの会議招集が届いていた。「承諾」を押そうとしたが、藤堂先輩の顔を思い出し、「仮承諾」を押した。ミーティング中に、パソコンの画面上に現れた藤堂先輩の顔は、いつも通り、気弱で頼りさそうだった。  翌日から、チームメンバーの俺に対する態度が、腫れ物に触るような態度になった。繁忙期の後半に差しかかった頃には、他のチームでも、俺に警戒の眼差しが向けられるようになった。  ようやく繁忙期が明けた打ち上げの夜。仕事の都合で少し遅れて打ち上げの会場に到着した。半個室から大島さんと藤堂先輩の声が聞こえてきた。 「それにしても、大変だったな。後輩からの逆パワハラみたいなもんだろう?」 「正直、僕も腹を立てていましたが、高坂君も忙しそうでしたから」 「もっと早く俺に相談してくれれば良かったんだよ。俺は新卒からの働きぶりをみて、藤堂君を信頼してるんだから。それにしても、高坂君の年齢蔑視は資格社会の中では致命的だな」  半個室に入れないまま、耳をすましていた俺は、鳥肌が立った。  藤堂先輩が仕掛けたトリックに、ようやく気付いた。  何故、態々、メールの宛先に大島さんを入れたのか。チームの監督者に状況を共有するためではなかった。  大島さんが、俺より藤堂先輩の言葉を信じると確信した上で、藤堂先輩は賭けに出た。藤堂先輩は、冷静に俺を観察し、俺が大島さんに電話をすると予測し、勝利した。  半個室に足を踏み入れた。酒が入り陽気に笑い合っていたチームメンバーの顔から、感情が失せた。空席を探すと、藤堂先輩の隣しか空いていなかった。  黙って藤堂先輩の隣に腰掛けた。藤堂先輩が俺に対して笑みを浮かべた。 「繁忙期も終わりつつある中、お忙しいなんて、今日は何かハプニングでも起こったんですか」  藤堂先輩の人畜無害な笑顔が、急に恐ろしくなった。(了)

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