文章表現トレーニングジム 佳作「鈍ってないかも」中川洋子
第16回 文章表現トレーニングジム 佳作「鈍ってないかも」中川洋子
夜来の雨が上がり、出窓の網戸を通して、草の匂いが、ふわっと流れこんできた。
自然の風や湿気は、肌にやさしく馴染む。
三年前に別れた聡から、突然の電話を受けたのは、遅い朝食を終え、食後のコーヒーの香りを楽しみながら、ゆっくり飲んでいる時だった。
「もしもし、俺。来週の土曜日に、下賀茂温泉に行くんだけど、会おうよ」
「変りはないか?」とか、「そっちの暮しはどうか」などと言う問いかけは一切なく、「それじゃあ又連絡するから」と言って電話をきってしまった。
身勝手だが、どこか憎めない聡との暮しにピリオドを打ち、南伊豆の山間でひとりで生きてきた。
今の生活に自負もある。しかしながら、久しぶりに聴いた聡の声に、忘れていた甘やかな心の揺らぎを覚えた。
「いくつになっても駄目だ。恋の感覚なんて、とっくに心の中から消えていたのに」
(恋音痴)そんな言葉が、浮んで消えた。
強いて自分に課してきたわけではないが、一人になってから、恋愛に憶病になり鈍くなった。
しかし水面に小石を投げて、波紋が広がるように、心にさざ波が立つこともある。
そんな自分を愛しく思う自分がいる。