阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「いつか、ママのように」いとうりん
鏡はうそつきだ。鏡にうつるわたしは、本当のわたしじゃない。だって、パパもママもおばさんたちも、みんなわたしを「かわいい」というけれど、鏡にうつるわたしは、ちっともかわいくない。鏡の中の世界は、うそばっかりだ。
私がそんなふうに思っていたのは、幼稚園までで、小学校に入学すると、さすがに現実を思い知る。私は決して、可愛い方ではなかった。「かわいい」は、子ども全般に当てはまる言葉であり、それは顔ではなく仕草や言動に対するものだと知る。
ママは美人で、パパはハンサム。美男美女のふたりから生まれたのに、なぜか私は全然似ていない。腫れぼったい一重の目も、横に広がった丸い鼻も、何ひとつ似ていない。
「ママは美人なのにね」と陰で言う女子たちや、「おまえ、母ちゃんに全然似てねえな」と直接言ってくる無神経な男子たちに傷つき、その度私は鏡を見ながら泣きそうになる。
そして私は疑い始めた。もしかしたら、私はパパとママの本当の子どもではないのではないか。どこかからもらわれたか、拾われて育ててもらっているのではないか。
「ママ、私は本当にパパとママの子どもなの?」
ついにママに尋ねたのは、小学三年生のときだった。ママは笑いながら言った。
「あなたは正真正銘、パパとママの子どもだよ。足の指を見てごらん。ママとそっくりでしょう」
言われた通り、わたしの足の指は、細くて長くて、ママの足の指とそっくりだった。
「凛々しい眉毛は、パパにそっくりね」
太い眉毛は似たくはなかったけれど、確かにそっくりだ。とりあえずはホッとした。
「ねえママ、それじゃあ、私も大人になったらママみたいな美人になれる?」
「もちろん、なれるわよ」
ママは、わたしの髪を撫でながら言った。
「だけどね、そのためには内面を磨かないとね。たくさん勉強して、いろんなことを学ぶの。人には優しく、他人を羨まない、そして無駄遣いをしないこと」
ママはそう言ってウインクをした。それはきっと、大人が子供を躾けるための魔法みたいな言葉だ。だけど私は信じた。ママのような美人になりたかったから。
それから私は、一生懸命勉強をした。たくさんの知識を身に着けて、成績はいつも一番だった。友達にも優しくした。人が嫌がることも進んでやった。おかげで私の容姿をバカにする子はいなくなって、学級委員や生徒会役員に、いつも推薦された。
言いつけを守って無駄遣いもしなかった。正直、それが美人になることと関係あるのか疑問だったけれど、お年玉は全部貯金した。
高校は、地元一の進学校に進み、一流の大学に入り、そしてこの春、誰もが羨む一流企業に就職をした。
ママの言いつけを守りながら、私は毎朝毎朝、鏡を見た。「今日はきれいになっているかな? 突然目が二重になっていないかな? 鼻がすらりと細くなっていないかな?」と。
だけど鏡に映っているのは、いつものさえない私だった。どんなに内面を磨いたって、ちっとも変わらない。メイクをするようになって少しはマシになったけれど、ママのような美人には程遠い。
研修を終えて希望の部署に配属された。新入社員の中では仕事が出来る方だけど、課長のお気に入りは可愛い女子社員だ。男性社員の接し方にも差があるような気がする。仕事を頼むときの態度が、あの子と私とでは微妙に違う。人を羨んではいけないと言い聞かせても、ため息ばかりの毎日だ。
入社して初めて行われた同期の飲み会に、私は誘われなかった。誘われたのは可愛い女の子ばかりで、私は当然のようにその中には入れない。胸の中の何かが爆発したように、私はママに泣きついた。
「ママの嘘つき。言いつけを守っても、ちっとも美人にならないわ」
ママは、子どもの頃のように私の髪を優しく撫でた。
「言いつけを守ったから、いい会社に入れたでしょう? お給料もいいしボーナスもちゃんと出る。貯金もすぐに貯まるわ」
「お金ばかり貯まってもしょうがないよ」
「あなたの貯金が百万円になったら、いいお医者さまを紹介してあげるわ」
「お医者さま?」
「いい、一度にやっちゃだめよ。少しずつ、少しずつ直していくの」
「……ママ?」
完璧に整った顔で、ママが微笑んだ。一瞬ママの顔が、百万円に見えた。