阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「トイレに隠して」樹ほう
夫はトイレが長い。
付き合っていた頃からそうだった。しかし結婚して二十年。どんどんひどくなってきている。
若い頃は、一日に二回ほど。十分くらいしたらでてきていたのに。今は一日に五、六回と回数も増え、時間も長いと三十分はでてこない。
私が心配するのは、夫が十年ほど前に痔の手術をしたからだ。
もしかして、また痔が再発して、痛くてトイレに時間がかかっているのかしら。
でも夫は何も話そうとしない。聞いてもこたえてくれないし、こっそり様子をうかがいたくても、トイレには必ず鍵がかかっている。
娘の優に相談してみたものの、「お母さん考えすぎ」としか、言ってくれなかった。私だって考えすぎたくない。しかし、トイレから出てくる夫は、必ず疲れきった顔をしている。
私はますます心配になった。
不安にかられて、インターネットで痔や大腸の病気について調べまくった。夢中になって調べていると、いつの間にか夫がうしろに立っていた。
「すまん、話があるんだ」
夫がいつになく真剣な顔をしている。
「はい。あの、もしかしてトイレのこと?」
「ああ。お前にはもう隠しておけないと思ってな」
ついにきた。ああどうか悪い病気じゃありませんように。せめて痔の再発でありますように。
「実はな、俺はトイレでヒーローになっているんだ」
「は?」
「だからな。トイレでヒーローに変身して地球を救っているんだ」
「は?」
「いや、は? ではなくてな。あっ、呼び出しがかかった。ちょうど良い機会だ、ついてきてくれ」
夫はそう言うと、私の手をつかみ、トイレへとつれていく。そして、書くのも恥ずかしいセリフを言い、「変ッ身ッ!」とさけぶやいなや、白いタイトスーツに変身していた。
「じゃいってくる」
近頃では見たことのない凛々しい顔をした夫は、勢いよくトイレの中にとびこみ、いってしまった。
トイレの床にへたりこむ私。
「病気じゃなくて、良かった…」
しばらくして、疲れきった顔の夫がトイレから戻ってきた。そして私にすべてを話してくれた。
夫の話によれば、夫は私と出会う前から、ヒーローとして戦っていたらしい。しかし度重なる戦闘。体にはもちろん、ダメージが蓄積される。夫は特にお尻にダメージが集中し、痔になってしまったのだそうだ。なんとか痔の手術を終え、ヒーローに復帰したものの、五十歳を前に体力が落ち、一度の変身では敵を倒せなくなってきていたそうだ。俺もそろそろ引退かな、とさびしそうにつぶやく夫。
私に秘密にしたまま、二十年以上もヒーローとして頑張っていたなんて。私は夫がとても愛しくなって、思わず抱きしめた。
「まだ四十九歳じゃない。あの白いタイトスーツはちょっと変だけど、あなたすごいわよ。私、感動しちゃった。引退なんて言わないでもうちょっと頑張ってみましょうよ。私にできることなら協力するから」
「おまえ……」
夫が涙声になっているのがわかる。
その時ガチャと、玄関のドアがあく音がした。見ると優が立っている。今日は高校から早く帰ってきたようだ。トイレで抱き合っている私達夫婦を少し驚いた顔でみたものの、「二人で何抱き合ってんの。ていうかお父さん、その服変」
と言っただけで、通りすぎようとする。
するとすかさず夫が立ち上がり、優の腕をつかんだ。
「優、お前に話さなければならないことがあるんだ。一緒にお父さんとトイレに入ってくれ」
いつになく強気な夫に優は圧倒されているようだった。が、すぐ
「無理無理無理。別に話さなくていいから。トイレに二人っきりとか、本当に無理」
と言って夫の腕をふりほどき、自分の部屋へといってしまった。
残された夫は、心底悲しそうな顔のまま、トイレに入ると、カチャンと鍵をかけた。