「まるせん」の「秋川柳コンテスト」及び「秋七七コンテスト」においてそれぞれ一句ずつ入選としていただきました。ありがとうございます! 引き続き頑張ります。
- 村山 健壱
- 村山 健壱
「まるせん」の「おつかれさま川柳コンテスト」に一句、「おつかれさま七七コンテスト」には二句を入選としていただきました。ようやくこのパターンに戻せました。引き続き頑張ります。
- 村山 健壱
W選考委員版「小説でもどうぞ」第11回「善意」提出しました。 川柳も頑張ります。
- karaiへの返信村山 健壱
karaiさん、こんばんは。「湯船から来た男」を拝読しました。 なるほど、ショートSFの王道感が出ていますね。オチもしっかり笑いました。 皆さんも書かれていますが、『テルマエ・ロマエ』を知らずにこれを書かれているようなので、すごいなあ、と思います。完全なる真似はやっぱり作り手としては後味悪いでしょうし、その点も含め僕は賞賛します。 面白かったです。有り難うございました。
- 村山 健壱への返信村山 健壱
karaiさん、お返事遅くなり済みません。 少年野球に関わったのは一年くらいですので、お恥ずかしい限り。 それでもネタはいろいろあるなあ、と思い出しながら書いたものです。 「面白い」と評価していただき、感謝いたします。 オチが唐突で寂しいんですよね。でもオチを長めにしちゃうと収まりがあまりよくない気がします。難しいです。 頑張りましょう!!
- 村山 健壱
#第37回どうぞ落選供養 宜しくお願いいたします。 締め切りに気付き、「遺言川柳」を今送信しました。ふー危ない。 ***** 「褒める」 村山健壱(テーマ「すごい」) グラウンドには容赦なく熱が降り注いでいた。俺はグラウンドの子どもたちに声をかけながら、ノックをし続けていた。 「おおっ、いいねえ。今の捕球動作はばっちりだ」 「ナイスキャッチ! そのままバックホーム!」 叱るより褒める。少年野球の現場に限らず、子どもに対する指導は今、それが主流だ。子どもの頃、そのように教えられてはいなかった世代の俺たちがこれを続けるのは正直なところ難しい。しかし少子化もあって地域の野球クラブには人が集まらない。このクラブも息子が加入して、ようやく試合に登録できる二十人に達するような状態だった。当然練習に関わる大人も減っていた。高校で野球を諦め、息子とキャッチボールくらいしかしていなかった俺でもコーチとしての需要があった。 俺がクラブの練習や試合に関わるようになった頃、監督の守原さんが今の指導方法を取り入れた。クラブには子どもの教育という面もあり、生活態度などについては叱ることもある。が、野球に関することでは絶対に叱らない。手探りでなんとか続けて来た甲斐があって、所属する子どもの数は二十五人に増えていた。 日々反省しながら子どもたちとの練習を行っていた。まだ午前中なのに汗だくだった。この日は仕事が休みで、妻を家に残し息子と二人で練習に参加した。妻は笑顔でそんな俺たちを見送ってくれていた。 俺は、三遊間をめがけてバットを振った。そのバットが飛ばしたボールは内野で落下し、そのまま遊撃手で五年生だった蔵本くんの股の間を転がっていった。俺の打った球の勢いが多少強かったかもしれないが、蔵本くんなら問題なくさばける打球だと思った。やはり暑さのせいだろうか。 「おおい、どうしたぁ。捕れる球だぞ」怒気を含まないよう意識して、俺は声をかけた。 「すみません。もう一球お願いします!」 「おしっ、その意気だ」 そう言って俺は球を打つ。さっきより弱く打つようなことはしなかったし、蔵本くんはきちんと球をグラブに収め、きれいに一塁手へと送球した。 「よし、合格」 「ありがとうございます」 守備練習が終わると子どもたちは木陰に集まり、水筒を傾け始めた。大人に許可をもらう必要はもちろんない。その光景だけでも、昔との違いは明らかだった。 練習の終わりが近付き、コーチを担っていない親たちがグラウンドに集まってきた。子どもたちのお迎えだ。近頃の夏は暑過ぎるので、エアコンの効いた車で帰るのも仕方がないのだろうが、自転車を並べ皆で帰った自分の少年時代をむしろ思い出していた。 