阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「ピースメーカー」古閑陽一
「ミーコ姉さん!」
今日は寝室の窓辺で昼寝をすることにしよう。のんびり毛づくろいをしていた私を、弟分の小次郎が呼びに来た。とっさに叱りつけようとして思いなおした。昼寝を邪魔されるのをなにより私が嫌っているのを、小次郎はよく知っている。それなのに私を呼んだのだから、きっとなにかあったのだろう。
小次郎に押し出されるようにリビングに入ると、すぐに室内に隙間無く漂う険悪な空気に気がついた。またか、と私はうんざりした。
小次郎は私の数倍はある体を小さく縮こまらせ、私の背中にぴったり寄り添っている。暑苦しいったらありゃしない。こんなに大きくても、小次郎はまだ子供なのだ。
「そんな顔するんじゃないよ。ここの家の人間はたまにこうなるって教えただろう」
「なんでこんなことになったのかな。さっきまでは普通だったのに」
「理由なんてあってないようなものだよ。とてもくだらないことで人間ってのは争うんだ」
確かに少し前までは、ご主人夫婦は仲良くカウチに並んでテレビを観ていた。きっと小さなことがきっかけで言い合いになり、それから売り言葉に買い言葉で深刻な夫婦喧嘩に発展してしまったのだろう。この夫婦のいつものパターンだ。
大体からして、この夫婦はどちらも気が短すぎる。何度同じような喧嘩を繰り返せば学習するのだろうか。人間は彼らが思っているほど賢くないことを、人間以外の動物はみな知っている。
夫妻の声が一段と大きくなり、小次郎が首をすくめた。良くない兆候だ。こうなると、ただの喧嘩から大喧嘩になるのは時間の問題だ。悪くすると、その後しばらく冷戦が続くことになり、その間は家の中の全員が気まずい思いをすることになる。私としてもそれは避けたいところだ。
奥さんがついにティッシュボックスを投げた。それは旦那さんをかすめ、壁に当たって床に落ちた。一応は旦那さんに当たらないようにコントロールする理性はまだ残っているようだ。なんとかするなら今のうちだ。
「姉さん、怖いよぉ」
「情けない声出すんじゃないよ。いいかい、よく聞きな」
くんくんと鼻をならす小次郎を私は叱咤し、手早く指示をだした。
「それボクがしなきゃいけないの?」
さらに小さくなった小次郎は私は尻尾ではたいた。
「当たり前だろ。いいから、言われたとおりにするんだよ。喧嘩を止めたくないのかい」
「でも……」
「これくらいのことできなくてどうするんだい。狩猟犬の血筋が泣くよ」
私が小次郎を前に押しやったとき、奥さんが雑誌を手に取った。次はあれを投げるのだ。雑誌の次は、リモコン、コーヒーカップ、最後には携帯電話が宙を舞うことになる。
「ほら、今だよ!」
小次郎はまだ耳を伏せたままだったが、それでも慎重にタイミングを計り、狩猟犬らしく絶妙なタイミングで飛び出した。
奥さんが投げた雑誌は、旦那さんをかすめ、見事に小次郎にヒットした。
「キャン!」
なんとも悲しげな悲鳴をあげた小次郎に、夫妻ははっとしたように動きを止めた。
床に倒れたままヒンヒンと鼻を鳴らし、痛くて立ち上がれないという演技をする小次郎に、夫妻は慌てて駆け寄った。
小次郎の体を二人で撫でまわし、異常がないか確認する。
怪我はないみたい
でもすごく痛そうだよ
もしかして骨が折れたとか
そんなまさか……。
撫でられて嬉しそうな顔をしながらも演技を続ける小次郎を間に挟み、夫妻は先ほどまでの剣幕が嘘のように一気に心配顔になっている。
やれやれ、と私は胸を撫で下ろした。どうやら私の策がはまったようだ。
あれくらいで頑丈な小次郎が怪我をするわけがないのに。ご主人夫婦の目には、小次郎はまだ小さな仔犬に見えているのだ。
その後、夫婦はバタバタと外出する準備を整え始めた。奥さんは私に留守番お願いね、と言い、旦那さんは重そうに小次郎を抱えて慌しく家を出て行った。動物病院に行くのだ。
可愛そうな小次郎は注射を打たれるかもしれないが、あれだけご主人に構われたのだからそれくらいは我慢してほしい。
私はやっと静かになった室内で、あくびをした。まったく、私の家族は世話がやける。私は暖かな窓辺に寝そべり、昼寝に戻ることにした。