筆が停滞気味で、暇に任せて落選供養エントリー数をカウントしてみました(余計なお世話かも) #第34回どうぞ落選供養:参加数19(自分は不参加でした) #第35回どうぞ落選供養:参加数42(黒田先生コメントに感激!) #第36回どうぞ落選供養:参加数14(やばい収束の兆し?) 最近、読書もはかどらず、「講談社MOOK テレビマガジン特別編集 ウルトラQ EPISODE No.1~No.28 怪奇大作戦 EPISODE No.1~No.26」をクリスマス自分プレゼントと称して買ってしまいそうな自分が怖いです(ネタになるのなら許そうか、どうでも良いことかも) つまらないログなので、亡き母の刺繍を貼っておきますね(天皇の産着に刺繍を入れたことがあるので、結構すごいかも。これを表紙にした本を書いてみたいものぞなもし)
- 陽心
- 藤和
#第36回どうぞ落選供養 例によって落選しておりますので供養します。 タイトル:芸術の徒 いつものギャラリーから段ボールで梱包した絵を搬出する。今回も私の絵は一枚も売れなかった。 煙草のにおいが充満する小さなカフェの壁面を使ったちいさなギャラリー。そこでは毎月企画展が開催されていて、私はそれらに何度も参加している。 このギャラリーで開催される企画展に参加しはじめて何年が経っただろう。企画展に参加するごとに溜まるポイントを使って、このギャラリーで個展をやったこともある。 ちいさなギャラリーとはいえ、個展を開くと決めたときはうれしかった。私の絵をたくさんの人に見てもらえるかもしれないと思った。 でも、いざ個展を開いて在廊してみると、お客さんはほとんど来ない。来る人といえば、他の企画展で売上があった人が清算しに訪れるくらいだった。 そして、個展でも私の絵は売れなかった。 私は一度も絵が売れたことはない。 ギャラリーの企画展に頻繁に出展しているという話をすると、芸術家にでもなるつもりかと鼻で笑われる。周りの人のその態度に傷つくこともできないくらいに、私の心はすり減っていた。 私は別に、アートだの芸術だのを志しているわけじゃない。ただ絵を描くのが好きなだけだ。その絵を誰かに見せたいと思うのは、おかしなことなのだろうか。 そう、私は絵を描いて、誰かに見てもらえればそれで満足なはずだった。 でも、いざ展示会に出して絵が売れないとなるとひどく落ち込んだ。 絵を描きたいのか、それともただ承認されたいのか。もうわからない。承認欲求に描きたい気持ちが潰されていくようだった。 ギャラリーから駅まで歩いて、帰りの電車に乗る。電車には会社帰りの人がたくさん乗っている。 その人達を見ながらぼんやりと思う。この人達のうちどれくらいが、芸術というものに興味があるのだろう。たぶん、興味がある人は一割もいれば上々だろう。だって、私だって正直言えば芸術になんてあまり興味が無いのだ。 絵を梱包した段ボールが入った袋を抱いて俯く。 この世に芸術やアートというものが必要なのはわかっている。それに救われる人がたくさんいるのもわかっている。 けれども私が描いた絵は誰も救えないし。ただただ私自身のことを切り刻むように傷つけるだけだ。 不規則な電車の揺れの方が、よっぽど私を救ってくれる。 ギャラリーの搬出から数日、月に一回の通院日になった。 私は学生時代からずっと心療内科に通っている。就職してパワハラに遭って会社を辞めたあと、この病院の主治医から、希死念慮が消えるまで働いてはいけないと言われた。いわゆるドクターストップだ。だから、もうずっと社会に出て働くということをしていない。 でも、希死念慮というのは消えるものなのだろうか。そんなもの、物心ついたときからずっとあって当たり前のものではないだろうか。人はいつでも死にたくて当たり前ではないだろうか。私には死にたくないという人の気持ちが一切理解できない。 生きていても苦しいだけだ。早く死ねるならその方がいい。それでもまだ生きているのは、自殺をしようとして死に損ねたときのデメリットが、死ぬメリットを遙かに上回るからだ。 動けなくなってなにもできないままに無理矢理生かされるよりは、売れもしない、誰も見向きもしない、下手な絵を描きながらダラダラと自主的に生きている方がまだマシだ。絵を描くことだけが、私がかろうじて死なないでいる唯一のよすがなのだ。 診察室に入る。主治医に近況を話す。いつものようにギャラリーの企画展に参加して、一枚も絵が売れなかったという話だ。 いつもなら、これで話は終わりのはずだった。けれども、今日は私の口が勝手にこんなことを言った。 「もう絵を描くのがつらいです。 でも、描くのはやめられないんです。 私は芸術家になりたいわけでもないのに!」 それから、目からボロボロと涙がこぼれてきた。 「誰か私を殺してよ……」 私の言葉を聞いて、主治医はカルテを見てペンを走らせる。 「とりあえず、お薬調整しましょうか」 薬の調整をされるのは珍しい。それなりに話を聞いてくれる先生ではあるけれど、大抵はなにかしら励ましの言葉をくれたり、対処法を簡単にアドバイスしてくれたりするだけだからだ。 きっと薬を増やされるのだと思う。でも、今さらどれだけ薬を増やされても飲むのに苦労することはない。今だって、毎日手のひらいっぱいの薬を飲んでいるのだから、多少増えたところで誤差だろう。 先生がクリアファイルにいつもの用紙と診察券を入れて、いつものように私に渡す。 「それじゃあ、お大事にしてくださいね」 私は黙ってクリアファイルを受け取って、椅子から立ち上がる。 診察室のドアの前に立つと、主治医がぽつりとこう言った。 「君の悩みは実にアート的だね」
- かずんど
〈アート〉のもう1作のほう、ほかに応用きかないので、落選供養しておきます。どうしても自作に自信が持てず、つくログに投稿するのも不安しかありませんが、これもつくログ仲間との修行と思ってアップします。 #第36回どうぞ落選供養 第36回 課題「アート」応募作品 タイトル:初めて買った絵 氏名:ササキカズト 私は絵を見るのが好きだ。暇さえあれば、美術館やギャラリーなどを見て回っている。 西洋画に日本画、写実に抽象、古典から現代アートまで、あらゆるジャンルの絵が好きだが、一番好きなのはピカソだ。ピカソの自由な絵が大好きだ。 ピカソは人気もあり最も偉大な画家の一人だが、「よさがわからない」と言われることもある。理解出来ない理由として「子どもでも描けそうな絵」というのがあるが、むしろ最大の魅力はそこにあると私は思っている。子どもが描くような絵だからこそ魅力的なのだ。実際私は、幼稚園児や小学生が描く絵も大好きだ。ピカソと同等の魅力にあふれている。 子どもが描いた絵と同等なら、なぜピカソの作品は何億円という額で取引きされるのか。美術史的な価値ということで、ある程度は理解できるが、億という金額は行き過ぎだと思う。 わが家にも、幼稚園に通う五歳のピカソが一人いる。息子だ。わが家の壁には息子の描いた絵がいっぱい貼ってある。クレヨン画がほとんどだが、絵の具を使った絵もある。うちにもピカソと同等の魅力にあふれる絵がたくさん飾ってあるのだ。 「パパ見て、パパを描いたよ!」 わが家のピカソは、絵を描き上げると私のところに見せにくる。 「すごい!上手! 線が元気で素晴らしい!」 褒めてあげると、少し照れたような、それでいて自慢げな表情になり、とても可愛らしい。 「ママにも見せてくる!」 息子はキッチンへと走っていった。私が家族のしあわせを感じるひとときだ。 ある日曜日。私は、ネットの画像で気になった無名の新人の作品を見るため、新橋の小さなギャラリーを訪れていた。狭く小さなビルの二階。四坪くらいの展示スペースに三十点ほどの作品が展示してあった。水彩画で、あまり大きな作品はなく、ちょうど息子が使っている画用紙くらいの大きさの作品が多かった。 どの絵にも一人から数人の人間が描かれている。震えるような輪郭線だけで描かれていて、顔はない。人間というより異形の者という感じだ。スマホやパソコンを操作しているので人間だとわかる。現代人の虚無感や孤独が表現されているのだろう。人物の輪郭線は素朴で味わい深く、どことなくユーモラス。また色合いもとてもきれいだった。私はこの世界観に没入してしまった。やはり絵というものは、有名無名など関係ないのだ。 これらの素晴らしい作品が無名の新人の作であるというのは、付けられた値段でわかる。ほとんどが数万円と安いのだ。しかしどの作品にも売約済みの札が貼られていた。ただ一点、私が一番気に入った作品のみが売れていなかった。 三万円。買えない値段ではない。私はこの日初めて、絵を買ってみたいという衝動にかられた。 肖像画がモチーフなのだろうか、モナリザのように体の前で腕を重ねた、輪郭線だけの人。背景はシンプルな窓とカーテン。明るい印象の絵だった。三万円というのは、中流サラリーマンの私にとっては、気軽に出せる金額ではない。しかしぎりぎり小遣いの範囲で、妻に相談なしでいける額でもあった。私はずいぶんとこの絵の前で考え込んでしまった。 「お気に入りになりました?」 いつの間にか隣に立っていた初老の男性が話しかけてきた。 「まだ学生なんですが、化ける可能性ありと思ってます。来年は私がやってるメインのギャラリーで推していきたいと考えてます」 このギャラリーのオーナーのようだ。 「今日が最終日でもう閉める時間なのですが、もし気に入っていただけたのなら半額にしますよ。これが売れれば完売となって縁起がいいので」 一万五千円! 「そこにいる作家くんが一万五千でいいと言ってたのを、私が三万でいけると変更させたものなんです」 部屋の隅の衝立に半分隠れて座っていた若者が、立ち上がってペコリと頭を下げた。