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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「木崎川男」よいどれ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第36回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「木崎川男」よいどれ

とりあえずビールを飲んだ。二杯目のビールを飲み込むと、次はハイボール。そして、その後は芋焼酎の水割りをゆっくりとしたペースで三杯飲んだ。俺は飲んだくれだ。どうしようもない。

バーカウンターには俺しかいない。後ろにはいくつかのテーブルがあって、そこにはカップルや友達同士で飲みに来ている男女が何組かいた。くそやろう。一人にしてくれ。俺は視線をカウンターの向こうに向けた。

頭の禿げ上がったマスターは妙に落ち着いた様子で酒を作っていた。俺と一瞬視線が合う。だけど、やつはすぐに視線を酒に戻した。そりゃそうだ。俺は妙に納得した。誰も俺のことなんか見たいと思わないさ。その通り。

酔いが回って、体がふわふわとしてくる。心地よくなんかない。ただ、アルコールというやつは思考させないという点では、人類の発明史上でこれ以上ないほど素晴らしい者だと俺は思っている。だから、流し込む。過去というやつはどこまでも追ってくる。

マスターとも目を合わせたくなかったし、後ろの客の声に意識を向けることも嫌だった。だから、俺は天井窓を見上げた。この店の天井はガラス張りになっていて、空が見える。今は夜だから、夜空が見える。星が瞬いていた。

くそ。どこまでも正しい奴らしかいない。仕事終わりにこうやって一人でアルコールにひたることの何が悪い。俺はお前たちのように友達はいないし、大切な人だって失った。誰も俺に関心など示さない。そして、何より問題なのは、俺自身が誰に対しても関心を抱いていないということだ。

だめだ。だめだめ。こんなことじゃ、あいつに申し訳が立たない。俺はすでにあいつの過去なんだ。あいつがどれほど歩み寄ってくれたか、それを考えるとここにいることが申し訳なくなってくる。俺はあいつの過去としてきちんと生きなけりゃいけない。それはわかってる。

天井窓の向こうではちらちらと光りながら、東から西へと星が移動した。その中に一際輝く星があった。あいつだ。俺は思った。もし俺に何かを願う権利があるとすれば、それはあいつの幸福だ。俺のような人間に出会い、数年間を棒に振った。女の若い時期を無駄に過ごさせたわけだ。最後まで俺を愛した。俺はいっさい愛せなかったのにも関わらず。そんなことを考えていると涙が出てきた。ちくしょう。俺には泣く権利なんかないのに。

星の光が強くなってような気がした。目を傷めてしまうほどの光だ。目をそらしそうになる。でも、俺はけっしてそれから目をそらさない。

「ありがとよ。こんな俺を愛してくれて。俺はお前が愛してくれていることをわかってた。お前は俺にとってかけがえのない人だったよ。でも、俺がお前を捨てたんだ。なぁ、どうしてなの?お前はよくそう言ったよな。そのたんびに俺はだんまりを決め込んで、お前を泣かせた。でも、なぜだ?そんな人間をお前はどうやって愛せたんだ?それが俺にはわからない。俺には人を好きになったことがないけど、お前ほど尊敬できる人間にはであったことがない。だって、お前はちょっとバカなところがあったけど、ほとんどの部分で正しかった。人間とはこうあるべきなのだと俺に教えてくれた。だけど、俺はそれを無駄にしちまった。ちくしょう。」

俺はナプキンに書き込んだ。しばらくそれを見つめていたけど、すぐに丸めて焼酎の入っているグラスの中に突っ込んだ。ナプキンは水を吸い取った。俺はそのグラスをじっと見つめていた。神に染み込んだインクが水の中に溶け出し、透明の液体が少しだけ黒く染まった。俺の言葉は流れ出し、閉じ込められた。どこにも届くことはなく、俺がここを出ていけば、マスターがゴミと一緒に捨てるさ。俺の言葉なんてゴミほどの価値もない。だってそうだろう?ゴミは物によってはリサイクルができるんだから。俺のはそれもできない。クソみたいな代物さ。

こんなこと考えてどうする。俺は頭を振った。本当にブルンブルンと振った。後ろのカップルが変質者を見るような目を俺に向けた。でも、俺にはそんなことどうでもよかった。

あいつが幸せに暮らしている姿を想像する。俺はそれを本気で臨んでいる。なのに、どうしようもなく悲しい気持ちになった。