阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「意地悪な麦わら帽子」西方まぁき
夏が終わっても、ハヤトは麦わら帽子をかぶっている。
「おかしいよ、それ」
と、指摘したいが、言えない。
ハヤトは傷付きやすいところがある。
いつもの「ステージ」は閉店後のスーパーの前だ。
シャッターが下りるのを見届けて、ギターを肩に掛け、おもむろに麦わら帽子を脱いで上に向け、足元に置く。
♪ジャンジャカジャカジャカジャン!
自作の陽気な歌を熱唱する。
痩せた体で絶叫するのを見る度に、カップ麺ばかり食べてりゃ声もかすれるよと思う。
洗いざらしのシャツに破けたジーパンはステージ用の衣装だと言うが、ハヤトが着ると妙に貧乏臭く見える。
一曲歌い終わった時点で、観客は私を含めて三人だ。
二曲目の曲紹介をしている最中に、そのうちの一人が麦わら帽子に小銭を投げ入れて立ち去った。
「十円かぁ……」
せめて、百円!
と、心の中で叫ぶが、現実は甘くない。
投げてくれるだけ、ありがたい。
♪ジャンジャーカジャカジャカジャン!
♪ジャンジャーカジャカジャカジャン!
次はハヤトの持ち歌で一番ノリの良い曲だ。
盛り上げなければ。
正面に立ち、ピョンピョン跳ねながら手拍子を打つ。
♪どぉしてぇ こぉなっちまったんだろぉ おおっお~~~~~ オレ!
「オレ!」
と一緒に叫ぶ。
気が付くと、もう一人の観客も居なくなっていた。
「しょうがないよ、今日は」
降り始めた雨空を見上げて溜息をつくハヤトにつとめて明るく声を掛ける。
このスーパーの軒下で、私は何度同じことを語りかけただろう。
しょうがないよ、この天気じゃ。
たまたまだよ、集まらなかったのは。
今までは「そうだよな」と素直に頷いていたのに今日のハヤトはちょっと違う。
暗い顔で、麦わら帽子の中をじっと見詰めている。
一時間休みなく歌って、十円玉が五枚、五十円玉が二枚、百円玉が一枚。
「メロンパンが二つ買えるね」
なんの慰めにもなっていないのはわかっているが、何か言わずにはいられない。
「オレってさぁ……」
黙り込んでいたハヤトがようやく口を開いた。
「この程度の価値しか、ないってことなのかな……」
まるで悪霊にとりつかれたみたいな顔で私を見る。
「え……」
不覚にも、この問いに対する答えは用意していなかった。
「あたしは、好きだよ……」
ハヤトの曲。
言い終わらないうちに、麦わら帽子を差し出された。
「やるよ、少しで悪いけど」
雨の中、ギターケースを片手に背中を丸めて去って行くハヤトを引き留める言葉が見つからない。
帽子の中のコインを手にとり、改めて数えてみる。
二百五十円。
「ハヤトの価値……」
わからない。
そもそも人の価値をお金に換算することができるのだろうか。
溜息をつき、麦わら帽子を頭にかぶる。
帽子の中から耳の脇を通って何かが落ちた。
チャリーンと音をたててコンクリートの上を跳ねる。
水溜まりに五百円玉が落ちている。
慌てて拾う。
「ハヤト!」
大声で叫ぶがハヤトは既にはるか遠くを歩いていた。
「これも、入ってたよぉ!」
五百円玉を手に腕を高らかに上げ、その場でピョンピョンとジャンプする。
「ねぇってばぁ!」
一層激しくなる雨音に私の声はむなしくかき消された。
「隠すことないじゃんよ!」
麦わら帽子に文句を言った。
(了)