内向的な感じだが、好青年という印象を受けた。 初めて絵を買った。その場で包んでもらい家に持ち帰った。軽い高揚感があった。 妻と息子に見せた。 「いい絵じゃない」と妻。 「ぼくも描く!」と息子。 息子はリビングのテーブルに画用紙を広げ、クレヨンでグリグリと描き始めた。今見た絵に影響を受けて、輪郭だけの人物を描いていた。 妻に小声で値段を言うと一瞬目を丸くしたが「すごい安いよ」と言ってくれた。 シャワーを浴びてリビングに戻ると、妻は夕食の準備でキッチンにいて、息子はまだリビングで絵を描いていた。 「パパ見て! 顔描いた!」 うれしそうに息子が見せてきたのは、私が今日買ってきた絵だった。 新人くんが描いた輪郭線だけの人物が、息子が描いたクレヨンの顔で、ニコニコと笑っていた。元気な線で描かれた満面の笑顔だ。 私は、数十秒のあいだ固まってしまった。様々な思いが、頭を駆け巡る。 一万五千円が台なし! なんで落書を! なぜしまわなかった私よ! 子どもの絵は素晴らしい! ピカソと同等の価値! 価値が上がったかもしれないのに! どうせ半額! これが家族のしあわせ! わが家のピカソ! ああ、わが家のピカソよ! 私は息子に言った。 「す……すごい……上手だよ。線が元気で素晴らしい……」 自慢げな表情になった息子が「ママにも見せてくる!」とキッチンに走っていった。 「えーーーーー!」という悲鳴のような妻の声。 新人くんよ、すまない。息子との合作として飾らせてもらうよ。 私はその絵を、リビングの一番いい場所に飾り、家族三人であらためて鑑賞した。 とてもいい。泣けるほどいい絵だ。 〈了〉
- 齊藤 想
第36回小説でもどぞ落選供養その2です。 相変わらずの字数不足の上に、オチが見つからなかった迷い子のような作品です(汗) 『ある胸像の一生』 齊藤想 芸術家は、ヨーロッパにある帝国の皇帝の要求に頭を抱えた。 「ワシによく似た立派な胸像を作れ。手心を加えたら承知しないぞ」 その皇帝は不細工な上に、短気かつ暴力的で有名だった。姿かたちを忠実に再現したら激怒されて首を切られかねない。かといって皇帝の命令に反しても処刑されてしまう。 悩んだ芸術家は、皇帝とほどほどに似せてみたところ、誰にも似てないようで、誰かに似ている奇妙な胸像を完成させてしまった。 皇帝は怒ったが、芸術家はすでに異国に逃亡していた。皇帝は芸術家の行方を追うことに必死になり、胸像のことなどすっかり忘れていた。 数百年後、その帝国がアラブ人によって滅ぼされた。アラブ人たちは歴代皇帝の胸像を破壊したが、ひとつだけ正体不明の胸像が紛れ込んでいることに気が付いた。 いったい彼は何者なのか。兵士たちが迷っていると、アラブの高官が叫んだ。 「このお方は、もしかしたらダディアーヌ3世ではないか。きっと、過去の敗戦時に奪われたものに違いない」 なにしろ、この胸像は誰にも似てないようで、誰かに似ている。誰かが「ダディアーヌ3世だ」と言えば、そう見えてしまうのだ。 この胸像が、昔の大王だと信じたアラブ人たちは、胸像を大切に持ち帰り、首都に壮大な寺院を建てて安置した。 胸像に安息の日々は訪れない。百年後、アラブ人の首都を歴史的な大雨が襲った。 洪水はアラブ人の都市を押し流し、寺院も破壊し、胸像は海岸線まで押し流された。 この胸像を拾ったのは、海を挟んだ反対側に住むギリシャ人だった。 なにしろ、この胸像は誰にも似ていないようで、誰かに似ている。おまけに、長年の風化で様々な色が付き、人種も時代も不明になっている。 ギリシャ人は、この胸像に自分とよく似ている部分を発見してしまった。よく見ると、目元と耳の形がそっくりだ。つまり、この胸像は自分たちの先祖に違いない。 胸像を拾ったギリシャ人は、これは神様からのプレゼントだと信じ、先祖伝来の墓地の入口に安置して、一族の守り神として大切に敬った。 胸像の放浪はまだ続く。今度は第二次世界大戦の荒波が襲い掛かる。 ギリシャで戦利品を探していたドイツ軍の兵士たちは、ギリシャ人の墓で奇妙な胸像を発見した。 「これは、我が総統ではないのか」 胸像は長年の風化で鼻の下が崩れかかっており、それが総統のちょび髭に見えたのだ。 なにしろ、誰にも似ていないようで、誰かに似ている胸像だ。ちょび髭が似ていると思えば、全てが総統に見えてしまう。 胸像は兵士たちの手によって磨き上げられ、ちょび髭も「復元」させられ、ドイツに送られた。総統は大喜びして、ベルリンの大通りで飾られることになった。 戦争が進み、一時期はヨーロッパを制覇する勢いだったドイツも敗勢となり、ベルリンにソ連軍がなだれ込んだ。 そのとき、ソ連軍は砲弾によって倒れている胸像を発見した。その胸像を見て、ソ連軍は驚いた。 「これはスターリン閣下の胸像ではないか」 例の胸像は、ドイツによって取り付けられたちょび髭のおかげで、今度はスターリンに見えてしまったのだ。 なにしろ、誰にも似ていないようで、誰かに似ている胸像だ。髭がスターリンに見えれば、全てがスターリンに見えてしまう。 こうして「スターリン像」は東ドイツに送られて、共産主義陣営の戦勝の記念碑として飾られることになった。 ところがスターリンの人気が落ちるとともに、この胸像は忘れ去られた。おまけにちょび髭が取れたことで、誰もスターリン像とは思わなくなった。 なにしろ、誰にも似ていないようで、誰かに似ている胸像だ。誰にも似てないと思われたら、その瞬間に誰でもなくなる。 その後、ベルリンの壁が崩壊し、そのドサクサで胸像は行方不明となった。 この胸像について、様々な噂がある。 映画のセットとして使われた。小学校の校庭で薪を背負わされて本を読んでいる。過激ユーチューバーが視聴回数稼ぎのために壊した。などなど。 だが、この胸像は、いまも世界のどこかで「発見」される日を待ち続けている。誰かが「○○に似ている」と言い始める、その日まで。 #第36回どうぞ落選供養
- 島本貴広
(毎回ですが)遅ればせながら落選供養です。添削受けましたが小道具のお札の使い方に問題があるということでした。もっと他に問題点があると思っていましたが、指摘された点は納得しました。やっぱりオチだけに力を入れてはダメですね(苦笑) #小説でもどうぞ #第36回どうぞ落選供養 タイトル:絵画とお札と宇宙人 画家の横山は渋沢栄一を肖像画にした一万円札を目の前に掲げた。それは横山の手で描いたものだった。「金が無いならお前の手で描けばいいんじゃないの」などと酒の席で友人の岡本に言われ、真に受けたわけではないが興味で描いてみた。財布からほんものを取り出し、比較する。パッと見はほとんど同じに出来た。が、手触りや3Dホログラムの部分などですぐに偽札だとバレてしまうだろう。そう思い破り捨てた。 破り捨てたところで家の呼び鈴が鳴った。郊外にあるぼろ民家を格安で借りていて普段は誰も来ないから珍しかった。出ると、そこにいたのは身なりの整ったアタッシュケースを持ったスーツ姿の男だった。 「突然すみません。こちらは横山さんのお宅でしょうか」 「そうですが」 「よかった。実はわたし、あなたの絵を買いに来たんです」 横山はおどろいた。まさか無名画家のじぶんに直接お客が訪ねてくるなんて。はじめてのことで戸惑ったが、男を家にあげることにした。 「きょうはどちらからおいでになったのですか」 テーブルについたところで横山はそう訪ねた。 「ええとですね、この惑星の外から来たのですが」 「え?」 横山は言葉を失った。男もまた口を開かない。お互いに無言のまま時間が流れた。横山が怪訝な顔をしていたのを見て、男は慌てはじめた。 「すみません、とつぜんこんなことを言って。でも、ほんとうなのです」 「そうは言ってもね、あなたはふつうの人に見えますよ」 「そうですね、ではあちらをみてください」 男が窓の外を指さしたので見ると銀色の麦わら帽子のようなものが飛んでいるので唖然となった。なんでもいま目の前にいるスーツの男はたまたま近くを通りかかったひとで、遠隔で操ってしゃべらせているのだとか。それで横山は男が宇宙人なのだとすっかり信じた。 「あなたはさっきぼくの絵を買いにきたと言っていましたね」 「はい、わたしはいろいろときれいなものや珍しいものを集めていまして、この惑星にも美しい絵を描く画家がいると聞いたのでやってきました」 コレクターか。しかし、そんな彼がどうしてじぶんを訪ねてきたのか。 「そうなんですか。だけどぼくは無名です。もっと有名な画家はいくらでもいるのにどうしてここに?」 「え、あなたは高名な画家だと聞いていたのですが」 「ぼくを誰だと思ってますか?」 「あなたは横山大観という方ではないのですか」 横山は思わず失笑した。確かに下の名前は大寛で似てはいるが、人違いだ。そもそも横山大観はとうの昔に亡くなっている。 「ぼくは横山大観では……」 そこまで言って横山は口を噤んだ。ふと、この宇宙人を騙せるのではないかと考えた。 「いえ、その通りです」 堂々と嘘をついたが、男はうたがうことはなかった。 横山は自身の絵を何枚か紹介した。横山もまた、大観とおなじく日本画を描く画家だった。学生のころ見た、横山大観の『紅葉』に心打たれて画家を志した。 男は何枚かをじっくりと眺めては「素晴らしい絵ですね」などと感嘆の声をあげていた。そののち、一枚の絵を買いたいと申し出てきた。『紅葉』を模倣して描いた風景画だった。 「お代はこちらで足りますか」 男がそう言うと持ってきていたアタッシュケースを開けた。そこにあったのはケースいっぱいの硬貨で、見たことのないお金だった。 「これはどこの国のお金ですか」 「これはわたしたちが普段使用している通貨です」 と言うことはどこの国のものでもない、宇宙のお金ということらしい。