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村山 健壱

#第36回どうぞ落選供養 では今回からこちらでまず供養することにします。ちーん。 ****「決めていたんだ」村山健壱 (テーマ「アート」) 「お買い上げ有り難うございます」  父はそう言って深々と頭を下げた。僕はレジの奥で難しそうな表情を作りながら目礼をした。あまり愛嬌を振りまかない方が芸術家らしいと教えられて来た僕には、こうする他ない。もちろん僕だって、嬉しいし感謝している。自分の絵を買って下さる方がいるということは、本当に有り難いことだ。でも自信がある。僕の何百倍も父が今この瞬間を喜んでいるということに。  父はとにかく絵を描くことが大好きな少年だったらしい。父の父、つまり僕の祖父はそんな父を誇りに思い、本格的に芸術の道を歩ませようとしていた。祖父も絵画や陶芸に大いに関心があったようだが、何しろ戦後間もない時期だ。その方面に進むことはなく商いで努力した。そして得た財を使い、父に絵を習わせた。もともと好きなことであったため、その力をぐんぐんと伸ばし、小学校高学年の頃は県でも有名な児童だったようだ。  そんな父だったが中学に入って状況が一変する。あまり社交的とは言えない父は休み時間も一人で絵を描いていた。違う小学校から来たやんちゃな男子にとっては恰好の餌食だった。小学校から一緒だった友人たちに助けられることもなく、父は学校に行けなくなった。あの頃はまだ「登校拒否」などと表現され、学校に行きたくても行けなかった子を知っている世代の祖父にとっては到底受け入れられない事態だった。小学生の頃から通い続けていた絵画教室の先生は、教室にだけでも通えればと提案していたようだが、祖父にはあり得ない選択だった。遺影からは温厚な印象を受ける祖父だが、その頃は父に暴力をふるうこともあったという。父によれば、逃げるように布団に潜って漫画と画集とを眺める日々を過ごしていたそうだ。  バブルと呼ばれる砂上の好景気が終わりを迎えるころ、祖父が急逝した。大黒柱を失った家庭と会社を支えるには、部屋から出なければならない。父は決心して外の世界に飛び出した。父の妹である叔母は中学校の美術教諭になっていてとても手伝えそうになかった。祖母や従業員の皆さんが頑張って父が一人前になるまで待ってくださった。高卒認定試験から通信制の大学を経て、父は社長の椅子に座った。それまでに母と出会い、兄、その三年後に僕が生まれている。  決してゆとりがあるとは言えなかったが、会社の経営は順調だった。だから当然、兄も僕も、小さな頃から絵画教室に通ったし、コンテストでも入選した。そうして僕は今、画家として一応の成功を収めている。僕の画廊の経営をみているのは、会社を引退した父だ。会社の方はコンサルティングファームを辞めた兄が世襲し、さらに規模を拡大させている。  子供の頃、兄は僕より絵がうまかった。三歳違えばそう思うのかもしれないが、兄よりいつかうまくなってやる、という気持ちで僕は絵を描き続けた。中学時代の実績はやはり兄の方が上だったが、兄は私立の大学付属高校に入学した。そこで美術部に入ったものの経営学の魅力にはまってそのまま学部を選んで就職した。兄という目標が消えてしまった僕も普通の高校生活を送ろうかと思っていたが、父の強い勧めで県立高校の美術科に進学した。ここで良き師や友に出会えたことが、美大に進み画家として生きることを僕に決心させた。  当日の会計作業を終え、画廊のそばにある自宅に戻った。絵が売れた日の父は本当に機嫌が良い。大きな氷を入れたグラスにウイスキーを注ぎながら、父が笑っている。そんな父を見ていると、自分も幸せになれる。僕自身もやりたいことをやっていると自覚しているから尚更だ。今日は高い値がついたらしくいつも以上に陽気な父に、今なら聞けるかと思い質問をした。 「父さん、ちょっと聞いてみたかったんだけど」  グラスの壁に氷の当たる音が、カランと響いた。 「なんだ?」  僕は自分のグラスに口をつけ、燻した香りを飲み込んだ。 「兄さんがあの高校で、僕が美術科だったのは、なんでだったのかなあ」  父の表情が少し硬くなった。兄はシティボーイ的な暮らしに憧れていたのだろうし、いずれ会社を継ごうとあの頃から思っていたようなことを何度か本人から聞いてはいた。でも父は、本当のところどうだったのだろう。 「うん。どっちかに会社、どっちかが画家。これはおじいちゃんの頃からの願い」 「そうだよね。でもどっちがってのは……」  僕はもう一口、琥珀色の液体を流し込んだ。 「実は決めていたんだ。お前が一歳の時」 「えっ?」 「そうだ、兄ちゃんには黙ってろよ。芸術より実益だと言って聞かせたんだ、あいつには」  ただならぬものを感じて、僕は頷いた。そして父はグラスをテーブルに置き、口を開いた。 「お前はな、ペンをぎゅっと握ってな、紙に丸や線を描くんだよ。あーと、あーとって言いながら」  僕は知っていた。僕の娘がそのくらいの頃、やはり言っていたのだ。「有り難う」と言う場面で。【了】

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