阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「トイレと文明」白浜釘之
トイレとはなんだろう。
ここ数カ月私の頭を悩ませている問題に、今日も私の頭脳は占拠されていた。
結論はとうに出ている。
「排泄をする場所」。
たしかに、教科書的にはそれでいいのかもしれない。
別に排泄はトイレじゃなくてもいいはずだ……という意見に対しても、それでは不潔だから、という答えが用意されている。
排泄物は他の老廃物に比べ、雑菌や腐敗した物質も多く、病気などの原因にもなりかねない。だからトイレという隔離された場所で排泄を行うのだ、と。
また、人間に特有の感情としての羞恥心からトイレが生じた、という研究もある。
これは文明が進んでくるほど顕著になり、時代が進むにつれ、トイレという空間がよりセキュリティが強化され、密閉性の高いものになっていくことからも明らかだ。
さらに時代が進むと、そのセキュリティの高さと孤立性から、かえって「トイレは落ち着くための場所」や「トイレは思索にふけるのに最適の場所」といった、かつては不浄なイメージのあったトイレに付加価値を認めるような動きも出てくるようになった……。
「またトイレのことを考えていたんだろう」
いきなり話しかけられて、私は驚いて顔をあげる。
「いいかげんにしないか。トイレの専門家でもあるまいに」
きつい口調とは裏腹に、心配そうに私の顔を覗き込んできたのは私と同じ歴史や考古学を研究している同僚の一人であった。
「うん、まあ……」
曖昧に頷く私に、
「そんなことよりも、この間の遺跡の発掘調査の報告書を早くあげないといけないんだろう? トイレについてはその後で許可をもらってじっくり研究すればいいじゃないか」
そう言って同僚は去っていった。
彼の言う通りだ。
文献でしか確認されていなかった戦争の痕跡を残した遺跡が発掘され、我々はその調査を行っていたのだった。
まずはこれを片付けなければ。
私は頭を切り替えた。
我々は広大な宇宙空間を越えて、ようやく我々と同じレベルの文明があると思われる惑星に到着した、いわばエリートなのだ。
残念ながらこの惑星の文明は、我々が到着する前に戦争が原因で滅びてしまったらしい。
その調査の最中だというのに、やはり私はトイレのことが気になっていた。
気が付くと、私はまたこの星のトイレのことを調べていた。
夢中になっていたらしく、同僚が背後にいることにも気が付かなかった。
コンピュータ端末の画面に映し出されたこの星のトイレの画像を見て、同僚はほとほとあきれたように、
「何だって君はそんなにトイレにこだわるんだ。この星に来てからというもの、肝心の研究をおろそかにして、トイレのことばかりに関心を向けているじゃないか」
と私に詰め寄る。
「たしかにそうかも知れない。しかし、君は気にならないのか? この星のトイレという文化について」
「気にならないと言えば嘘になるが、しかし今はこの星が滅亡した原因と思われる戦争について調べるのが先だろう?」
「その原因について、私はこの星の住人たちがトイレを使っていたことじゃないかと思っているんだ」
「何だって?」
「我々を含め、宇宙に進出していくような文明を持った種族は、そもそも排泄などしないだろう? 摂取したエネルギーは、ほぼ全て体内に吸収されるのが当たり前だからね」
「つまり、この星……住人たちは自らの星を「地球」と呼んでいたようだが……の住人たちは、排泄をするような下等な生命体だから滅んだ、というわけなのかい?」
「いや、そうじゃない。どうして彼らの文明はトイレを使わない、という方向じゃなく、トイレを快適に使う、という方向に向かったのかな、と思ってね」
「彼らの文明は摂取したエネルギーを効率よく使う方ではなくて、いかに摂取したものの残滓を気持ちよく捨てるか、という方向に向かった、ともいえるね」
「そう。彼らの文明は自分達の住む星を数十回も破壊できるほどの核兵器を世界各国が保有していたからね。この過剰なエネルギーを気持ちよく捨て去るために最終戦争を起こしたのかもしれないと思ったんだ」
私は同僚に向き直って、結論を告げる。
「つまり、自分達の住む星を丸ごとトイレとしたんじゃないか、ってね」