これをもらっても使い物にならないはずだ。 「ええとですね、これで払って欲しいんです」 横山は財布から一万円札を取り出すと、男に見せた。男はそれをしげしげと見つめた。 「こんなのは見たことがないです」 「それでしか受け取れません。いいですか、このお金と全く同じのを用意してください」 男は深く考え込んだ後、「わかりました、用意します」といってその場は帰って行った。 一週間後、男は横山が指定した通りに一万円札の札束をアタッシュケースに大量に詰め込んでやってきた。どうやって用意したかは知らず、偽札を持ってこられたかと思ったが手触りやホログラムの部分を見るに真札にちがいなかった。 「ではこれで」と男は言うと、満足そうに横山の絵を持ち帰って行った。横山の手元には大金が残された。 横山は絵が売れたことを友人の岡本を家に招いて話すことにした。 「へえ、絵買ってもらえたのか」 「現金一括でね。大金が手に入ったからこれで当面の生活には困らないよ」 さすがに宇宙人に買ってもらった、などとは話せなかった。 「でも今どき現金で大きな額を払うなんてな。偽札じゃないか?」 そうからかってくる岡本にむっとなった横山はアタッシュケ―スごと持ち出し彼の前に差し出した。岡本は大量の一万円札を目の前にびっくりした様子で手に取っていた。 「偽札でもなんでもないだろ?」 「確かにほんものみたいだ」 パラパラと札束をめくる岡本。だが次第にその顔が険しいものになっていった。 「横山、こりゃやっぱり偽札だぜ」 「なんだと? どうみてもほんものだろう」 「いや、確かにほんものっぽいけどさ、お札の番号がぜんぶいっしょだ」
- 齊藤 想
募集要項を勘違いして文字数足らずの作品ですが、落選供養ということで(汗) 『モナリザの微笑』 齊藤想 蟻川劇団に採用されたとき、陽菜は天にも昇る気持ちだった。 主催者の蟻川天鵬は、採用する劇団員を有名人に例える癖がある。「原節子」や「サラ・ベルナール」といった、往年の名女優の名前を挙げることが多い。 それなのに、なぜか陽菜には「モナ・リザのようね」と絵に例えてきた。しかも「女優としては、現代では評価されませんが」という余計なひとことつきで。 けど自分で選んだ道だ。頑張るしかない。 新人女優の陽菜は、セリフのない端役からスタートした。会社の従業員、美容院のスタッフ、役柄はいろいろだが、要するにその他大勢のひとり。 少しでも自分を輝かせようと、大ぶりな演技でアピールするのだが、その度に蟻川天鵬に注意される。 「貴方はモナ・リザでいいの」 陽菜は混乱した。モナ・リザのように、ミステリアスな笑みを浮かべればよいのか。 陽菜は、先輩たちのアドバイスを聞き続けた。それも蟻川天鵬は気に入らないようだ。 「次回の舞台は休んだ方がいいわね」 ついに陽菜は配役から外された。女優志望なのに、蟻川天鵬から命じられたのはチケット掛かりだった。 蟻川劇団の看板女優は「クレオパトラ」に例えられたベテラン女優だった。彼女はまるでギリシャ彫刻のように目鼻立ちがハッキリしており、身長も高い。化粧をするとさらに舞台映えがする。 彼女なら蟻川天鵬の考えが理解できるかもしれない。そう思って、陽菜は出演のために準備中の控室まで彼女を訪れた。 劇団のエースは、舞台用のマスカラを盛りながら、そっけなく答える。 「そんなの分からないわよ。なにしろ天鵬先生は変人だからね」 確かに蟻川天鵬は舞台界の異端児と言われている。次から次へと奇抜な舞台を用意しては評論家の度肝を抜き、呆れさせている。 いまの舞台だって、背景は全てAIに描かせ、しかも背景がランダムで入れ替わる脚本無視の代物だ。 落ち込む陽菜を、ベテラン女優が優しく包み込む。 「悩んでいても仕方がないわ。私だって、天鵬先生が私のことをクレオパトラに例えた意味が分かったのは最近なんだから」 「先輩の場合は、まさに美貌が……」 「違うわよ。クレオパトラは、美貌より知性で幾多の男性を魅了してきたの。だから、私もクレオパトラのように知性を磨きなさいという天鵬先生の教えだったの」 それなら、陽菜が例えられたモナ・リザにも意味があるのだろうか。彼女はメイクの手を止めて、鏡の中の陽菜と向き合う。 「大丈夫。天鵬先生は見どころのないひとは採用しない。きっとチケット掛かりも陽菜さんのためを思ってよ」 ベテラン女優の心づかいが、陽菜の胸に沁みる。ふっと、彼女の表情が緩んだ。 「陽菜さん。いまの笑顔、とても素敵よ。その笑顔を忘れないで」 数か月後、陽菜はチケット掛かりを卒業して舞台に復帰した。なんと、次の舞台で陽菜は主役に抜擢された。 新しい舞台の下見をしている蟻川天鵬に、陽菜はそっと近づいた。 「天鵬先生。モナ・リザの意味が少し分かった気がします」 蟻川天鵬の目は舞台から動かない。 「モナリザの微笑みの秘密は、人間が本当に嬉しいときにだけ現れるデュシュサン・スマイル。この表情は不随意筋が作り出すので、演技では生み出せない。天鵬先生が私に求めているのは、このモナ・リザのスマイルだったのですね」 蟻川天鵬が無言なのは、同意の証拠。 「ただ、現代では人工的な笑顔が氾濫しすぎて、逆に本物の笑顔であるモナ・リザがミステリアスと見なされている。だから、天鵬先生は、私は現代では評価されないかもしれない、と言ったのですね」 蟻川天鵬は沈黙を続けている。彼の頭の中では理想の舞台が広がっている。それは現代劇か、前衛劇か。 「チケット掛かりにしてくれたのは、観客たちの自然な笑顔をたくさん見せるため。自分らしさを取り戻させるため」 「今度の舞台はねえ」 ようやく、蟻川天鵬が口を開いた。 「人工的なものを排除したいの。舞台は人間が作り上げるという前提を打破したい。前衛中の前衛劇。その非常識な舞台に、陽菜はついてこれるのかしら」 「もちろんです」 陽菜は笑顔で答えた。きっと、最高のデュシュサン・スマイルになっている。 #第36回どうぞ落選供養 【追記】 モナリザの微笑とデュシュサン・スマイルの関係は、リサ・カーター『脳と心の地形図』を参照しました。
- ポチのパパ
#第36回どうぞ落選供養 恥ずかしい限りですが、ご供養させていただきます。「豚まん」が大好きなので書いたものです。 ■芸術は豚まんだ! その豚まんは「551ホウライ」の豚まんと同じように見えるだろう?寒い季節は、辛子醤油で食べると美味しいあの豚まんだ。だが、これは「芸術の豚まん」という名の一つ一万円もする高いものものなんだよ。子供のおやつに食べるようなものではないよ。紹介制度により、購入方法は選ばれた一部の人々にしか知られていないんだけどね…。 正確にいうと、この豚まん自体が芸術というわけではない。この豚まんを食べると、どういうわけだか、芸術の審美眼が研ぎ澄まされ、あらゆる芸術作品―絵画、音楽、彫刻、映画、文学なんかに対する「目が肥える」んだ。豚まんを食べた後に、絵画や彫刻を見たり、音楽を聞いたり、映画を鑑賞したり、文学を読んだりすると、その価値を十二分に堪能できるんだ。つまり、豚まんを食べることで、超一流の芸術批評家の感覚を持つことができるというわけだね。 この豚まんの秘密は、「あん」の配合率にある。材料には、豚肉、ねぎ、そしてしいたけと舞茸が使われている。これは特に特別なものでなくても構わないそうだ。ただ、その材料の配合率は公表されていない。最初にこの豚まんを作った男―仮にA氏としよう―によると偶然から生まれた比率だそうだ。それが本当か噓かは分からない。不思議に思ったある購入者が、友人が経営する食料品メーカーの研究室に分析を依頼したところ、分析担当者は急性心不全で他界し、依頼者は交通事故で即死したそうだ。さらに、そのメーカーの経営者は行方不明になったそうだ。これも本当かはわからない。都市伝説かもしれないね。 そんな怖い顔をしないでくれよ。豚まんの作り方の秘密を探ろうなんて考えさえ起こさなければ何も起こらないさ。むしろ、いいことしか起こらないよ。デパートの中で流れている音楽や、テレビの画面で目にする絵画の本当の価値が分かり、日々芸術作品に囲まれている喜びにつつまれた人生を送ることができるんだ。それが、一度この豚まんを食べると、これからもずっと食べていきたくなる理由なんだ。かくいう俺も、この豚まんを食べてもう十年になるかな…。 俺の場合は、芸術では文学が一番好きだから、新しい芥川賞の小説を読むたびに目を通すんだけど、その小説家がこれからどうなっていくのかなんとなく想像できてしまうんだな。え、どういうことかって?真の芸術ではないものは、豚まんを食べた人間には明らかなので、芥川賞を受賞した小説が芸術かどうかわかってしまうということさ。ほら、昔の芥川賞作家でも、純文学小説家の触れ込みでデビューして芥川賞を受賞したのに、それから大衆や官能路線に移っていく作家っているだろう?受賞作を読むと、俺にはそれが芸術作品かどうかわかる、だから芸術でない芥川賞受賞作品を書いた作家は、その後、「芸術家」にはなれないことが多いみたいだよ。この豚マンを食べているとそういうことが分かるっていうことだよ。嬉しい未来も、悲しい未来も作品の後ろにあるっていうことかな。 一つ一万円でこんなことが分かるようになれば、きっと人生がもっと感動的になると君も思うだろう?芸術とは人の心をうつもの、感動させるものだからな。君もそれでこの豚まんを食べたくなったんだろう?え?そんな理由じゃないって?じゃ、どんな理由なの?あと、一つ一万円で少々高いけど、一カ月に一つ食べれば「芸術の豚まん」の効果は維持されるから、年間十二万円の投資だよ。あ、消費税込みね。それほどバカ高いものではないだろう。え?それも知ってるんだね。噂ってすごいものだね。誰から聞いたかは特に詮索しないよ。その人物は、君が「豚まん」を食べるに値する人物」と思って費用のことを話したんだろうしね。 そうそう、ただ一つだけ「審査」があるんだよ。それはね、豚まんを食べたい理由を教えてもらうことだよ。それが、「芸術の豚まんの会理事」でもある俺が今、君と話している理由なんだ。え?絵画や彫刻のオークションで、贋作を割り出し、利益を増やすのに使いたいって?あんた美術品を売り買いする仕事かい?え?本職は美術館のキュレーターだって?最近は、精巧にできた贋作が多いから、芸術に対する直感的な審美眼がほしいって?豚まんの力があれば、贋作は確かにすぐわかるだろうな。分かった。「芸術の豚まんの会」の入会審査は終わったよ。結果は一週間後に連絡するよ。お時間ありがとう。 ―一週間後、美術館のキュレーター兼美術品の闇ブローカーのB氏は、急性心不全で他界した。「芸術の豚まんの会理事」兼「入会審査員」の男はつぶやいた。「我々は芸術をフルに楽しむ力を手に入れる、でもその力で世の中を変えていこうといった考えはNGなんだよ…」「芸術の豚まん」の神秘がまた、一人よこしまな心を持つ者を始末してくれたようだ。ありがとう。芸術とは個人的なものだ。あくまで個人として、芸術的価値を理解し楽しむためにこの豚まんはあるんだ。芸術には批評家なんて、本当は必要ないんだ。それがアートのありかただ。
