阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「リトルユニバース」嫌我ナメクジ
そろそろだな。黒板左斜め上に設置されている時計の長針に目配せした。十二時十三分。残り二分か。ここでヘマをやらかしたら先公の空気を読まない説教会が始まってしまう。まだ授業は終わってないだの、よそ見をするなだの、先生に失礼だのとうだうだぐだぐださっさと帰れと言いたくなるような長ったらしいやつが。だから俺はさりげなく時間を確認したのだ。だいたいそんなもんだ。
この学校、冷暖房完備じゃなかったのか。確か説明会ではそんな情報を耳にしたことを覚えている。しかしながらその冷暖房を宝の持ち腐れにして、ばかでかい扇風機なんか回していやがる。俺たちがへばっているのは、暑さと、さっきからお経を唱えている国語のじぃさんのせいだとしか考えられない。
『……はい。では、ここまでにしましょう。日直、号令。』
きりぃつ、れーい、ありがとうごじゃいましたぁー。クラス全員が一斉に声を上げるとこんな具合に聞き取れる。給食だからって、浮き足立ちやがって。ふざけるのもたいがいにしないと、めんどくせぇんだっつうのに。
さておき。今日のメニューは何だったかな。掲示板の献立表を目指して歩を進めようとし、Uターンして歯ブラシとコップの準備を始める。こういうのはあとに取っておいた方がいいよな。サプライズじみていてワクワクするじゃないか。表情に考えを浮かべていない辺り、俺はこいつらとは違う。間違いない。
ざわめく生徒の波。ゆらめくおかずの匂い。列に並んで順番を待つ。前の様子が気になるけれど、そわそわしてるとお子様だのなんだのとからかわれて非常に気分が悪くなるので我慢する。
ええと。今日のメニューは。鶏のから揚げ、ほうれん草のおひたし、スクランブルエッグ、ワンタンスープ、ご飯に牛乳、か。なかなか豪華じゃないか。いや、どの辺りが豪華なのかと問われると困る。単に好みの問題でしかない。
おあずけをくらった犬のように席に座って『いただきます』に焦がれた。いい子にしてたんだから早く食わせてくれよ、頼む。
『残さずおいしくいただきましょう、いただきます。』
「いただきます!」
始めにご飯の入った四角い入れ物のフタを開ける。俺はおかずと一緒に米を食いたい派なんだ。
「なんだと!」
え、なになにどうしたのとグループの女子が首を振る。しまった。
『虫でも入ってたー?』
「いや……、なんでもなかった。見間違いだった。」
人騒がせなやつだなー、しょうがねぇよ、ほら夏だから、とか言われたものの誤魔化せた。危ない危ない。俺はただ、白米だと思い込んでいたご飯がワカメご飯だったことに感嘆の声を上げてしまっただけなんだ。だが…、給食センターのおばちゃん、ありがとう。
小皿やらお椀やらが盆の上に並ぶ。俺はおもむろに位置を入れ替えた。ワカメご飯がユーラシア大陸。牛乳がオセアニア。ワンタンスープがアフリカ大陸。おひたしが北極。スクランブルエッグと鶏から揚げが乗った小皿が北・南アメリカ大陸。どうだ。
世界地図の出来上がりだ。俺は箸一本で世界を巡っている。世界一周どころの騒ぎじゃない。こんな贅沢はどこぞの大富豪でも成し得ないだろう。妙に鼻が高くなる。
今はロシアにいる。そろそろヨーロッパに向かいそうだ。それからアメリカにひとっ飛び。新鮮卵のワシントン。肉汁したたるリオのカーニバル。サンゴの海で一息ついたら、火傷をしそうなサハラ砂漠へ。転々と各国の味を堪能した。
完食ののどごしを流し込んだら、箸を揃えて置く。この盆は、まるで地球だ。クラス全員、四十名。四十もの星を従える、我がクラスは小さな銀河。学校単位なら宇宙にもなろう。そう思えば、実にちっぽけなものだ。俺は毎日のように銀河をかき混ぜ、宇宙の端から端までを縦横無尽に駆け回っている。
両手でつかみきれる重さの地球。俺はこの手で、地球を征服した。安心して構わない、少なくとも平和そのものだ。
待てよ。となれば、この宇宙を牛耳っているのはもしかすると先公どもってことになるじゃないか。まぬけ面をかましていたあの国語のじぃさんも然りだ。俺は急に恐ろしくなった。背筋がスーッと伸びて、冷や汗が伝う。俺たちは、なんて怖いもの知らずだったんだ。
片づけが済めば昼休みの鐘が鳴る。俺は担任の先生に、せめてもの詫びを入れにいった。
「先生…、あの。俺、先生に迷惑かけたり、しないように努めます。授業もちゃんと聞くし、宿題も忘れません。」
『……どうしたの? 急に。』