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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「遠い入り江」石黒みなみ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第52回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「遠い入り江」石黒みなみ

息子は窓の外が気になって宿題がはかどらないようだ。

「ねえ、パパ、あれ花火?」

この超高層ビルは高断熱、高遮音だ。遠くの真っ暗な入り江に、音もなく散る光だけが見える。リビングに続く小部屋でパソコンに向かいながら、私もちらちらと窓の外を見た。夜になっても外は相当な暑さのはずだが、ここはエアコンがきいて涼しい。

「パパはお仕事中よ。邪魔しないで」

キッチンから妻が声をかけた。いい匂いがしている。煙は高機能の換気扇に吸い込まれ、ここは快適だ。

「もう少ししたらご飯にするから、さっさとやっちゃいなさいね」

「うん、わかった。じゃあ、パパもだね」

返事をしないでいると息子は追い打ちをかけてきた。

「パパもだよ、さっさとやっちゃって」

口調は妻そっくりだ。

「わかった」

私はパソコンの画面を見ながら、カーソルを動かす。

「あっ、まただ、すごく大きい!」

息子の大声に私は思わず顔をあげた。窓の外は目もくらむようなまぶしさだ。

「よそ見ばっかりしないでって言ってるでしょ」

妻がまた注意する。

「はあい」

そうだ、余計なものは見まい。

この土地に赴任してきたとき、その美しさに目を奪われた。双子のように寄り添って流れる二つの川は、最後に一つになって海に注ぎ込んでいる。この部屋からはちょうど合流するところが見える。川に挟まれた土地は肥沃で、古くから栄えたところだ。人口も集中している。石造りの古い町並みは優雅だ。しかし、私の任務はこの土地を愛でることではない。

「ねえ、パパ、ご飯が終わったらあそこに花火を見に行こうよ」

「ダメだ」

私はきっぱりと言った。

「危ないんだ。ものすごい人だよ。みんな押したり走り回ったり」

「何かゲームをしているの?」

「ゲームじゃないさ」

息子よ、あれは花火でもゲームでもない。ただの終わりのない争いだ。だが、私の仕事はそれについて考えることではない。

「つまんないよ。ここから見てるだけじゃ。音も聞こえないし」

「行くものじゃない。第一ものすごく遠いんだ」

ああ、早く終わらせなければ。

「そんなはずないよ。昼間は海の近くの建物がはっきりきれいに見えるよ」

どうか真っ暗闇のうちに、すべてが終わりますように。朝の美しい光の中で無残な姿がさらされることがないほど、あとかたもなく徹底的にやりつくさなければ。

「ねえ、パパ、この窓開けられないの?」

「そうよ」

妻が口をはさんだ。

「宿題はできたの」

「できたよ。パパは?」

「うん、もう少しだ」

カーソルを動かし、最後のクリックをした。

「あ、パパ、見て、今度もすごい」

息子は窓のそばに駆け寄った。遠い入り江の上空に白い光が何度もひらめき、そこだけ真昼のように見えた。しばらくするとまたあたりは真っ暗に戻った。

「終わりかな」

息子は残念そうに、ガラス窓に額をくっつけている。

「おしまいだ」

私はパソコンの電源を落とした。画面も漆黒の闇に変わった。重労働をしたわけでもないのに、全身に疲労を感じた。

「カーテン、閉めましょうか」

「いや。しばらくそのままにしてくれ」

うなずいた妻は息子を促した。

「さあ、ご飯にしましょう。チキンよ」

「やったあ」

息子はテーブルに駆け寄った。

「いただきまあす」

「待ちなさい。その前にお祈りだろう」

息子はうなずいて両手を組み、目を閉じた。

私と妻は目を合わせ、窓の向こうを見る。暗闇の中、あのあたりにはもう何も動くものはないだろう。

「パパ、お祈りの言葉、早くしてよ」

「そうだな」

目を閉じるとここにも闇が訪れた。祈りのあとに、カーテンを閉めよう。

私は祈る。息子の目には恐ろしいものが映りませんように。そして、どうか、ここだけは、私たちだけはずっと安全で快適でありますように。

私は唱えた。

「我らに罪を犯すものを赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」