- 土筆
#第36回どうぞ落選供養 テーマはアート。絵画を音楽にしてほしいと頼む画家の話を考えていましたが、どうにもまとまらず……。結果的に、美術部に所属する二人の恋のすれ違いを書いた作品になりました。大きなミスはページ番号をちゃんとふれていなかったことで、作品としての反省は、少々詰め込みすぎたことです。これを機に供養します。 【水面】 夜の水面に月が浮かぶ。白く眩しく、けれど少しの水しぶきで簡単に壊れてしまうのも、わかっている。ここには僕しかいないのに、 「月が綺麗ですね」 なんてつぶやいてしまう。返事はない。わかっている。なのにあの人のことばかり考えてしまうのは、まるで呪いだ。 月の輪郭が歪んだ。小魚の姿がちらと見えた。いとも簡単に月を喰らい尽くそうとしているが、消えはしないのだ。太陽がある限り、反射する。僕は愚かにも自分の恋心を重ねた。あの人の面影が太陽で、月は心だ。時に歪んで形も変わる、曇って色も違くなる。けど、確かに在るのだ。と、思わされる。 一途でありたいと思った。あの人への僅かな恋心だけが、高鳴る鼓動が、熱くなる体温が、湧き上がる少しの欲望が、この世が所有する僕自身を意識させる。恋とは何?愛とは、誰かを思うとはどういうことなんだろう。問いかける度に、僕はあの日々を思い出す。 高校生になった春。慣れない校内で右往左往していた時、その先輩は話しかけてきた。美しく艷やかな髪と、うつむきがちな瞳、綺麗な所作、聞きやすい高さの声。 「あの……。美術部に入らない?」 正直なところ、入る気なんてさらさらなかった。芸術なんて、わからない。絵なんて巧く描けないし、科目選択でも選んでいない。けれど、先輩の不思議な魅力に引き込まれて、 「ええと、考えてみます」 と答えた。 驚いたように、ちょっと嬉しそうに、一瞬だけ先輩の瞳孔がぱっと見開いた。 「じゃあ、またね」 その微笑みを見て、僕に向かって小さくふる手を見た時、なぜだろう、儚い人だと思った。 僕は結局、美術部に入った。 一年生は僕だけだった。二年生はいなかった。三年生はあと二人いた。あの先輩は、中村彼方という名前で、絵がとても美しかった。風景画ばかり描く人だった。雨の日も、風の日も、桜の散った大木や、綿毛を送り出したたんぽぽもそのままに描いていた。幻想的な「現実」がそこにあった。 「どんな世界も景色も、愛したいから描くんだ」 と言った。 いつの間にか僕は、彼方先輩に恋心を寄せていた。美しい風景を見た時、真っ先に先輩が思い浮かんだ。どんな風景も彼方先輩と見れたら、とても美しいのだろうと考えた。愛及屋烏という四字熟語がよぎった。一人の時間が苦しかった。隣に先輩がいないのに、綺麗な景色はやっぱり綺麗だから、それを認めたくなくて葛藤した。 ある塾の帰りのこと。空は心地よく暗く、蒼く、満月だけが夜を飾った。星たちは、その光にひれ伏し、星座をつなごうとした線はすぐ途切れてしまう。熱を保った昼間の眩しさとは別の、冷ややかな月の目線に世界の全てが支配された。その幻想的な世界を、彼方先輩と見たいと思った。 放課後の美術室。 「昨日の満月、先輩と一緒に見たかったです。とても、綺麗だったから」 それが僕の精一杯の、最大限の、恋の告白だった。次の満月も、いや、満月じゃなくたっていい、十六夜でも三日月でも。 「そう、なんだ」 彼方先輩は、一度手を止めて反応してから、僕に一つの提案をした。 「もし私が、君の絵をを描いてみたいって、ずっと描いていたいって言ったらどうする?」 僕は混乱して、答えられなかった。 「ごめんね。やっぱりなんでもないや」 その声は悲しげで、儚さを纏い、美しかった。 それがあの人なりの告白であり、僕の告白の返事だったのだと、僕は後から知ることになる。考えうる限り最悪なかたちで。 彼方先輩が失踪した。原因は失恋らしいと風の噂で聞いて、戦慄した。僕じゃダメだったのかと、何度思ったことか。不幸は不幸を呼ぶようで、同じ頃、僕の祖母の入院が重なった。風邪をこじらせてしまったらしい。もう誰も見失いたくない、その一心で、僕は祖母のいる病院へ向かった。 祖母は案外元気だった。僕は少し、心配しすぎていたようだった。祖母は僕に、いろいろ昔の話をしてくれた。その時初めて、祖父のことを知った。厳格な画家だったのだという。「手先はこれ以上ないくらい器用なのに、けっこう不器用なとこもあってねあ。一生かけて君を描くよって、分かりづらいけど、あの人らしいプロポーズの言葉だったのよ」 「画家ってみんなそうなのかな」 「さあ。けれど、描きたいっていうのは、見ていたいって意味でもあると思うから、好きの証拠なのかもしれないわねえ」 先輩もそうだったのだろうか。僕は、先輩の思いを無下にしたのだろうか。もしも、僕らふたりとも、ストレートに伝えたい気持ちを言うことができたのなら。「好き」という言葉が本当じゃなかったとき、その罪を背負うだけの覚悟と大胆さがあればよかったのに。潔癖すぎて、正直でいようとしすぎて、わからなくなった。 あれから二年。祖母はあれからまもなく退院したが、ある日ころりと亡くなった。先輩は、あれっきり所在がわからない。僕はというと涙はとっくに枯れてしまった。世界は思ったより、綺麗じゃなかった。絵だけは描き続けようと思う。過去の強烈な光が影として今を捉え続ける限り。あの人のいない世界が嫌いだからこそ、あの人と僕のシルエットを描こう。魚はまだ、水面の月を乱していた。
- 村山 健壱
#第36回どうぞ落選供養 では今回からこちらでまず供養することにします。ちーん。 ****「決めていたんだ」村山健壱 (テーマ「アート」) 「お買い上げ有り難うございます」 父はそう言って深々と頭を下げた。僕はレジの奥で難しそうな表情を作りながら目礼をした。あまり愛嬌を振りまかない方が芸術家らしいと教えられて来た僕には、こうする他ない。もちろん僕だって、嬉しいし感謝している。自分の絵を買って下さる方がいるということは、本当に有り難いことだ。でも自信がある。僕の何百倍も父が今この瞬間を喜んでいるということに。 父はとにかく絵を描くことが大好きな少年だったらしい。父の父、つまり僕の祖父はそんな父を誇りに思い、本格的に芸術の道を歩ませようとしていた。祖父も絵画や陶芸に大いに関心があったようだが、何しろ戦後間もない時期だ。その方面に進むことはなく商いで努力した。そして得た財を使い、父に絵を習わせた。もともと好きなことであったため、その力をぐんぐんと伸ばし、小学校高学年の頃は県でも有名な児童だったようだ。 そんな父だったが中学に入って状況が一変する。あまり社交的とは言えない父は休み時間も一人で絵を描いていた。違う小学校から来たやんちゃな男子にとっては恰好の餌食だった。小学校から一緒だった友人たちに助けられることもなく、父は学校に行けなくなった。あの頃はまだ「登校拒否」などと表現され、学校に行きたくても行けなかった子を知っている世代の祖父にとっては到底受け入れられない事態だった。小学生の頃から通い続けていた絵画教室の先生は、教室にだけでも通えればと提案していたようだが、祖父にはあり得ない選択だった。遺影からは温厚な印象を受ける祖父だが、その頃は父に暴力をふるうこともあったという。父によれば、逃げるように布団に潜って漫画と画集とを眺める日々を過ごしていたそうだ。 バブルと呼ばれる砂上の好景気が終わりを迎えるころ、祖父が急逝した。大黒柱を失った家庭と会社を支えるには、部屋から出なければならない。父は決心して外の世界に飛び出した。父の妹である叔母は中学校の美術教諭になっていてとても手伝えそうになかった。祖母や従業員の皆さんが頑張って父が一人前になるまで待ってくださった。高卒認定試験から通信制の大学を経て、父は社長の椅子に座った。それまでに母と出会い、兄、その三年後に僕が生まれている。 決してゆとりがあるとは言えなかったが、会社の経営は順調だった。だから当然、兄も僕も、小さな頃から絵画教室に通ったし、コンテストでも入選した。そうして僕は今、画家として一応の成功を収めている。僕の画廊の経営をみているのは、会社を引退した父だ。会社の方はコンサルティングファームを辞めた兄が世襲し、さらに規模を拡大させている。 子供の頃、兄は僕より絵がうまかった。三歳違えばそう思うのかもしれないが、兄よりいつかうまくなってやる、という気持ちで僕は絵を描き続けた。