「ありがとうございました」 「さようなら」 「お疲れさまでした」 大人と子どもの声が混じりあう中、一人の親が守原さんと話していることに気が付いた。あまりしゃべったことはないが、蔵本くんのお母さんだろう。顔の骨格と少し背を曲げた姿勢がそっくりだった。 ノックのことが頭をよぎるが、まさかあれでクレームがつくとは思えなかった。しかも蔵本くんは自分で「もう一球お願いします」と言ったのだ。だが、今の世の中はそんなに甘くない。蔵本親子はドイツ製の白い車でグラウンドを去っていったが、それを見送るが早いか、守原さんが俺を手招きした。 「お疲れ様です。いやあ、蔵本の親、すごいな」 「え、あのノックの件で?」 「うん。結局それなのだけど、この夏でクラブを辞めるっていう話だった」 俺はまさか、と思った。蔵本くんは野球が好きで練習熱心な子だった。 「まあ、あれだよ。お受験。蔵本さんとこ、お父さんは確かいいとこの会社員だろ」 「ああ、確かに」そう言いながらも俺は合点がいかなかった。 「本人はやりたそうだからと思っていたけれど、そうやって人より多く練習させるのならこの機会に、という話だった」 「そんな……。今さっき子供からちょっと話を聞いただけでしょうに」 守原さんも肩を落として話を続けた。 「まあ多分、機会を窺っていたのだろうな。母親としては何か理由をつけたい」 「すみません、僕のせいで」 俺もどうしていいいか分からずに答えた。 「連鎖反応が出ちゃうと、また人数がヤバくなるからね。気を付けていきましょう」 その晩、俺は妻にこの話をした。もちろん息子には聞かれないように気をつかった。 「凄い母親ね。褒め過ぎの弊害という面もあるかもね」 少し間を置いて、妻は真顔で続けた。 「でもね、私もいなくなっちゃうよ。もっと褒めてくれないと」【了】
- 村山 健壱
「まるせん」の「ありがとう川柳コンテスト」で一句を入選としていただきました。ありがとうございます。 七七は選ばれずの川柳入選は、自分的に珍しいです。今回の「ありがとう」はしかし、川柳も七七も一句ずつしか日々の「ナイス!」に入れていなかったので、よく入選できたなあ、とも思います。頑張りましょう!
- 村山 健壱
今回もKouboメルマガの大喜利締め切りを逃してしまいました。 ダメだなあ。 でも、さっき「小説でもどうぞ」の「眠り」を提出しました。 もう2時が見えて来た。寝ないといけません。 おやすみなさい。よい「眠り」を!
- 村山 健壱
「まるせん」の「さようなら七七コンテスト」で1句を入選としていただきました。有り難うございます。これが選ばれるとは思っていなかった青春の思い出の句ですが……。川柳が再び選ばれなくなってきたので、気合いを入れたいと思います。
- 村山 健壱への返信村山 健壱
karaiさん、コメントいただきありがとうございます。安定というにはまだまだだな、と自覚しています。が、やはり川柳や七七の少ない文字数で読み手の心に響かせるというのは、やりがいあって面白いですね。 ハマちゃん、残念です。西遊記の猪八戒や大河ドラマも楽しかった。諸行無常です。 生きている我々は、楽しく頑張りましょう!
- 村山 健壱
「まるせん」の「旅行七七コンテスト」で一句を入選としていただきました。有り難うございます。川柳は期待していたのですが、選ばれませんでした。残念ですが、前向きに行きます。
- 村山 健壱への返信村山 健壱
蜂賀さん、ありがとうございます! 同じ思いをお持ちだと知り、うれしいです。 是非やりましょう(笑)!
- 村山 健壱
「まるせん」の「フラワー川柳コンテスト」及び「フラワー七七コンテスト」でそれぞれ1句ずつ入選出来ました! ありがとうございます。川柳で2週続けて入選できたのは本当に久しぶりな気がします。引き続き頑張りたいです。 今度は「おーいお茶」も出してみようかな。あれは俳号ではなく実名だからなあ、と躊躇していたのですが、そういうのは入選してから後悔することにします(笑)。
- 蜂賀三月への返信村山 健壱
蜂賀さん、こんばんは。さ・か・なde一句、僕も出しました。思った以上に難しかったですが、なんとか一句出せました。 引き続き頑張りましょう!
