阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作 「星空に歌う」アカツキサトシ
空が青から濃紺に変わり始めた駅前で、昴はギターを弾きながら歌い始めた。
これで、終わりだ。
疲れきった人の群れは、昴の歌声に耳を傾けることなく足早に通り過ぎていく。
一心不乱に歌いきり、閉じていた目を開くと、そこに懐かしい顔があった。
「よお、久しぶり」
「康介」
いつぶりか分からないが、昴は笑った。
十五年前の春まだ浅い月曜日、「おはよう」も言わず、康介は教室に入ってきた。
音を立ててイスを引き、二列隣の斜め後ろの席で机に突っ伏した康介を見やり、昴はため息をつき、席を立った。
「やっぱり、ダメだったのか?」
康介の前の席に座り、昴は聞いた。
「うるせえ」
顔も上げずに康介は答えた。
「だから言ったじゃねえか」
「お前に何がわかるんだ」
貴重な土曜の午後に、買い物に付き合ってやったのに、なんなんだと思いつつ、「高嶺の花過ぎたんだよ」と昴は康介の肩を叩いた。
「お前はいいよ。ギターが弾けて、歌も上手くて心に響く。顔はまあまあだが」
お前はスターだ、輝く星だ。俺はフツーで凡人だ。康介は突っ伏したまま呟いた。
康介が惚れたのは、金持ちの高慢ちきな美人のお嬢様だった。そのお嬢様の誕生日が昨日の日曜で、康介はなけなしの小遣いでブレスレットを買い、神風アタックを試みたのだ。
ようやく顔を上げた康介は、ラッピングされた小さな箱を、ポケットから取り出した。
「受け取られさえもしなかった」
「マジかよ」
「その上、無理難題を言われた」
「一応、聞いておこうか?」
「わたしと付き合いたいなら、星くらいプレゼントしてよ。だってさ」
「くだらねえ。かぐや姫か、あいつは」とは言ってみたが、そのお嬢様も知っている昴は、康介にきっぱりあきらめさせる為に言った、あいつなりの優しさでもあるなとも思った。
「あきらめねえぞ」
「は?」
そうだった。康介の性格も、昴はよく知っていた。こいつは、馬鹿だった。まっすぐで一本気のある、憎めない馬鹿だ。
「宇宙飛行士にでもなる気かよ?」
「わかんねえ。けど、あきらめねえ」
そう言った康介は、高校卒業後、宇宙飛行士を目指すことなく、何故か料理の専門学校へ、昴は私立の大学へと進学した。
大学に入り、ろくに授業も出ず、ギターと歌だけで昴の時間は無駄に流れていった。
そんな時間が三年ほど過ぎ、高校時代の友人たちとの飲み会で、康介がフランスへと渡った話を聞き、その康介の想い人だったお嬢様のお父上の事業が、実は数年前から危うくなってきているという噂を耳にした。
そんな話を聞いたからといって、昴の生活は変わることはなく、むしろ貪る怠惰は増えていく一方だった。
そして、三年生を二回やったあと、昴は大学を辞め、弾き語りの歌い手を目指し、うだつのあがらない生活を続けていたら、あっという間に三十歳になっていた。
「まだ歌ってたんだな」
康介の顔には、精悍さが漂っていた。
「ああ、まだふらふらしてるよ」
昴は自嘲気味に笑った。
「お前はさ……」
康介が言いかけた時、もうひとつ、懐かしい顔が現れた。その女性の手首には、見覚えのあるブレスレットが揺れていた。
「星をさ、プレゼントしたんだ」
康介は照れくさそうに笑った。
聞けばお嬢様のお父上のレストランを、フランス帰りの康介が立て直し、なんちゃらの一つ星までゲットしたのだそうだ。
「康介、お前は凄いよ」
康介はおもむろに、昴の両肩をつかんだ。
「昴、お前は今でも俺のスターだ」
「やめろよ、恥ずかしいやつだな」
康介の真剣な眼差しを、昴は照れ隠しの苦笑いで受け止めた。
「昴、歌うの止めるなよ。歌い続けろよ。絶対だぞ」
人混みで姿が見えなくなるまで、康介は何度も振り返りながら昴に言い続けた。
「しゃーねえな」
星が瞬き始めた夜空を見上げ、昴は静かに歌い始めた。