中学時代の実績はやはり兄の方が上だったが、兄は私立の大学付属高校に入学した。そこで美術部に入ったものの経営学の魅力にはまってそのまま学部を選んで就職した。兄という目標が消えてしまった僕も普通の高校生活を送ろうかと思っていたが、父の強い勧めで県立高校の美術科に進学した。ここで良き師や友に出会えたことが、美大に進み画家として生きることを僕に決心させた。 当日の会計作業を終え、画廊のそばにある自宅に戻った。絵が売れた日の父は本当に機嫌が良い。大きな氷を入れたグラスにウイスキーを注ぎながら、父が笑っている。そんな父を見ていると、自分も幸せになれる。僕自身もやりたいことをやっていると自覚しているから尚更だ。今日は高い値がついたらしくいつも以上に陽気な父に、今なら聞けるかと思い質問をした。 「父さん、ちょっと聞いてみたかったんだけど」 グラスの壁に氷の当たる音が、カランと響いた。 「なんだ?」 僕は自分のグラスに口をつけ、燻した香りを飲み込んだ。 「兄さんがあの高校で、僕が美術科だったのは、なんでだったのかなあ」 父の表情が少し硬くなった。兄はシティボーイ的な暮らしに憧れていたのだろうし、いずれ会社を継ごうとあの頃から思っていたようなことを何度か本人から聞いてはいた。でも父は、本当のところどうだったのだろう。 「うん。どっちかに会社、どっちかが画家。これはおじいちゃんの頃からの願い」 「そうだよね。でもどっちがってのは……」 僕はもう一口、琥珀色の液体を流し込んだ。 「実は決めていたんだ。お前が一歳の時」 「えっ?」 「そうだ、兄ちゃんには黙ってろよ。芸術より実益だと言って聞かせたんだ、あいつには」 ただならぬものを感じて、僕は頷いた。そして父はグラスをテーブルに置き、口を開いた。 「お前はな、ペンをぎゅっと握ってな、紙に丸や線を描くんだよ。あーと、あーとって言いながら」 僕は知っていた。僕の娘がそのくらいの頃、やはり言っていたのだ。「有り難う」と言う場面で。【了】
- みぞれ
#第36回どうぞ落選供養 盛り上がっている様を見て、投稿したいけれど、「アート」は応募しておらず……今月発表される予定のW選考委員版からは、毎月供養できるはずなので、見る専門で楽しみます! (毎月供養前提になっている自分が、虚しい😂)
- うえおあいちゃん
#第36回どうぞ落選供養 供養のほどお願い申し上げます。 ⬛︎これも立派な『アート』? 皆様、御機嫌よう。連日猛暑の中、如何お過ごしでございましょうか。 僭越ながら私は、あまり麗しゅうない日々を過ごしております。痛いくらいの暑さに、更に追い討ちを掛けるかの如く、先生からの宿題が突き付けられたからです。 以前、ちらりと告白したと記憶致しておりますが、五年程前から、とあるカルチャースクールの文章教室に通っております。齢六十を過ぎ、定年まで五年に迫った時、結婚歴なく独身の私は、 『果たして、このまま無難に生きていて良いのだろうか』 と、居ても立ってもいられなくなり、瞬時にスマホを掴んで文章教室を検索し、自身が無理なく通えそうなこの教室に通うことになったのです。 この時何故、文章教室に通おうと思ったのか。別に文章教室でなくとも、絵画教室でも、書道教室でも、コーラスでも、バイオリンでも何でも良かったのでしょうが、パッと頭に浮かんだのが、文章教室だったのですから、自分自身でも説明の仕様がありません。 五年間文章を書き続けてきて、無難な暮らしが変わったかと言えば、変わったとも言えるし、変わってないとも言えますが、毎回講師の高橋先生から出される宿題には頭を悩ませております。それを考えれば、ともすれば無難に終わりそうだった暮らしに刺激があったと言えるかもしれません。 さて、そんな文章教室の今月の宿題は、『アート』です。 アートで思い浮かぶのは、美術、音楽しか出てきません。半世紀以上も生きてきて、アートと言えば、美術か音楽しか出て来ないとは、己の浅はかさに嫌気が指しますが、今は落ち込んでいる暇など毛頭ございません。何せ、宿題の提出期限が明日と迫っているのです。一ヶ月もあったのに、今まで何をしていたのだ、という批判の声がありそうですが、ダラダラと怠け癖のある私が、一念発起して無難な暮らしを抜け出そうとしていたことについては、自分で賞賛の声を浴びせたいと思います。 そんなこんなしているうちに、『アート』の制限枚数が迫ってきました。あと一二〇〇字ほどで、『アート』を踏まえた短編小説を完成させなくてはなりません。人間焦ると、余計な邪魔が入るもので、今、私の頭の中には、某社のCMソングがぐるぐるグルグル回り続けています。 そう言えば、CMソングは音楽ですから、『アート』の一種ではありませんか。何となく方向性が見えてきたような気がします。さあ、今からが本番です。『アート』小説を一気に書き上げようではありませんか。高橋先生を唸らせてみたい、そんな気迫が湧き出てきました。 『アート』それは、命。 『命』それは、歌。 『歌』それは、永遠。 『永遠』それは、音楽。 『音楽』それは、アート。 『アート』それは、 いつまでも色褪せずにいて欲しい存在。 麗しく人を魅了する存在。 得難い個性を発揮する存在。 教えを与えてくれる存在。 過去、現在、未来、 昨日、今日、明日、 暮らしに溶け込みながら、 決して主張し過ぎることなく、 これから先も続いていく。 宿題の『アート』。残り字数が六十字程になりました。 高橋先生。後半の詩、頭の文字を「あいうえお」にし、アートっぽくしてみました。
- ふやけた
小説でもどうぞ、アートの落選作の供養をします。 恥を晒します。 セルフチェックとしては、詰め込み過ぎてプロットみたいになったのが 問題かもしれないと感じています。 「花園のフローラ」 放課後の美術室にて、皆はコンクールに出す絵をせっせと描いていた。一方私はというと、キャンバスを前に途方に暮れていた。とりあえず無難に花畑の下描きを描いていたが。 これまで何回か入選してきた。でも大賞には届かなかった。そこまで執着していないつもりだったけれど、こうして何を描こうか悩んでいるというのは、どこかで認められたいと思っているからだろう。 顧問の先生が近づいてきた。私がおそるおそる先生を見ると、優しく微笑みかけてきた。 先生は優しく、めったに作品を批判しないが、それでもおそれてしまう。 幼い頃から絵を描くのが好きだった。いろんな絵を描いた。特にアニメや漫画のキャラクターを描くのが好きだった。そして絵を友だちや親に見せて褒められるのも好きだった。 でもあるとき、口が悪い子にこう言われた。 「これってパクリじゃん」 それは、当時の私が渾身の力を込めて描いた魔法少女フローラの絵だった。フローラは魔法を使って困った人を助ける優しい女の子だ。昔から大人気なアニメの主人公で、私は作品もフローラも大好きだったし、今でも好きだ。 そんなフローラを描いた力作を否定され、強いショックを受けた。 以来、絵を他の人に見せるのが苦手になった。 部活が終わり、皆が片づけをする中、私は誰も見ていないのをいいことに、スケッチブックに落書きをした。長い髪をした目の大きな女の子。フリルいっぱいで花柄の衣装を着たフローラだ。 自分の描いた絵にうっとりしていると、不意に声がした。 「へえ、可愛い。相変らず絵がうまいね」 振り返ると、いつの間にか部員の山本さんが後ろにいた。 私は慌ててスケッチブックを閉じると、さっさと片づけをすませ、教室を後にした。 家に帰るとすぐ自室にこもった。 ポスターに描かれているフローラは、いつもと変わらぬ笑顔をくれる。机の周りには彼女の人形やグッズを、本棚にはコミカライズ作品や公式ファンブックも置いている。 机に向かうと、フローラの絵を描きはじめた。夏なので浴衣を着た姿だ。 しばらくして扉がノックされた。夕飯ができたという合図だろう。部屋には入らないでとあらかじめ釘をさしている。ここは私の聖域。誰にも見られたくないし、入られたくもない。 『本当に?』 内なる声がした。あるいは独り言か。でもそれは、私ではなくフローラの声に似ていた。 再び美術の時間。 昨日の続きだが、どうもしっくりこなくて花畑の下絵の前で固まっていた。 山本さんをちらと見る。他の部員と互いの作品を批評し合っていた。絵は正直巧いとは言い難い。けれど恥ずかしがるそぶりを見せず楽しそうだ。ちょっと羨ましかった。 彼女に聞こえないよう、小声で顧問の先生に聞いてみた。 「山本さんの絵、どう思いますか?」 「とってもいい絵です。彼女の素直な人柄があふれています」 なんだか自分が責められているような気分になった。ふと先生は目を細めて言った。 「悩んでいるようですね」 「はい」 「あなたの絵はいつも丁寧でうまく描けていますが、どこかぎこちないところがあると感じてもいました。もっと自分を出してもいいんじゃないでしょうか」 先生にはお見通しだったのだ。私が周りの目を気にしすぎていることを。 意を決した私は、最初に描いていた花畑の中心に、フローラの絵を大きく描き出した。 多くの部員たちは自分たちの作品に集中しており、気にも留めなかったが、一人の部員が私の絵の異変に気づいた。 「あれ、アニメのキャラだよね。いいのかな」 すると他の部員たちのささやきも聞こえだした。皆の視線が痛く、羞恥心が私を襲う。 そのとき山本さんの大きな声がした。 「フローラだー! 私も大好き!」 彼女の言葉が後押しとなった。それからは一切迷わなくなった。一心不乱に描き、無事に作品が完成した。 花畑で楽しそうに笑っているフローラの絵だ。 作品名は『花園のフローラ』。 コンクールの結果はものの見事に落選。選評などは当然ない。ただし応募した部員たちの作品はすべて、文化祭の日に美術室で展示される。 評価が気になった私は、美術室を訪れ、他の人の反応を立ち聞きした。悪目立ちしていたからか、私の絵の前で足をとめる人は多かった。可愛いと言ってくれた人も何人かいたが、二次創作やパクリと批判した人のほうがずっと多かった。 私は拙作をじっと見つめる。花畑とフローラのタッチがかなり異なっていて、アンバランスだと感じた。 そこへ顧問の先生がやってきた。 「今回の私の作品、どう思いましたか?」 「とってもいい絵ですよ」 額面通りに受け取れなかった。 「落選で、しかも二次創作なのにですか?」 先生は優しい笑顔でこう応えた。 「たしかに今回のコンクールは、オリジナルの作品を求められていました。規定違反での落選もやむを得ないでしょう。それでも私はこの絵が好きです。ここに描かれているお花畑も女の子も、どちらも本当のあなただからです。この絵にはあなたらしさがあふれています」 先生の言葉で確信した。ここからが本当の始まりなのだと。 そしてこの『花園のフローラ』は、のちの私にとって大切な習作となるのだった。 #第36回どうぞ落選供養
