阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「窓」中村瑞帆
殺風景な部屋だ。机の上に紙とペン、それにガラスのボトル。それ以外、何も置いていない。ただ、大きな窓があり、陽の光がさし込んでいる。
窓の外には、太陽と海が見える。海面はいつも穏やかで、ただ、青空と水平線が見え、かすかな波の音と潮の匂いがする。
もちろん、これは現実の話ではない。僕は、この頃毎晩のようにこの同じ風景の夢を見ている。
「……というわけなんだ。毎日同じ夢って、おかしくないかな。例えば、何かの象徴とかさ」
あまりにも毎晩同じ夢を見るので、妻や親しい友達に話してみたのだが、
「ふーん」
「疲れてるんじゃないの」
という反応であった。いわば「で、それが何か?」の大合唱である。
話したこっちもどうかと思うけれど、ある女の子からは、口説こうとしていると勘違いされたみたいで、彼女はそれを境に何だか疑り深い目で僕のことを見るようになった。
まあ、そんなもんだろう。大体において、他人の夢の話というのは退屈極まりない話の代表みたいなものだから。
「何かからの逃避とかじゃない?最近、あなた仕事で疲れてるみたいだし」
妻は励ますように言った。
「でもさ」
僕は言った。
「今までも仕事は忙しかったし、今に始まったことじゃない」
「そうだけど、忙しすぎるわ。こないだの結婚記念日なんか…」
「でも、夢ぐらいで仕事を休むわけにはいかないよ。だって…」
「ほら、また始まった」
「え?」
「あなたって、そうやって我慢ばっかり。だから変な夢ばっかりみるのよ」
あまり納得いかなかったけれど、それ以上会話を続けても無意味と判断し、僕はそこで話を打ち切った。僕と妻との会話はいつもこんな風に終わる。夫婦は、多少の我慢は仕方がないのだ。
しかし、解釈をいくらしても、僕は毎晩同じように眠り、そして毎晩全く同じように夢を見続けた。フロイトやユングが生きていて僕のことを知ったら、母親への固着とか、新しい異性関係を求めているとか分析してくれたかもしれない。
しかし、たとえ夢の中でも、何もない部屋の中でただ海を見ているのは飽きてくるものだ。何しろ僕はあまりにも毎晩同じ夢を見続けたのだ。
退屈のあまり、僕はふと、ガラスのボトルの中に何か書いて海に流してみたらどうなるだろう、と思いついた。
「明日の営業がうまく行きますように」
僕は口下手で営業はあまり得意ではない。そう書いた紙をボトルに入れ、開いた窓から海に思い切り投げ捨てた。ずっと時間が経ってから小さくぽちゃん、と音がした。
その翌日。自分でも信じがたいほど、まるで別人のようにうまく交渉が進んだ。どうしたんだ、やればできるじゃないか。上司は励ましなのか悪口なのかよく分からないが、とにかく褒めてくれた。
しかし、本当は、僕がうまく話したというより、僕が全く普通に話しているのに、相手が勝手に感動したのだ。僕は自分の容姿がジョニー・デップかディカプリオにでも生まれ変わっていないか、確認のために一度鏡を覗きに行ったぐらいだ。
ともあれ、こうなると、次の日も同じようにやってみたくなるのが人情である。それから毎日のようにボトルを海に流し続けたが、書いたことはことごとく実現した。そして、書く内容はだんだんと多くなっていった。
「隣のOLがうるさいから静かに」
「あすの晩御飯はハンバーグ。家が散らかってきたから片付け」
「映画を見に行く」
何でも叶い、そしてどうせ誰にも迷惑などかからないのだから、書きたいだけ書けばよい。詰まらないことまで思いつくことは全て書き込んで窓から投げ捨てることにした。もちろんもう夢の話は誰にも言わないことにした。僕だけの秘密だ。
そんなある日、妻が言った。
「ねえ、最近、私調子が変なの。病院でも行った方がいいかしら」
「どうかしたの」
「実は、ボトルに入ったメッセージが降りてくる夢に毎晩うなされてて、しかも、なぜかそれに逆らえないの…」