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石蕗

#第34回どうぞ落選供養 #小説でもどうぞ 過去作もOKとのことで、W版「友だち」に応募させていただいた拙作を供養させていただきます! (今読むと、テーマが添えるだけになっていてお恥ずかしいですが) ===== 【リップ・サービス】 「あたしね、好きな人できちゃったかも」  金曜夜の騒がしい店内でも、カナコの可憐な声はよく通った。  私たちの周りでは音の洪水が起こっていた。数年前に流行った邦楽が流れ、店員の元気な掛け声がそれをかき消している。  そして彼らに負けないくらい大きな声で、サラリーマンの集団が何やら語っていた。呂律は回っていない。隣の席の派手なマダム二人も、旦那の愚痴を飽きることなく喋り続けている。  しかし何故だか彼女たちは、時折ちらちらと私に視線を向ける。  居酒屋に若い娘が来るのがそんなに珍しいのだろうか。もしかすると七〇〇ミリリットル入りの巨大なジョッキでハイボールを飲んでいるからかも。あるいは、マダムたちみたいに串に刺された鶏肉を上品に箸で外してから食べず、山賊みたいに真横からかぶりついているから。 「ねえアヤコ、聞いてる? アヤコってば、お酒入ると黙り込むんだから」  カナコはため息を吐いた。聞いてる聞いてる。ちゃんと聞いてるよ。 「気になる人、ゼミの先輩なんだよね。ほら先週さ、卒論の中間発表のあと研究室で居残りしてたじゃん。アヤコ寝てたから知らないかもだけど、先輩が戻ってきてお喋りしたの」  何それ、聞いてない。ゼミの先輩って誰? 村岡さん? 「そう、村岡先輩。何で分かったの?」  だって私たちのことよく見てたから。カナコ目当てなんだろうなぁって、すぐに分かったよ。 「ええっ、そうなんだ。もしかして脈あり? 告白しちゃおうかなあ」  カナコの声は桃色を帯びた。私は唇を尖らせる。  裏切り者。他所に男をつくるなんて。おばあちゃんになるまで一緒に居て、一緒のお墓に入ろうって誓いあった仲なのに。 「誓いあった覚えはないけど……そんな話、したことあったっけ?」  ないよ。だって今言ったもん。 「もう、この酔っ払い。ねえ、告白しちゃっていいかな? アヤコはどう思う?」  そうだねえ。私は頬杖をついた。  村岡先輩のことを思い浮かべる。顔は中の上で、背は普通。口調は穏やかで、女遊びが激しいとかの噂は聞いたことがない。  たまにカナコを見つめる目には分かりやすい下心はなく、優しさに満ちている。誠実な人だ。あまり話したことはないのでシャイな性格なのだろう。今のところ好感度は高い。  高いのだけれど、私にとってカナコは長年連れ添った親友だ。友達は他にも居るけれどカナコとの付き合いがいちばん長い。わが妹のように可愛がっている。  どこの馬の骨とも知らぬ男に、カナコを易々とくれてやるつもりはない。  そう考えたとき、テーブルに置いてあったスマホが震えた。  覗き込んだ画面に表示されていたのは一件のメッセージだった。差出人は村岡先輩。噂をすればなんとやら、だ。 「これから他のゼミ生と飲みに行くから、もし興味があったら来ないかって。場所この近くなんだ。ええっ、行きたいなぁ」  カナコの嬉しそうな声といったら。すでに居酒屋でハイボール飲んでます、しかもジョッキですって返信してやろうか。 「ダメ! もう、意地悪しないで。ほらアヤコ、お手洗い行くよ。お化粧直さなきゃ」  可愛いカナコを易々くれてやるつもりはないけれど、まあ食事くらいならいいか。二人きりではないみたいだし。  カナコに急かされ、私は席を立った。  隣のマダム二人はこちらを見て、まだ何やらヒソヒソと話していた。    *  お会計を先に済ませて化粧室に入る。バッグから化粧ポーチを取り出し、中に収まっている二つの口紅を指先で探った。  私はマットなベージュが好きだけれど、カナコはチェリーピンクを好む。仕方ないなあと思いながら、チェリーピンクを唇に引いた。  それから視線をゆっくりと上げて、鏡に映る姿を見つめる。  肩まで伸びた黒髪には光の輪が差し、頬は水蜜桃のよう。くるんと上を向いた長いまつげが、大きな目をふち取っている。  うん。今日も「カナコ」は、世界一可愛い。 「じゃあね。ほどほどに楽しみなよ?」  鏡の中の「カナコ」にそう告げて、私は眠りについた。  おしまい

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