「祭り」に出品した作品です。 ご感想や修正点などご返信欄からお気軽にご教示頂けたら嬉しいです。 よろしくお願い致します。 #小説でもどうぞ #第34回どうぞ落選供養 『城』 彼女はどうして自分の人生を軽く考えているのだろう。僕は何度も自問した。 彼女と出会ったのは大学の哲学のゼミだった。僕は何度か彼女と話すうちに彼女が同じ思想を学ぶ傾向にあり、同じ思想に興味がある事を知った。大学の哲学科は、各分野の学問を礎にしてその上に確立される存在だ。アインシュタインを学ぶ理系もいれば、フランス文学に親和性のある文系もいる。地域文化を研究する者も入れば、経済学から介入する者、政治学や精神分析学、時に医学から学ぶ者と様々だ。彼女とは履修する講義が被る事が多かったので、同じ方向の研究をしている事を知った時は、また同じ音楽も好きだと知った時は嬉しかった。 しかし彼女と僕はとても違った。同じ思想を学んでいても彼女は「Newton」を持ち歩いているような理系であり、数式や情報処理で物事を考える傾向にあり、感性の機微に触れる事が苦手なようだった。彼女も文系の僕に興味を持ち、おすすめの文学書を何度か尋ねた。しかしプルーストは苦手だったようだ。「何が書いてあるのかさっぱり分からなかった」らしい。それでもカフカの「城」は彼女の愛読書の一つになった。彼女は城の紋章のような絵を描きフォトショップで加工してワッペンを作り、「城の会」を創設した。メンバーは僕と彼女だけだったが、印刷会社に大量に発注したワッペンは学園祭で販売すると、独特なデザインがウケて高値で売れた。 彼女は僕からしたら若干エキセントリックに見えた。見た目は地味な方だし、なぜ奇抜な雰囲気があるのか分からなかったが、たまに雀荘に「偶然性を味方につける」と意気込んで行く所かもしれない。彼女は僕の事を「落ち着きがあって、優しい人」と表現してくれたが、彼女とは恋愛関係には全くなれそうになかった。 それどころか彼女とどうしようもない決裂が生じたのは、最も根本的な問題だった。例えばニーチェが、一方はナチスにもう一方はマルクスに受け継がれたように。 僕は日比谷公園にいた。思想を可視化するデモに参加するために。彼女を誘ったが来る気配はなく、彼女は新宿に出来た雀荘に行ってしまった。彼女は僕の活動にも共有していたはずの思想にも同調する事はなく、僕も彼女の没頭するエンターテイメントに興味はなかった。 大学卒業後、彼女は企業専属のホワイトハッカーとして仕事を始めた。そうかと思えば、何処の馬の骨とも分からない男といつの間にか結婚し子供までできていた。 それでいて僕にとって彼女を忘れることは中々難しい事だった。彼女は僕の思想は理解できても僕の活動は理解できない。しかし思想を誰よりも理解できるのだから活動も理解できるはずだ、と考えている自分は甘かった。インプットが同じでもアウトプットが同じだとは限らない。僕だってAIのような彼女を理解しがたい。彼女はいつも資本主義社会の中枢にいて、その余剰を謳歌しているように見えた。 しかし彼女を呼び出す方法が一つだけあった。「城」のワッペン画像を自分のSNSに流し込むだけだった。 彼女はつい昨日会った人のように僕の前に現れた。「久しぶり!呼んだ?」と。時を超えて再び現れた彼女。何気ない話題もまるで夢のような時間だった。そして彼女はしばらく会話をすると「またね!」と言って陸上選手のような軽快な走りで駅の方に走り去ってしまった。お互い時間の流れ方が違う。既婚者でもある彼女をどうすれば捉えられるのだろうかなどと僕は自問自答していた。 それから10年の時ばかりが瞬く間に過ぎていった。僕と彼女は時折会うことはあったが何の進展もなく、それでいて城の会は相変わらず僕と彼女のままだった。僕は大学に就職して多くの女性と出会いはあったが、独身のままでいた。今になって彼女が既婚者である事への壁、そして城の主人公のように彼女に辿り着こうとすればする程、辿り着けなくなる状況を僕はようやく悟り始めた。彼女はある時言った。「城」とは確率論を学ぶための有効な手段で、城に辿り着くという事は麻雀で「大三元」を出すようなものだと。 一度だけ日比谷公園を彼女と散歩がてら歩いた。その時の彼女の姿は、時にマグダラのマリアのように時にジャンヌ・ダルクのようにかわるがわる見えた。周りにはキラキラとダイヤモンドの星が降っていた。月も出ていない夜だった。
- lemonade