- 鶴川ユウ
供養です。 設定の説明を並べているところが反省点ですかね……。次は選ばれたい! 【神の遊び】 私は天体の動きを司っている神だ。人間が定義する神の範疇で構わない。宇宙空間に浮いて漂っている。 私は主に地球の地軸を傾けて、太陽の周りをくるくる回らせる。月も回す。星も回す。雷を落とすこともある。 それらの仕事は決まり切っており、刺激のない時を過ごしていた。 神には人間の時間の概念がなく、思索に耽っているうちに、新大陸が誕生していたこともある。思索というが大それたものではなく、暇つぶしである。 代り映えのない時だったが、ここウン百万年は人間の誕生で、格好の暇つぶしを見つけた。 人間を観察するのも十分に面白いが、ちょっかいを出したくなる瞬間がある。火の周りに集っている人間が、月を間抜け面で見上げていた時、私にちょいと悪戯心が芽生えた。 私は間抜け面の彼らの前で、月を消してみせた。いわゆる月食だ。 人間たちは月明かりが消えて、錯乱した。頭を抱える者。祈る者。子どもを抱きかかえる者。なんとも愉快であった。 しょっちゅう月を消していては、お目付け役の神に怒られる。私は決まった間隔を空けて、月を消すことにした。それと星の命を気まぐれに終わらせたり、新たな星を生み出したりした。 人間たちは数百万年の間、天体の異変に恐怖し慄いていた。なかなか痛快であった。 ところがここ二百年ほど、人間は天体の異変に驚かなくなった。長い筒を覗き、欠けている月を眺めている。これまで恐怖していたのに、楽しげだ。オスとメスで親密にしている人間たちもいる。 私の数少ない楽しみが減ってしまう。存在している張り合いがない。私は原因を探りに、地上へ降りた。 最初に出会った若いオスに、月食のことを尋ねた。私は自動的に、初老のオスとして認識される。 若いオスは太陽の陰に隠れるから、月は欠けるのだと言う。私が起こしていた現象が、人間の学者に理屈をつけられたようだった。甚だ遺憾である。 「一種のアートですよ」 若いオスはにこやかに微笑む。 ふむ。アートとは何なのか。まさか私の悪戯と通ずる高次元の行いを、人間がしているというのか。私はそれから、アートについて調べた。 油絵、浮世絵、サンドアート、プロジェクションマッピング。地上の有名な美術館を巡り、数々の絵を見た。 私は“負け”を感じた。悔しいことに、表現の仕方は検討がつかなかった。一体どの星を降らせて、月をどう欠けさせれば、よいのだろうか。 私は感心するとともに、強い焦燥を感じた。これでは人間を驚かせられない! 私は天上に戻って、知恵を絞った。地上に行ってばかりで、お目付け役の神にお小言をもらったが、大したことではない。地軸の角度は保ったし、一定の周期で流星群を降らせた。与えられた仕事はしたのである。 東国の島国に、オーロラを下ろした。しかも禍々しい赤色にした。ところが、人間たちはこぞって歓声を上げて、熱心な輩はオーロラが観測できる地点まで移動した。 月を赤く染めて、同時に太陽も欠けさせてみた。すると日中にスーツを着ていた人間たちも、屋上で空を見上げる始末。 私が求めていた反応はこれではない! 人間が恐れ慄き、畏怖する様が見たいのだ! 私はさらに試行錯誤を重ねた。見様見真似で、月面に人間のメスの似顔絵を描いた。学者どもがそれっぽい理屈と用語で片づけた。 そもそも私はアートのやり方を知らない。 地上に降りて、才に溢れた人間を師匠と仰ぐか? いや、そんなのは私のプライドが許さない。 私が思い悩んでいるうちに、人間の服装が変わった。皆、銀色で流線形の服を着ている。 たかが数百年で私は参ってしまった。もう何もかもどうでもよくなった。筆を投げ出して、ナイフでキャンバスをめ ためたに切り裂くように、私は捨て鉢になって、月を降らせて地球に堕とすことにした。 予定より千年早いけれども、何も生み出せないなら、全て壊してしまえばいいのだ。 月を猛スピードで堕としていると、なにやら視界に違和感がある。私は目を凝らす。地球の大気圏で円盤が航行していた。不定期に見たことがある。私の管轄とは異なる銀河系の異星人の乗り物だ。 あ、と思う間もなく、月は円盤に衝突した。円盤は木っ端微塵に吹き飛んだ。 そして、月となんらかの燃料が引火して、緑の眩い光を放った。緑、赤、青の順で強い光線を放ち、雷として落ちた。西洋の無人島を三角に切り取り、炎上させた。 人間たちはこの現象に理屈をつけようと、必死になっている。 私は円盤と共に飛散した月の代わりに、新しい月を造った。大きさも質感もそっくりそのまま、作り替えた。月の破片の一部は再利用した。私のやけっぱちで、人間の驚く反応が見られないのは、やはり勿体ないし。 管轄外の事象に干渉することは、担当の惑星が侵略されようとも、原則禁止されている。大人しくしていることとしよう。月の『模造』に人間が気づくまで、しばし楽しむこととする。 次は太陽を南極の氷で凍りつかせるのも一興だろうか。時は無限にあるのだから、焦らずにアイデアを練ろう。 #第36回どうぞ落選供養
- 小説でもどうぞ【公式】への返信karai
黒田さん お疲れ様です。 ご体調不良でしたら、どうぞご無理のないようになさってください。他の要因でしたら、いろいろ落ち着くのをお待ちします。 つくログ仲間が、きっと、何だかいろいろ心配していると思います。 落選供養の件、コメントは急ぎません。 落選仲間の作を「優秀賞」として記事化していただけて、落選供養した身としては、作品も成仏したと思いますし、もう充分嬉しいのです。 36回の供養投稿が始まってますし、他の業務もご多忙と存じます。 くれぐれもご無理のないようになさってください。 【ハッシュタグだけ、統一お願い致します】 #第36回どうぞ落選供養 *表記が35回になっていて、10/1に島本貴広さんがご指摘の後も、また間違っております。よろしくお願いいたします。
- 東妻蛍
【キャンバスの如き世界】 「最近、子供に声かける不審者が出るって。心配ねえ」 「へえ。怖いね」 僕は成人男性だからきっと関係ないが、一応注意しておこう。そんなことを考えながら朝食を終えて二人分の皿を洗う。 「じゃあ今日も出かけるから」 「あんたも気をつけなさいよ」 「大丈夫だよ。行ってきます」 母の心配性も困ったものだ。不審者が出るというのは気味が悪いが、もう息子は三十路手前。危険なことなんてないだろうに。 のんびりと公園まで歩く。ずっと暮らしている町は見慣れた景色ではあるが、季節ごとに色を変える木々や空は毎日美しい。全てを残したいと思ったのが僕の画業を志した理由だった。それに何のとりえもなかった僕が唯一人に認められたのが絵だったから。ああ、あの頃は何を描いても僕が一番で。家族も僕を認めてくれていたのに。 そんなことを考えていると公園まではすぐに着いた。いつものベンチに腰を下ろして画材を取り出す。 何を描こうかと公園を見渡す。広い公園はいつも親子連れで賑わっているのだが今日は人影がまばらだ。やはり不審者情報が影響しているのだろう。 よく声をかけてくる子たちは大丈夫だろうか。心配しつつ鉛筆を白紙に走らせる。あの子達が来ると絵どころではなくなるから、今のうちに練習しておかないと。とはいえ危険な場所に来ることを親に許してもらえるかは分からないが。 絵を仕上げつつ公園の時計を見る。小学校の下校時刻はとっくに過ぎている。普段なら子供たちが来る時間だが、今日は誰もいない。いたらいたで邪魔だが、いないと寂しいと思うだなんて自分勝手なことだと苦笑しつつ、ストレッチにと立ち上がって伸びをした。その時。 「おっちゃん、こんにちは!」 「こんにちは。あれ、今日も来たの」 「あー、学校からも行くなって言われてるけど暇だし」 「それにおじさんのことも心配だしね」 よく話しかけてくる小学生だ。話を聞いた限りでは兄妹らしい。仲が良くてうらやましい。僕は妹と長らく連絡を取っていないから。 「不審者が出るってね」 「おっちゃんが襲われないように俺らが見といてやるよ!」 男児の威勢のいい言葉に苦笑する。彼らを守るのは自分の役割だと思うが。子供というのは時に勇敢で無謀な生き物だから仕方がない。 「ねえ、今日は私を描いてほしいなー」 「えー、そんなんよりもあれがいい。夕方やってるアニメの……」 また始まった。僕が絵描きだと知ってから、子供たちは絵をねだってくる。似顔絵だったり流行りの漫画のキャラクターだったり。まあ誰かに必要とされるのは嬉しいから対応してしまう僕も悪いか。 「あ、おまわりさんだ」 その言葉に視線を動かすと警官が二人立っていた。きっと不審者を警戒しているのだろう。