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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「違和感」立花ゆずほ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第50回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「違和感」立花ゆずほ

「おかしい……」

仕事から帰って、まずホッと出来るはずの

瞬間。便座に腰を下ろした私の目に、今ここにあるはずのない物が飛び込んできた。

記憶が正しければ、今朝は私の方が先に家を出たはずだ。「先に行くよ」と声を掛けて重いカバンを肩に掛け直した記憶がよみがえる。やはり間違いない。

だとすると、これはやはり、今ここにあってはおかしい。あり得ない。

だって、目の前のペーパーホルダーには、未使用のトイレットペーパーがセットされているのだから。ピタッと端のくっついた、誰も使っていないであろうトイレットペーパー。

これは、こんな所にあるはずのない物なのだ。おかしい。

私はそれをじっと見つめる。

彼がトイレットペーパーを取り替えたなんて、信じられない。いつだって、何度注意したって、使い切ったトイレットペーパーの芯をそのままにしているような人なのだ。使っている途中で足りなくなったとしても、芯はそのまま付けっぱなしにして新しいペーパーを床に置いて使うような面倒くさがり。

自分が使うわけでもないのに新品のペーパーに付け替えるなんて、そんな気の利いた事をする人じゃない。

それは、世界中の誰よりも私が一番よく知っている。違和感しかない。

そうだ。違和感だ。

 

今朝も小さい違和感は色々あったのだ。短い髪をやたら丁寧にクシでとかしているなとか、ジャケットのホコリをしきりに気にしているなとか。

ああ。それだけじゃない。

「先に行くよ」と言った私に珍しく「気を付けて」なんて言ったのも思い出した。普段ならぶっきらぼうに「ああ」としか返事しないくせに。空耳かと思って忘れてた。

 

これは十中八九そういう事なのだろう。

青く染まった水が渦を巻いて流れていく。音を立てて吸い込まれていく水を見ながら、私は一人で頷いた。

そうか。そうか。

冷たい水でバシャバシャと手を洗いながら、鏡の中の自分に微笑みかける。目尻にたくさんのシワが出来た、ちょっと疲れた笑顔。私、この頃少し老けたかしら。

 

「ただいま」

ジャラジャラとキーホルダーのぶつかる音をさせながら入ってくる影。

「おかえり」

私は平静を装って優しく振り返った。

 

「風呂入ってくる」

ネクタイを緩めながら私の脇を通り過ぎる彼に、私は声を掛ける。

 

「私に隠し事してない?」

「は?」

彼が眉間にシワを寄せる。

「だから、何か私に言うべき事があるんじゃない?」

「別に何もない」

ため息交じりに言い捨てて風呂へ急ごうとする彼。

問いただしてどうしようという訳でもない。真実を知った所で仕方ないのはわかっている。

でも。

「隠さなくてもいいじゃない」

「だから、何が」

苛立ちを隠そうともしない彼に、私は満面の笑みで続ける。

 

「だから、彼女が出来たなら母ちゃんにちゃんと教えてよね!」

 

肩をピクリとさせて、こちらを睨む息子。

「誰に聞いたんだよ」

ばつが悪そうに呟いてそっぽを向く。

ほら、当たり。

「誰にも聞いてないけど、そんなのわかるわよ。十六年間あんたの母ちゃんやってるんだからね!」

ふふ、と思わず笑い声がこぼれる。

 

「わざわざ言う事じゃねえだろ」

「紹介しろとは言わないけど、ちゃんと大切にしなさいね。それだけは約束して」

「言われなくてもわかってるよ」

面倒くさそうに言った後、耳まで真っ赤にしてボソリと呟いた。

 

「お袋こそ、俺の事より自分の事をもっと大切にしろよ」

 

こんな違和感なら、大歓迎だ。