阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作 「舞い落ちるその花は」灰原麻衣子
光あふれるその場所は一面の花畑が広がっていて、色とりどりの花が咲き乱れて世界を覆い尽くしている。自分の足で踏みしめる度にふわりと足下から花が舞い、甘い香りが鼻腔をくすぐる。私は嬉しくなって夢中で歩く。軽やかな足取りは止まらない。私は嬉しい気持ちを押さえきれずに、最近覚えたばかりのワルツのステップを踏む。ひとりだけというのは寂しいけれど、本を読んで覚えるだけの日々に比べたら格段に楽しい。あぁ、なんと幸せなのだろう。この世界が私を祝福している。この世界が私を受け入れている。踊る私を見つめている。この世界の為に私は踊っているのだ、と思うと初めて踊っているというのに、まるで私は請われて踊っているのだと勘違いをしてしまう。華麗にターンを決めると一際花が舞う。それは拍手喝采の様で、それはそれは上機嫌に私は踊る。
いつしか、私は下手な歌を口ずさむ。誰にも披露したことのない歌。大きく息を吸い込めば甘くかぐわしい香りで胸はいっぱいになって、私は満面の笑みを浮かべる。
楽しくって楽しくって仕方がない。くるくると踊る様子はまるで花の精の様で素敵でしょう。私の美しい踊りを是非ごらんになって頂きたいものです、と得意げになる。私の踊りに嫉妬した花がいたずらでもしたのか、私はけつまずいて花畑に倒れ込む。心配をしてくれる花々の声が聞こえてきそうな程に近い距離に、私は少し恥ずかしくなる。
私は、ごろり、と仰向けになった。太陽の見えない白んだ空は、その全体で光を放っている様でとても不思議だった。ぼんやりと見つめていれば、それは一面を覆い尽くす白い花だと気がついた。ぱちり、ぱちり、と何度瞬きをしても変わりはしない。空に白い花が咲いている。空だと思っていた場所は白い花畑だったのだ。
では、私が寝転がっている場所が空だろうか。色とりどりの花畑のあるこの場所。否、こちらも空ではない。空が消えてしまった。なんということだろうか。この世界は花畑で造られているのだ。私は花畑に囚われてしまった。なんとロマンチックなことだろうか、と頬が紅潮し、まさに物語に出てくるお姫様の様だ、と心が踊る。
白い花畑に手を伸ばす。近い様でいて遠く、この手が花に触れることは出来ない。私に翼が生えて飛ぶことが出来れば、あの白い花に触れることも出来ることだろう。そうだ、ここは夢の中なのだ。私の夢の中なのだから、なんとでもならなくてどうするのか。私は起きあがって懸命に飛び跳ねる。何度も飛び跳ねるが、一向に白い花に手が届くことはなくて、ここは夢の中ではなかったのだろうか、と私の心をひどく沈ませる。夢の中なのだから少しくらい思い通りになってくれても良いだろうに、と視線を落として落ち込んでいれば、色とりどりの筈の花が白い花に成り代わっている。これは一体どういうことか、と困惑して足下の花に手を触れる。そして気がついた。白い花に成り代わっている訳ではなかったのだ。頭上に浮かぶ白い花が舞っているのだ。それらが色とりどりの花を白く塗りつぶしていく。次第に白くなる世界。私の頭にも服にも白い花は少しずつ積もってきている。何度払ってもすぐに降り積もる白い花。あぁ、私もこの花々の様に白く塗りつぶされて消えてしまうのだわ。悲しいことの筈なのに、どこか嬉しい気持ちになる。だって、嫌な気持ちも記憶も全てが消えてしまうみたいで気持ちが良いでしょう。
頭上を仰いで倒れれば、もふりと柔らかな感触に背中が包まれる。相変わらず白い花は降り続けている。私はそっと目を閉じた。この体に心に全てに染み込んで、私を消してもらう為に。
いつの間にか、この世界の音は消えてしまっていた。漂っていた甘い香りも消えてしまっていた。きっと白い花が食べてしまったに違いない。私はそう思った。
ふと目を開ければ見慣れた天井が目に入る。明かりの灯された室内は嫌に眩しく感じた。そうだ、私は昼寝をしていたのだ、と思い出した。布団の中でごろりと横を向く。体が重くて仕方なく、私は億劫そうに体を起きあがると、真っ白な手でそっとカーテンの隙間から外を見る。ちらちらと白い花が舞っていた。私はまだ夢を見ているのだろうか、と思った。窓を開ければ、冷たい空気に思わず体が縮こまる。腕を伸ばして白い花に触れると、冷たさが指から伝わって来たと思ったら、途端にすぐ溶けて消えてしまった。
あぁ、またこの季節がやってきたのかと思うと心が踊ると同時に気が重くなる。秋頃になると風花はまだか、と焦がれ、風花が舞えば、早く冬が終われば良いのにと切に願う。風花が舞うその時だけは、その美しさに見とれて寒さを忘れることが出来るというのに。
こほり、と私は小さく咳をした。