警官はこちらを見ると二人で話をし、何故かこちらへ険しい顔つきで歩いてきた。 「お兄さん」 「え、僕ですか」 「はい。お話聞かせてほしいんですが」 「最近この辺で子供に声をかける不審者が出るって聞いてませんか」 「あ、はい。でも僕はそんな人見たこと……」 「これ、恐らくあなたのことですよ」 「……は?」 「署までご同行願えませんか。話をお聞きしたいので」 きっと任意同行というやつだ。ドラマで見た限り拒否できるのだろう。でもこんなプレッシャーの中、拒否なんてできようか。青白い顔で頷くしかできない僕の姿を兄妹が心配そうに見つめていた。 「今回はいいけど、気を付けてくださいね」 解放されたのは夜もすっかり更けてからのことだった。兄弟が僕を絵描きだと証言してくれたことやスケッチ一枚ごとにちゃんと日付をつけていたことで小学生を狙う不審者ではないことが証明されたらしく今回は注意されるだけで済んだ。 でも何もしていないのにこんな目に遭うなんて。イライラしながら家に帰る。すると何故か家じゅう真っ暗だった。母は一体どうしたのだろうか。 「お母さん?」 声をかけながら居間に入る。すると母は確かにそこにいた。部屋の真ん中で声も出さずに涙を流している。異様な光景に恐る恐る近づき声をかけた。 「どうしたの」 「警察に連れていかれたんですって?」 「え、ああ。ひどいよね」 愚痴を聞いてもらおうとしたのだが、母は何も言わず泣き続ける。心配になって肩に手を置こうとしたが、伸ばした手は払いのけられた。 「おかあさ、」 「あんた、いい加減自分が世間からどう見られているか気づいてちょうだい!」 母はそう叫ぶと今まで言えなかったのだという不満を全て僕にぶつけてきた。でも。僕は絵が上手いから画家になれるって、お母さんが。 母と言い争いをしたのはこの日が初めてだった。そもそも人と揉めるのが苦手だった。今まで父や妹と折り合いが悪くなった時も母は僕の味方だった。二人がいなくなってしまった後も母だけは僕の味方だった。そう思っていたのに。 気が付いた時には母が頭から血を流して床に倒れていて、誰が通報したのか分からないが僕は警察に囲まれていた。警官の一人が厳しい顔で僕に問う。 「ご自分のことを画家だと言いましたよね。なのに大事なキャンバスで母親の頭を殴ったんですか」 「……私は結局何者でもなかったからでしょうかね」 人生とはキャンバスのようなもので、自分で何色にも塗れると思っていた。だが僕の紙は真っ白のままで、そしてとても小さいものだったのだ。それに僕だけが気が付いていなかった。それだけの話。 #第36回どうぞ落選供養
- 金子一
人生で初めて応募したので、自分の書いた作品の良し悪しが全く分かりません。 ですがせっかく書いたので駄文だったとしても供養したいと思います。 「んー、いいでちゅねー可愛いでちゅねー」 そういって私の方に向かって下手くそなキスをするかのように唇を尖らせて、猫撫で声で私の気分を害しながらも上機嫌でキャンパスに筆を走らせているこの男は、一応その道を志す者にとっては誰しもが名前を聞いたことがあるような、いわゆる巨匠と言われるような大御所である。しかしその実態は。 「いやぁ〜ん可愛いでちゅねー。あ、今動きそうにあったでしょ、動いたらただじゃおかないよ」 私が相手だから大人しくしているものの、そうでなければ他の人ならこの気持ち悪い言葉遣いにとうの昔に投げ出して帰っているところだ。そのうえ2時間も同じ姿勢で、しかも休憩無しで座っているので足は痺れてもう感覚は無いのに、この男はちょっとでも楽な姿勢にと身体をもじろうものなら、先ほどのように無駄に高圧的な態度をとってきて、それがまた余計にこちらの神経を逆撫でする。それでもいい加減疲れてきた私は、また猫撫で声で喋りながらチュッと唇を鳴らして投げキッスをしているこの男に休憩を申し出る。 「すいません、少し休憩しましょう」 私は先ほどのようにイラついた態度を取られる前に、早口で言葉を投げつけた。それを聞いたこの男はまるで汚物でも見るような目で私を見下して、明らかに聞こえるように舌打ちをしてきた。そして私の言葉など初めから無かったかのように、またご機嫌を取るように気持ち悪い声を出しながらキャンパスに筆を走らせる。キレそう。 更に1時間程経過して、疲れを通り越して眠気に襲われ始めた私は、どうにかしてこの男にバレないように欠伸を噛み殺した。しかし私に興味がないくせに妙に目ざといこの男は心底軽蔑したような目で、しかも明らかに目を合わせるのすら嫌そうな顔をしてこちらを向いて言葉を吐き捨てる。 「お前のような堪え性のない奴は初めてだ、それに比べて自然は良い…まるで心を写す鏡のように描くものの心がそのまま絵に現れる。そう思いまちゅよねー、うんうん、んーきゃわわ!」 そうなのだ、この男は元々自然風景の分野でなの知れた画家なのだ。しかし最近この男の事を真っ向から否定した評論家がいたのだ。とは言えそれは本当に弱小な雑誌の、しかもその評論家自体も名前も知らないような人の批判を、この男はどこでその情報をキャッチしたのか、出版社にまで直に足を運んでその猛抗議をしたらしい。これだけならこの男の単なる奇行なのだが、どうやら自分は自然風景画以外でも実力があると豪語して、次の画展には風景画以外も展示するから観に来い!と言ったのが昨日の話で、画展は明日である。 そんな中どんな過程で私の話を聞いたのか、唐突に私に白羽の矢が立ち、本来は名誉なのだが数時間前からその名誉を投げ捨てたくなるくらい後悔するような拷問に遭っている。 「君みたいに大人しくてキュートで、自然にも負けないくらい魅力的な子は本当に初めて!ギューってしたくなっちゃう!」 この男はそう言いながら何回も唇を鳴らしつつ、キャンバスと私の方を交互に見て順調に描き進めている。 これだけの苦痛を味わいながらも、私も絵描きの端くれなので、なんのかんの言ってこれだけなの知れた巨匠の描く、初めての風景画以外の作品に興味が無いわけではない。私もこの男の風景画を見て涙するほど心を動かされた事もあり、自分がその人の初めての作品に携われることは当初は誇らしく思い、周りの友人知人から羨ましがられたのだ。 今なら学食1週間分奢るので誰か代わって欲しい。 作品も佳境に差し掛かってきたのか、あの吐き気を催す猫撫で声も徐々に鳴りをひそめ、真剣な目つきで被写体とキャンバスを交互に往復させる。その姿勢に私も自然と手に力が入りそうになるが、ここまでの苦行を台無しにしてはならないと思い、こちらの緊張が伝わらないように平静を保つことで精一杯だった。 もう時間を気にする事なく、お互い自分の役割を全うするべく集中している。私の気持ちが相手にも伝わったのか、以心伝心で作業が進んでいき、それからどれくらい時間が経っただろう。 「完成だ!これであのクソ生意気な評論家風情をこれでもかと見下してやる!」 私は息の詰まるような時間から解放されて一つ大きく息を吐く。そして膝の上でずっと大人しくしていた飼い猫のモモを労わるように頭から腰までゆっくり撫でてあげた。モモは私の膝に乗っかると余程落ち着くのか、私が動くまでピクリともせずずっと喉をゴロゴロ鳴らしているのだ。 モモの絵が会心の出来だったのか、狂喜乱舞して飛んだり跳ねたりしているこの男を尻目にモモを抱き上げたままキャンバスを覗き込んだ。 「……下手くそか!」 モモの絵は数時間かけて描いたとは思えない児戯のような落書きにしか見えなかった。それを見てモモは何かを思ったのか、椅子の上に飛び降りてキャンバスで爪を研ぎ始めた。 「あぁ!やめてモモちゃぁん!でもこれはこれで味があるかもぉん!」 次の日の画展ではモモの絵は非常に好評だったらしく、猫の爪痕が実際に残っているのが、自然風景画を得意とする作者としての味があると評価されたらしい。 #第36回どうぞ落選供養
- karai
落選供養いたします。 今回は、3作も出しておきながら、すべて「現代アートを小バカにした内容」でした。入賞作を読ませていただいて、私にはこんな失礼なものしか書けなかったことを、深く恥じ入りました。芸術がわからないので、苦し紛れだったのです。今後の戒めのために、あえて落選供養いたします。 「わからない」 地上に出ると、初夏の日差しが思った以上にきつく、彩子(あやこ)は、日傘を持ってこなかったことをちょっと後悔しながら歩き出した。ネットの情報では地下鉄駅から徒歩十分と書いてあったが、迷うともっとかかるのではないかと不安になった。 彩子は極端な方向音痴で、地図を見るのも苦手だった。友だちに勧められて使い始めたスマホのナビも、いったいどっちへ向ければいいのかわからなくて、スマホをぐるぐる回して、その挙句、行ったり来たりしてしまうのだ。 案の定、大きな交差点で、どっちへ行けばいいのかわからなくなった。 右? 左? 真っすぐ? 泣きそうな気分になってスマホをぐるぐる回していると、 「どうされました? どこへ行かれるのですか?」 爽やかな感じの男性から声をかけられた。 「あっ、はい、県立美術館へ行きたいのですけど、迷ってしまって」 彩子は自分の頬が赤らむのを感じながらそう言った。 「それでしたら、右ですよ。右に真っすぐ行って、美術館の看板を左に曲がればすぐです。僕も向かっているのです。ピカソ展ですよね。よろしかったらご案内しますよ」 そう言った男性の笑顔が素敵だった。 「あっ、ありがとうございます。でも大丈夫です」 「そうですか。では、お先に。気を付けて」 男性は軽く会釈をすると、もう振り返りもせずに彩子に教えた方へと向かった。 彩子はピカソが好きだった。ピカソと言えば、誰もがイメージするような抽象画ももちろんいいと思うが、彩子は特に青の時代や、新古典主義の時代の作品が好きで、ピカソ展があると出来るだけ時間を作って出向いていた。 