- 村山 健壱への返信村山 健壱
蜂賀さん、コメントありがとうございます。ついこの前の「今日の一句」がそのままコンテスト受賞になりました。引き続き、よろしくお願いいたします。
- 村山 健壱への返信村山 健壱
karaiさん、見ていただきありがとうございます。励みになります。川柳の方は、実体験ですからね、僕も。お恥ずかしい。 引き続き、よろしくお願いいたします。
- 村山 健壱
#第36回どうぞ落選供養 では今回からこちらでまず供養することにします。ちーん。 ****「決めていたんだ」村山健壱 (テーマ「アート」) 「お買い上げ有り難うございます」 父はそう言って深々と頭を下げた。僕はレジの奥で難しそうな表情を作りながら目礼をした。あまり愛嬌を振りまかない方が芸術家らしいと教えられて来た僕には、こうする他ない。もちろん僕だって、嬉しいし感謝している。自分の絵を買って下さる方がいるということは、本当に有り難いことだ。でも自信がある。僕の何百倍も父が今この瞬間を喜んでいるということに。 父はとにかく絵を描くことが大好きな少年だったらしい。父の父、つまり僕の祖父はそんな父を誇りに思い、本格的に芸術の道を歩ませようとしていた。祖父も絵画や陶芸に大いに関心があったようだが、何しろ戦後間もない時期だ。その方面に進むことはなく商いで努力した。そして得た財を使い、父に絵を習わせた。もともと好きなことであったため、その力をぐんぐんと伸ばし、小学校高学年の頃は県でも有名な児童だったようだ。 そんな父だったが中学に入って状況が一変する。あまり社交的とは言えない父は休み時間も一人で絵を描いていた。違う小学校から来たやんちゃな男子にとっては恰好の餌食だった。小学校から一緒だった友人たちに助けられることもなく、父は学校に行けなくなった。あの頃はまだ「登校拒否」などと表現され、学校に行きたくても行けなかった子を知っている世代の祖父にとっては到底受け入れられない事態だった。小学生の頃から通い続けていた絵画教室の先生は、教室にだけでも通えればと提案していたようだが、祖父にはあり得ない選択だった。遺影からは温厚な印象を受ける祖父だが、その頃は父に暴力をふるうこともあったという。父によれば、逃げるように布団に潜って漫画と画集とを眺める日々を過ごしていたそうだ。 バブルと呼ばれる砂上の好景気が終わりを迎えるころ、祖父が急逝した。大黒柱を失った家庭と会社を支えるには、部屋から出なければならない。父は決心して外の世界に飛び出した。父の妹である叔母は中学校の美術教諭になっていてとても手伝えそうになかった。祖母や従業員の皆さんが頑張って父が一人前になるまで待ってくださった。高卒認定試験から通信制の大学を経て、父は社長の椅子に座った。それまでに母と出会い、兄、その三年後に僕が生まれている。 決してゆとりがあるとは言えなかったが、会社の経営は順調だった。だから当然、兄も僕も、小さな頃から絵画教室に通ったし、コンテストでも入選した。そうして僕は今、画家として一応の成功を収めている。僕の画廊の経営をみているのは、会社を引退した父だ。会社の方はコンサルティングファームを辞めた兄が世襲し、さらに規模を拡大させている。 子供の頃、兄は僕より絵がうまかった。三歳違えばそう思うのかもしれないが、兄よりいつかうまくなってやる、という気持ちで僕は絵を描き続けた。中学時代の実績はやはり兄の方が上だったが、兄は私立の大学付属高校に入学した。そこで美術部に入ったものの経営学の魅力にはまってそのまま学部を選んで就職した。兄という目標が消えてしまった僕も普通の高校生活を送ろうかと思っていたが、父の強い勧めで県立高校の美術科に進学した。ここで良き師や友に出会えたことが、美大に進み画家として生きることを僕に決心させた。 当日の会計作業を終え、画廊のそばにある自宅に戻った。絵が売れた日の父は本当に機嫌が良い。大きな氷を入れたグラスにウイスキーを注ぎながら、父が笑っている。そんな父を見ていると、自分も幸せになれる。僕自身もやりたいことをやっていると自覚しているから尚更だ。今日は高い値がついたらしくいつも以上に陽気な父に、今なら聞けるかと思い質問をした。 「父さん、ちょっと聞いてみたかったんだけど」 グラスの壁に氷の当たる音が、カランと響いた。 「なんだ?」 僕は自分のグラスに口をつけ、燻した香りを飲み込んだ。 「兄さんがあの高校で、僕が美術科だったのは、なんでだったのかなあ」 父の表情が少し硬くなった。兄はシティボーイ的な暮らしに憧れていたのだろうし、いずれ会社を継ごうとあの頃から思っていたようなことを何度か本人から聞いてはいた。でも父は、本当のところどうだったのだろう。 「うん。どっちかに会社、どっちかが画家。これはおじいちゃんの頃からの願い」 「そうだよね。でもどっちがってのは……」 僕はもう一口、琥珀色の液体を流し込んだ。 「実は決めていたんだ。お前が一歳の時」 「えっ?」 「そうだ、兄ちゃんには黙ってろよ。芸術より実益だと言って聞かせたんだ、あいつには」 ただならぬものを感じて、僕は頷いた。そして父はグラスをテーブルに置き、口を開いた。 「お前はな、ペンをぎゅっと握ってな、紙に丸や線を描くんだよ。あーと、あーとって言いながら」 僕は知っていた。僕の娘がそのくらいの頃、やはり言っていたのだ。「有り難う」と言う場面で。【了】
- 村山 健壱
「まるせん」の「ごめんなさい七七コンテスト」で優勝賞をいただきました。更に久々に「ごめんなさい川柳コンテスト」でも1句入選にしていただきました。久々過ぎて頭がぐるぐるです。 お題にもよるなあ、としみじみしておりますが、どんなお題でも安定した結果を出せるよう精進したいです。今後ともよろしくお願いいたします。
- 村山 健壱
「小説でもどうぞ」第38回、なんとか出せました! 書き始めが29日夜ということもあり、推敲不足確実なのですが…… 「星新一賞」、今年は断念しました。ここ3年、提出していたのですが、無念です。なお、これらの落選作もNOVELDAYSで公開しております。ご興味とお時間があれば、覗いてみてください。 引き続き、頑張っていきましょう!!
