募集要項を勘違いして文字数足らずの作品ですが、落選供養ということで(汗) 『モナリザの微笑』 齊藤想 蟻川劇団に採用されたとき、陽菜は天にも昇る気持ちだった。 主催者の蟻川天鵬は、採用する劇団員を有名人に例える癖がある。「原節子」や「サラ・ベルナール」といった、往年の名女優の名前を挙げることが多い。 それなのに、なぜか陽菜には「モナ・リザのようね」と絵に例えてきた。しかも「女優としては、現代では評価されませんが」という余計なひとことつきで。 けど自分で選んだ道だ。頑張るしかない。 新人女優の陽菜は、セリフのない端役からスタートした。会社の従業員、美容院のスタッフ、役柄はいろいろだが、要するにその他大勢のひとり。 少しでも自分を輝かせようと、大ぶりな演技でアピールするのだが、その度に蟻川天鵬に注意される。 「貴方はモナ・リザでいいの」 陽菜は混乱した。モナ・リザのように、ミステリアスな笑みを浮かべればよいのか。 陽菜は、先輩たちのアドバイスを聞き続けた。それも蟻川天鵬は気に入らないようだ。 「次回の舞台は休んだ方がいいわね」 ついに陽菜は配役から外された。女優志望なのに、蟻川天鵬から命じられたのはチケット掛かりだった。 蟻川劇団の看板女優は「クレオパトラ」に例えられたベテラン女優だった。彼女はまるでギリシャ彫刻のように目鼻立ちがハッキリしており、身長も高い。化粧をするとさらに舞台映えがする。 彼女なら蟻川天鵬の考えが理解できるかもしれない。そう思って、陽菜は出演のために準備中の控室まで彼女を訪れた。 劇団のエースは、舞台用のマスカラを盛りながら、そっけなく答える。 「そんなの分からないわよ。なにしろ天鵬先生は変人だからね」 確かに蟻川天鵬は舞台界の異端児と言われている。次から次へと奇抜な舞台を用意しては評論家の度肝を抜き、呆れさせている。 いまの舞台だって、背景は全てAIに描かせ、しかも背景がランダムで入れ替わる脚本無視の代物だ。 落ち込む陽菜を、ベテラン女優が優しく包み込む。 「悩んでいても仕方がないわ。私だって、天鵬先生が私のことをクレオパトラに例えた意味が分かったのは最近なんだから」 「先輩の場合は、まさに美貌が……」 「違うわよ。クレオパトラは、美貌より知性で幾多の男性を魅了してきたの。だから、私もクレオパトラのように知性を磨きなさいという天鵬先生の教えだったの」 それなら、陽菜が例えられたモナ・リザにも意味があるのだろうか。彼女はメイクの手を止めて、鏡の中の陽菜と向き合う。 「大丈夫。天鵬先生は見どころのないひとは採用しない。きっとチケット掛かりも陽菜さんのためを思ってよ」 ベテラン女優の心づかいが、陽菜の胸に沁みる。ふっと、彼女の表情が緩んだ。 「陽菜さん。いまの笑顔、とても素敵よ。その笑顔を忘れないで」 数か月後、陽菜はチケット掛かりを卒業して舞台に復帰した。なんと、次の舞台で陽菜は主役に抜擢された。 新しい舞台の下見をしている蟻川天鵬に、陽菜はそっと近づいた。 「天鵬先生。モナ・リザの意味が少し分かった気がします」 蟻川天鵬の目は舞台から動かない。 「モナリザの微笑みの秘密は、人間が本当に嬉しいときにだけ現れるデュシュサン・スマイル。この表情は不随意筋が作り出すので、演技では生み出せない。天鵬先生が私に求めているのは、このモナ・リザのスマイルだったのですね」 蟻川天鵬が無言なのは、同意の証拠。 「ただ、現代では人工的な笑顔が氾濫しすぎて、逆に本物の笑顔であるモナ・リザがミステリアスと見なされている。だから、天鵬先生は、私は現代では評価されないかもしれない、と言ったのですね」 蟻川天鵬は沈黙を続けている。彼の頭の中では理想の舞台が広がっている。それは現代劇か、前衛劇か。 「チケット掛かりにしてくれたのは、観客たちの自然な笑顔をたくさん見せるため。自分らしさを取り戻させるため」 「今度の舞台はねえ」 ようやく、蟻川天鵬が口を開いた。 「人工的なものを排除したいの。舞台は人間が作り上げるという前提を打破したい。前衛中の前衛劇。その非常識な舞台に、陽菜はついてこれるのかしら」 「もちろんです」 陽菜は笑顔で答えた。きっと、最高のデュシュサン・スマイルになっている。 #第36回どうぞ落選供養 【追記】 モナリザの微笑とデュシュサン・スマイルの関係は、リサ・カーター『脳と心の地形図』を参照しました。
齊藤 想