あるソフトにはまりだした。俄然。全く興味がないというか、範疇ではなかったものに触れるとき、ある種見知らぬ土地で全身全霊でどうしようかを考える。あの感覚を思い出す。言葉が通じないとかどうでも良くて(駄目なんだけど)、伝えたいということを伝える。どうにかそのソフトでやりたいことをやる。そういう感覚が湧き出してくるのが「面白さ」何だと思う。
- まぐろスキー
- まぐろスキー
ものすごく自分でやっているという感覚ほど意味がないものはない。正確にはやっている感覚があっても矢印は自分に向かっていて、成長や創作や発表というベクトルになる気がする。やっているがいわゆる見栄をはるための、本当はそこまでやっていたいわけではないが、というのがあるときそれらは瓦解する。そこで残るのが本当の自分かもしれない。
- まぐろスキー
集中できているほど免疫が強くなるみたいな。当たり前なのだろうけど。周りが気になる時は集中できてない。2択ではないんだけど、この切り替えがうまくできると、かなり色々なことがスムーズになるのだろう。
- まぐろスキー
つくるが非日常になるといけない 日常的につくって仕掛けていこう
- まぐろスキー
作って出して学んで作っての繰り返しが結構、というか多分はまっていくと、めっちゃいい気がする。
- まぐろスキー
自分のことを「つくりて」、作る人、創る側なんてことを「びた一文」思ったことはない。一方で、人はとにかく「見る」ことに引っ張られる。何か作れば「クリエイター」だと。それはとても良いことだと思うのだけど、気質として「高めたい」ものをどう調整できるか。柔軟性といってもいいが、壊れた感じよりも(笑)いい感じにしたいのだけどできない、という人が「生粋」のクリエイターで、「調整」できる人はビジネスマンって言われるのかもなあと。
- まぐろスキー
社長ブログ更新待ってますよ!(笑)忙しいとは思いますが。
- まぐろスキー
自分が作ったものを見せるというのが恥ずかしいというのは誰もが通る道かもしれない。それをAIで慣れて(AI英会話アプリみたいな)いけばできるというなら、そういうAIはあったほうがいいし大いに使ったほうがいいな。
- まぐろスキー
プラットフォームといったほうがいいが、新たなその利用で新たなフォロワーが出てきた。それは1名とかなんだけど。でも0→1名になるのは革命的な楽しさがある。そのワクワクが非常に好きだから、そういうチャレンジは辞められないのだと思う。比喩としては「そういう過程を通してしか得られない成分がある」というやつだろうか。面白いことにこれらは「可視化」しづらい。定量化として数字で0も1も同じ数字でしかないので、意味を持たないのだ。情緒や感情や感動なんでもいいけど、ここに宿るかもと。
- まぐろスキー
創作量といってもいいが、一定の量アウトプットが出来始めると、否が応でもその評価が出てくる。良い評価と悪い評価の質でなく、評価の数や量の話だ。そうすると、手応えを感じやすくなる。今度はその手応えに応じて調整することができる。創作が自己のマグマを出す行為もありえるが、どちらかといえば共感や表現を通して伝えるということであるならば、ニーズに対してというよりも、共感度が増えたという理解が、評価の数はいいかもしれない。
- まぐろスキー
ショートショートを作成。プロとかそういうものになりたいのは全くないが、アマチュアかプロでなく、プチクリみたいなポジションが良い。という概念も流石に社会に浸透するか、分かってくる人が多そう。 要するに色々楽しいとか好きなことを表現するのがいいってことで。
- まぐろスキー
やろうと思ってもまあいいかと明らめてしまったと。これ何年もやっているので多分ご縁が無いのかなと。やる気があるけどやれない。こういう時って色々あるなと。無理してやるものではないので永久にやらないという説か。
- まぐろスキー
ポッドキャストの継続率を調べていて良いデータはないなと。一方でブログとか流石古いメディアだけあって面白いデータが結構ある。体感では1年で10-30%も継続していれば良いほうだと。100人トライして10人まで残っているかなと。ポッドキャストのデータはないけど、配信者自体がレアといえるけど、概ね同じくらいなんだろうなと。逆にいえば、1チャンネルには10の消えていったチャンネルがあるのかもと。
- まぐろスキー
色々やろう。
- まぐろスキー
練習は裏切らない。積んでいくしかない。あとは多少の方向性と、ある程度の結果やチャレンジを振り返るということ。これらはかなりシンプルだがやり続けられる人がいないのは、それなりにこの行為自体が面白くできないからなんだろう。そこが価値ならどんどん提供していったほうがいいっぽい。
- まぐろスキー
自分が知らないことで想像はできないことは山程ある。だから、それを知っている人(無知の知)は学ぶんだろうなと。学ぶことをやめたら多分そこで色々終わる。アイデア出していきますか。
- まぐろスキー
時差はあれど、いよいよ生成AIで作ったアイデアがコンペに出てきた。アウトプットは企画系で、画像とかではない。生成AI利用は全く否定しないが、AIが出したそのままのアイデアは質が低い。故に人が「アシスト」して高めていく作業がなければ、感覚として人のアイデアをそのままコピペしている感とも思う。今後どうなるかは非常に注目するんだけど、人が高めていくことがなければ、ツールであるAIも使い切れないと思ってる。
- まぐろスキー
例えば言葉は好きだ。言葉遣いから人が分かるし、なんか面白い言葉があれば調べてしまう。であればその言葉を活かして何かしたほうがいい。安易にはキャッチコピーとかのコピーライター。ただ、別にそれはプログラミングでコメントがしっかりしているとか、活かし方は色々あるってことで。
- まぐろスキー
アイデア自体をのアウトプットが様々に分散されていたほうが面白い。ただ自分が慣れたとか、手間がかからないものはやっぱり大事で。慣れたツールで馴染む、道具でもなんでもいい。そういう心地よさは大事だなあと。好きなものはやはり強い。
- まぐろスキー
自分のスキルが見える化されたり、可視化されることで、それに自信を持つとぐっと解像度が上がる。コンペや公募が一つのきっかけとなるのであれば、それは良いチャレンジの後押しじゃないかなと。
- まぐろスキー
提案のコツというわけでなく、シンプルに相手はこれを望んでいるかもなを想像して、ならばこれでやれないかという、ある種アイデア化すると喜ばれるのではないかと。まあそれでも駄目なら駄目でよく、あとはこの場数ですかね。
- まぐろスキー
Webアプリコンテストで入賞。応募者が少なかったのもありそうですが、こういうのをしっかりやっていきたいですね。
- まぐろスキー
「アイデア」を扱う場合に、「アイデア」自体の具体性はそれほど気にしてなくて。ただ、具体化しないと見えないから、具体化しないとね、となる。 この興味の観測範囲などが問題になるような。人によって違うので、曖昧だと感じる人もいれば、それもいいよねとなる人もいる。なんとなくだけど、具体化できるだけで具体化したくてやっているかは別だろうと思ったり。
- まぐろスキー
アイデアは組み合わせである解釈の理解度でアイデア度はチェックできそう。A×Bをそのまま出されたことはあったが、その解釈をある程度しないとアイデアとならない。 それは相手に考えさせているし、意味が通じてないこともあるのでそれは流石にNGかなと。カレーが欲しいのに、じゃがいもと肉を目の前において、「はい、置いたよ」みたいな。それでカレー代1,000円出すと流石に怒るか、または呆れて去るか。まあトラブルですよねと。 それがまかり通る社会ではないと思うが、見えないアイデアや使役となるとありえると。老婆心では説教だが、それほど「甘くはない」はずなので、それは支持はされないだろう。そこまでお人好しじゃないっすw
- まぐろスキー
つくるも色々ある。アイデアを出すのもつくるの一部であると思う。その感覚があるかどうかで「アイデア」に関する感度が異なってくる。ぞんざいに扱ってしまう人は、アイデア→形にするという実体験がないかもしれない。なぜなら形にできるとは全てアイデアがあったからで、勝手にうまれる(なんとなく手を動かしていたら良いものになるとかはあるけど、その一瞬一瞬の動きがアイデアだと思ってしまうし、発見して取り上げないと広がらない) 今年もやりますか。
- まぐろスキー
非中央集権型SNSとかどこまで回るか大きな流れとして。それ以外でも結局人は自分ひとりでは孤独(孤高でなく)になると。そこらへんで何でもいいので精神的な交流がいるんでしょうね。 創作はそういう意味で精神も満たされるし交流も生まれるかもしれないので、魅力的なものなんだろうと。
- まぐろスキー
本「つくログ」いつからか気になったので調べてみました。 https://www.koubo.co.jp/shachou/?p=23488 2023年2月の記事とあるので、その前後と見ていいのかなと。 今後の発展をお祈りしつつ。