さっき教えてもらった通りの道順で、美術館に着いた。 彩子が好きな作品の前でじっと佇んでいると、背中から声がした。 「無事に着きましたね」 振り向いた瞬間、彩子は、これは心のどこかでちょっと期待していたことだと思った。 「はい、ありがとうございました」 「青の時代ですか、お好きなのですか?」 「はい、大好きです」 「そうですか。では」 そう言うと、男性は静かにその絵の前を去り、次の部屋へ向かった。 もっとゆっくり話したかったが、美術館の中で長話は禁物と彩子だって知っている。 きっとまた後で会えるわと、自分に言い聞かせて、彩子はゆっくりと鑑賞を続けた。 ピカソ展を堪能した彩子は、あの後、男性の姿を見かけなかったことを少しばかり残念に思いながら、美術館を出た。 彩子はゆっくりと地下鉄駅に向かって歩き始めた。だが途中で周りを見渡して、また迷ってしまっていると知った。どこで間違えたのか、もうどう戻ればいいのかもわからない。 今日二度目の泣きそうな気分になって、慌ててスマホのナビに地下鉄駅の駅名を入れていたら、今日三度目の後ろから声を掛けられるシーンになった。 「やっぱり迷っていますね」あの男性がいかにも可笑しそうに言った。 「あっ、どうして?」 「前を歩いているのをお見掛けして、地下鉄駅に行くものだと思っていたら、違う方へ歩いてゆくので、きっとまた迷うかなと思っていたら、やっぱり」 男性はもう我慢が出来ないと言うように、声をあげて笑い始めた。 「そんなに笑わなくてもいいでしょ。だって、どこも同じに見えちゃうのよ」 「そうですね。迷いますよね。笑ったりして、ごめん」 そう言いながらも、まだ男性は笑っていた。彩子も釣られて声を出して笑った。 ピカソ展が縁で、彩子と渉(わたる)は付き合い始めた。 彩子は、渉が三十八歳で同い年だと言うのを運命的に感じたし、初めて渉の部屋に行ったときに、渉が愛してやまない印象派の絵画、モネやルノワールがいくつも飾られてあることも素敵だと思った。 美しい絵画が好きな素敵な青年。彩子は渉に夢中になった。 付き合い始めると、渉が意外に頑固でわがままで、何を考えているのかわからないところがあると感じたが、その程度のことは大抵の男性にあることだと思って、気にしないようにした。 出会いから一年が過ぎようとした頃、現代アートの展覧会に二人で出かけた。 正直なところ、彩子には何がいいのかわからなかったが、渉はいたく感銘を受けたようで、それからというもの、渉は現代アートの展覧会にばかり行きたがるようになった。 彩子が現代アートの良さがわからないと言うと、渉はいかにも憐れむような眼をして、 「この良さがわからないのは、心が素直でないからだ」などと言った。 彩子の心は深く傷ついた。だが、一年も付き合えば、それだけで別れを決意することはなかなか出来なかった。 彩子は心にもやもやしたものを抱えたまま、ずるずると付き合いを続けた。 ある日、久しぶりに渉の部屋に行くと、部屋の様子が変わっていた。 モネやルノワールはどこにもない。 つい最近、ネットで見た作品をまねて、壁という壁にガムテープでバナナが貼り付けてあった。バナナを張り付けた日が違うのだろう。真新しいバナナもあれば、真っ黒に変色して萎びてしまったものもある。 「時とともに、移ろいゆく様が素晴らしい」と渉は言った。 ハエが三匹飛んでいた。もう何が何だかわからない。 彩子は哀しくて涙が出た。 ティッシュを使って鼻をかむと、渉が寄ってきた。 「そのまま、それ、ここに置いて」 「えっ、何? これ?」 彩子はくしゃくしゃになったティッシュをテーブルに置いた。 「うん、いい。これは、いいよ」 渉はそのティッシュを大事そうに壁に貼り付けた。 彩子は、ようやく決心がついた。 #第36回どうぞ落選供養
- 陽心
勝手に横田順彌先生のハチャハチャ(はちゃめちゃ)の流れを汲む、SFではないですが宜しくお願い致します。 #第36回どうぞ落選供養 題名:芸術は爆発だ 「写真指名できんのか?」 「そういうお店じゃありませんから」 老人は女性歯科医師数名で運営されている「デンタルパラダイス」の受付で粘っていた。アダルト雑誌の広告欄で見つけたクリニックだったので、妄想が膨らんで今にも破裂しそうだった。 「カワイ子ちゃんじゃなかったら即チェンジするからの」 白一色で統一された待合室には、ホワイトニングやインプラントの紹介文と説明図や写真が掲示されていた。診療スペースへエスコートしてくれたピンクの制服の担当医は、ロリっぽい娘だった。 老人が座り心地を確かめていると、「今日はどうしましたか?」と優しい言葉がかかった。 口をすすいでから「水が歯にしみるんじゃ」と苦痛の表情で訴えた。 医療用チェアが倒され「はい、あーんして」細長い指で口内に歯科鏡を挿し込んで、つぶらな瞳で覗き診てから「虫歯は無いようね。歯垢が溜まっているから炎症起こしてるんだと思うわ」と甘くささやいた。 「お仕事、たいへんですか」突然なにを言い出すのかと思ったが、目が合った瞬間に心の奥底まで見透かされた気がして冷や汗をかいた。 咳払いをして「それだけにやりがいがある」と見栄を張ってみせたら、目を細めてマスク越しにニコリとしたのが分かった。 「ちょっとお待ちくださいね。歯をクリーニングする歯科衛生士と交代しますから」彼女が立ち去ってしまった。 ズシンッズシンと地響きが近付き、紙コップのミントの水面が波打った。 「今から掃除しますから、口を開けて下さい」担当医に代わった助手が足と見まがう筋肉質の腕を伸ばして「もっと大きく開けて」と手袋が野球クローブのような手で口を全開させた。爆発しそうに膨れ上がった欲望が一気にしぼんでしまった。 歯が悪いのを長い間、放置していたせいか、消化器官の調子まで悪くなった。老人は県政を預かる知事であり、ストレスが絶えないのも一因であったかもしれない。多忙な折で一日人間ドッグコースを半日で済ますために、胃カメラと大腸カメラを同時に入れて検査したが、特に異常はみられなかった。上下から入れたカメラ同士は腹の中で遭遇したのだろうか。麻酔が効いて朦朧とする中、モニターを見つめながら内視鏡操作する検査医の談笑が聞こえた気がする。 建築アート博覧会の集客数が予想を下回り、知事が県議会の場で意見を募ったところ、普段は居眠りの目立つ議員からとんでもないアイディアが出された。 「会期を終えるパビリオンを順に爆破して、複数台のカメラで中継配信します。ドローンによる空撮も行い、録画映像はYoutubeで流したらどうでしょう」興奮気味に発言する。 「建築デザイナーからは猛反発くらうじゃろう。第一、爆破は危険過ぎる。県が率先してできることではない。費用負担した国の認可はおそらく下りんよ」と反論しながらも興味が沸いた。 国の認可があっさり下りた。総理大臣官邸には爆破シーンが売りの西部警察のポスターが掲示されていた。メインキャストである石原軍団の直筆サイン入りだ。お上の認可はやはり忖度か。 ところが、裏金問題から内閣は退陣、ほぼ同時期に、知事もセクハラとパワハラ問題から辞職に追い込まれた。博覧会のパビリオンはひっそりと片付けられた。 だだっ広い更地に、パビリオンの中央に鎮座していたシンボルの塔だけがポツンと残った。頭部は火神をイメージしたデザインだった。その脚部に腰掛けて塔を仰ぎ見る老人がいた。火神の視線が下を向いた。 「ずいぶんしけた顔してるじゃないか」天上からバリトンボイスが降って来た。 「権力を失った、ただの老いぼれを笑いたければ笑えばいいわい」老人は元知事だった。失職して縮んでみえた。 「海が広いな」火神が目の前にまで迫る波を押し出す水平線まで目で追った。 「太平洋だから」老人がクスっと笑う。 「おまえも広い心を持ったらどうだ。穏やかになるぞ」 「どうせ、みみっちい男じゃよ」老人はふと子供の頃に両親と遊んだ砂浜に記憶が飛んだ。 「山が大きいな」火神が反対側の景色に視線を移して呟く。 「日本で有数の連峰だからな」 「おまえも大きな志を持ったらどうだ。夢が開けるぞ」 「いやあ、もう年だから無理じゃな」老人は小学生の時の授業参観日に披露した将来の夢という作文の内容が何であったかを思い出そうとした。 「そういえば、建築アートを爆破するプランがあったそうじゃないか」 「計画倒れじゃな」 「これからどうなるんだ」 「リゾート施設でもつくるんじゃろう」 「そうか。高い建て物は勘弁して欲しいな。ここは自然の眺めが気に入っている」 「さあな」 「自然は地球のアートだよ。自然は破壊してはいかん」 「地球のアートの恵みは美味い」近隣に見渡せる果樹園に目が行く。腫れた歯茎が爆発しそうに痛み出した。入れ歯は御免だ。自分の歯で噛み続けたい。またあの歯医者に会いに行こうかの。 (了)
- 小説でもどうぞ【公式】
第36回の結果発表が出たということは、今回もやります!! ✨✨✨✨✨✨ #第36回どうぞ落選供養 ✨✨✨✨✨✨ どのコンテストでも入選作品の何倍も落選作品がありますよね。 でも落選したからと言ってその作品に価値がないわけではありません! ・「第35回小説でもどうぞ」にご応募いただいた作品 ・今回こだわった部分や、思い入れのある一文 などを、こちらのハッシュタグをつけて投稿してください! みなさまの大切な創作にかける思いを共有しあえたらと思っています。 第35回に参加されなかった方にとっても、今後の創作活動に向けて意見交換や刺激をもらえる場としてぜひご活用ください。 「小説でもどうぞ」をいっしょに盛り上げていきましょう💁♂️ #小説でもどうぞ https://koubo.jp/article/29833