阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「見える人 見えない人」石黒みなみ
朝子は、私の行きたいところにはたいていどこにでもつきあってくれる。夫や娘も嫌がるようなところでもだ。寒がりだというのに、真冬のアイスランド激安ツアーも一緒に行ってくれた。その朝子が唯一つきあってくれないのが、骨董品屋だ。
「霊がおるから嫌や」
というのである。ついこのあいだも、しゃれたカフェで向かい合って話していると、私の後ろあたりを変な目で見始めた。
「そこに顔色の悪いお侍さん、いてはるよ。亮子はわからんの?」
振り返ったが、気配すら感じなかった。朝子には当たり前のことらしく、気持ち悪いとか怖いとかいうことはないそうだ。それなら骨董品屋も大丈夫ではないかというと
「ようけおって、うっとおしい」
という。
そんなわけで、今回も骨董品屋には寄らない約束で小旅行に出かけた。のどかな春の日、小舟で水郷巡りをしたり、植物園を歩いたりした。駅の近くに戻ってきて、カフェの並ぶ通りで一休みしようと思った時である。「西洋骨董」という木の看板が目に入った。私の気配を察知したのか、朝子はすぐ道路の反対側に走ってゆき
「行かへんで!」
と叫んだ。しかしすっかり看板に引き寄せられた私は
「ごめん、ちょっとだけ。そこらへんのカフェで待っとって」
というと店に飛び込んでしまった。
ガラスのショーケースに並べられた、ピンクのティーカップ、大きなカメオのブローチ、長い金のネックレス。見ただけでわくわくしてきた。その中の一つに目が留まった。小さな角か牙のような形のブローチだ。
「タイガークロウ。虎の爪です」
いつのまにか、女店主がそばに立っていた。そういえば猫の爪を大きくした形だ。女主人はケースからブローチを出して見せる。見とれながらも、朝子を待たせていると思うと落ち着かない。
「本物の虎の爪です。軍人が自分で仕留めた虎やライオンの爪に、こんな金細工を施して、懐中時計の鎖にぶら下げたりしたものです。フランスの小説にも、美青年が女性に請われて持っていた虎の爪をプレゼントする話がありますよ。よくあることだったんじゃないでしょうか」
美青年! そんな霊がくっついてくるなら、朝子も喜んでくれるのではないか。私は見えないのが残念だ。ブローチを胸につけてもらい、鏡を見る。
「よくお似合いですよ。ヒョウ柄のお召し物に、虎の爪。こんな着こなしは大阪の方ならではです。しかも皆さん、タイガースファンではありませんか」
褒めてるんだか、けなしてるんだかわからない。それに朝子は阪神ファンだが、私は野球オンチだ。しかし、クリーム色の虎の爪は妙な魅力があり、思わずカードで買ってしまった。イケメンの霊が朝子にすぐに見えますようにと、ブローチはつけたまま店を出た。
朝子の居場所は向かいのカフェの窓際の席にいた。この辺では見かけないゼブラ模様の上着ですぐわかったのだ。外からガラスを叩くと、すぐ気がつき、こちらを向いて目を丸くした。やった。美青年が見えるのだ。
朝子は店から飛び出してきて、叫んだ。
「あんた、何か変なもん、買うたやろ!」
「変なもん?」
「何、そのくたびれた外人のおっさん。軍人さんかな。時計と鎖、腰からぶら下げて、なんか落とし物でも探してはるみたい」
虎は仕留めても、女性に爪はねだられなかったモテない人だったのか、残念、と私は朝子の指差す方向を一応見て、驚いた。大きな虎がのっそりと歩いていた。思わずひゃっと声を上げた。
「虎、虎」
「は?」
朝子は私の両肩を掴んで揺さぶった。
「亮子、あんたはヒョウ柄のセーター、私はゼブラの上着でシマウマ。虎なんかどこにもおらん」
いや、虎はまちがいなくそこにいて、あくびをしている。ひょっとすると朝子には見えていないのか。
「亮子、あっちこっち行って疲れたんや。もう帰ろ」
最近、妙に家の近くに猫がたくさんいると思ったら、全部霊なのか。
「ああ、亮子、そんなに虎虎いうんやったら、今度、阪神の試合、つきあってや」
「うん、わかった」
朝子に引きずられながら振り返ると、虎はゆうゆうと道路を渡ってゆくところだった。私には見えないおっさんは、まだ落とした虎の爪を探しているのだろう。
(了)