- 村山 健壱への返信村山 健壱
蜂賀三月さん、ありがとうございます! ますますやる気を高めていただき感謝です! 続けて行きましょう!
- 村山 健壱
「まるせん」七七にて、2024年9月27日投稿の句が「今日の一句」に選ばれました。有り難うございます。 ここ2週、川柳のみならず七七までもコンテストで入選しなくなっていたので元気がなかったのですが、今日は前を向けます。「今日の一句」も9月は初になります。さあ、明日からも頑張ろう。
- 蜂賀三月への返信村山 健壱
さすがです! おめでとうございます。 頑張ろうと思いました。
- 蜂賀三月への返信村山 健壱
こんばんは。近年のご活躍を拝見し、感動しています! NOVELDAYSで僕は今も鳴かず飛ばずな感じです。 この1年くらい「まるせん」で川柳を続けていまして、だいたい毎日投稿しています。今回ご案内いただいた「中小企業診断士川柳」、今ほど投句しました。おもしろそうな公募を紹介いただきありがとうございました! まだまだ頑張ります。 頑張りましょう!
- 村山 健壱
「まるせん」の「喫茶店七七コンテスト」において、2句を入選としていただきました。有り難うございます。川柳は駄目でした。どうもひと頃の勢いがありません。まあ、先週の2倍選ばれている(笑)ので、良しとします。 あ、この投稿が記念すべき100回目のようです。今後ともよろしくお願いいたします。
- 村山 健壱への返信村山 健壱
なるほど。ありがとうございます。次回からNOVELDAYSへの公開日を遅らせるよう検討します! 今回の分は、以前NOVELDAYSに既に載せていたものの改作だったので、このままにしておきます。
- 村山 健壱
「まるせん」の「意気消沈七七コンテスト」で一句が入選となりました。ありがとうございます。うーん、寂しい。意気消沈とまではいきませんが、もっと上に行きたいです。 第35回の落選供養ですが、いつも通りNOVELDAYSの「あしあと」に収めておりますので、今回の講評企画には参加しません。 それではまた!
- 村山 健壱
「まるせん」の「日進月歩七七コンテスト」で2句を入選としていただきました。ありがとうございます。「無知蒙昧」よりはいい戦績となりましたが、やっぱり川柳で選ばれないのは寂しいです。今週末で締め切られる「意気消沈」は川柳の「ナイス!」入りがまだなく、ピンチです。追い込むぞ!!
- 村山 健壱
2024年8月25日「まるせん七七」に投稿した句が「今日の一句」に選ばれました。今月3回目ということで、かなり嬉しいです。川柳も頑張らないといけませんね。 「まるせん」関連では、『2024年7月の投稿から 会員自ら選んだ作品集』が届きました。今回は川柳だけでなく七七、短歌(狂歌)、自由律俳句、都々逸も入っています。川柳だけで表現しきれず下に七七句をつけたくなる時がどうしてもあって、それを一首の短歌にしてしまうのか、川柳と七七に分けて二句出すことにするのか、という時に、僕は七七を選んだ訳なのですね。ただ、七七は独立した句になるので、短歌の下の句を切り出すだけではうまく行きません。その辺が僕には面白いです。 七七七五という都々逸のリズムも楽しそうですね。これは逆に七七では言い足りない時にできそうだなあ、なんて考えています。 あと、「小説でもどうぞ」第37回「すごい」を1作提出しました。
- 村山 健壱
「まるせん」の「無知蒙昧七七」コンテストで1句を入選としていただきました。ありがとうございます。「無知蒙昧」は苦戦したのでこの1句だけになってしまったのも納得ですが、やっぱりちょっと悔しいというか寂しいというか、そんな気持ちです。 引き続き頑張ります。
- 村山 健壱への返信村山 健壱
karaiさん、ありがとうごさいます! 川柳は(七七ですが)笑えるのがいいですよね。ブラックも含め。頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします!