阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作 「雪のひとひら」星いちる
二月の病室。
あと少しで春になる時節だ。
佳香は、妹に付き添っていた。
無音の気配に窓に目をやると、暮れ色の空から無数の風花が降りしきっていた。
「寒くない?」
美玖は、姉に目をやってかすかに首をふった。
「明日は、美玖の誕生日なのにね」
点滴につながれた妹がふびんだ。
「パニエのケーキ買ってきてくれるんでしょ」
妹がほほ笑む。
「買ってくるのはいいけど……食べられる? 食欲はあるの?」
「うん、大丈夫」
大丈夫ということばには、心もとなさを佳香はおぼえる。
それは大丈夫でない人間の言うことばだ。
「父さんも母さんも明日は来てくれるから」
佳香は笑顔を作って言う。
「お店は大丈夫なの……いいのに」
「大丈夫、心配しないで」
大丈夫ということばは、自分で言うと自分がはげまされるものなんだなと佳香は思う。
「私、二十六だよ」
「え?」
唐突なことばに佳香はとまどう。
妹は、天井を見つめながらかすかにほほ笑んでいる。
「八歳でも十九歳でもなく、二十六。すごく生きたよ」
噛みしめるように妹は言う。
「なに、言ってるの」
佳香は怒ろうとしたが、妹の表情はどんな感情も通り抜けてしまうように透き通っている。
「二十六なんて、人生これからってときじゃない」
気力をふり起こして、佳香は怒りを込めて言う。
「ごめんね、お姉ちゃん。旦那さんが待ってるのに」
すまなそうに目を合わせる。
「……バカ。悪いと思っているなら、病気を治しなさい」
「ごめんね……」
小さく心を込めて、妹は全身全霊であやまっている。
その短い人生すべてをかけて、あやまっている。
やるせなくなって、佳香はもう一度風花の舞う窓を見た。
雪は、時間のようだ。
とめどなく振りつづける雪は、刻々と移ってゆく時のようだ……。
それは、とどまることを知らない。
止めようがない。
「お姉ちゃん」
窓から妹に目をもどすと、妹はやはり透き通った表情をしてうっすらとほほ笑んでいる。
「私、お姉ちゃんがいてくれて本当にうれしかった」
「……バカ」
私だって妹のあんたがいてよかった。本当によかった。
なのに、ひとりで行ってしまうなんてひどいよ。
寂しがりのあんたがひとりで行ってしまうなんて。
そんなの、あんたに耐えられるの?
私に耐えられるの……?
美玖は、目を閉じた。
悲しい思いをこらえてこわい顔をしていた姉は、少し後悔した。
また、窓の外を見る。
風花の降りしきる空は、暮れ色から闇色へと暗くなっていた。
あとどれくらい降るのだろう。
降っていてくれるのだろう。
はかない夜の雪片が、止まないことを佳香は願った。