阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作 「神様のパン」結瀬彩太
高校生の頃、親父からお下がりのデジカメをもらったことが運の尽きだった。面白半分で写真を撮りまくり、一番良さそうなホタルの写真をコンテストに送ったら、あっさりと銀賞と賞金三万円を手に入れてしまった。
俺は自惚れ、将来、写真家になることに決めた。あれから数年、数え切れない賞取りレースに参加したが、二度目の幸運には今だありつけていない。俺は来年、二十二歳を迎える。大学卒業の歳だ。夢のデッドラインが迫っている。なんとか良い写真が取りたい。そんな願いを込めて、俺はバイクのハンドルを握った。目的地は静岡県の本栖湖だ。なぜそこを被写体に選んだのか。大学の学食に忘れらていた歳時記を何気なく開いて見たら、そこに風花の文字を見つけたからだ。
風花と言うのは、冬の良く晴れた日に見える雪を指す言葉らしい。美しい言葉だ。実際、静岡辺りでは、その自然現象を見ることが出来ることをネットで調べて知った。俺はそれを写真に収め人生の逆転打にするつもりだ。
俺の操るバイクは静岡県の富士宮市の市街地を抜け、国道沿いを北上して行く。右手に美しい富士山が見えた。千円札の裏と同じだなと思ったら急に腹が減ってきた。丁度いい具合にお食事喫茶と書かれた看板が目にとまった。店名も風花と縁起が良い。
俺は店の前にバイクを止めた。ログハウス風のお洒落な店だ。その日は、冬にも関わらず暖かい日だった。俺はウッドデッキで足場を固めたオープンテラスの席に座った。頭にバンダナを巻いた女性店員がメニューを持って現れる。俺より少し歳上だろうか。エプロンの良く似合う可愛らしい女性だった。
「いらっしゃいませ、ご旅行ですか?」
「えぇ風花って言う自然現象を見に」
「それだったら名物のシュガートーストのセットがおすすめですよ」
「じゃぁそれを一つ」
「かしこまりました」
店員は笑顔を見せると、奥から七輪を持って帰って来た。そのうえに食パンを乗せ焼き始める。見た目も料理だ。七輪のうえで炙られるだけで食パンが実にうまそうに見えた。店員は両面を焼き、狐色になった食パンを手に取るとバターを塗った。そのまま蜜色の食パンを皿に盛ると、砂糖の乗った茶こしのふちを拳で叩いて見せた。
細かな粉糖がパンのうえに落ち焼き色を隠す。店名の由来、風花の見たて料理になっているのだろう。俺は店員に勧められトーストをかじった。美味い。単純な料理だが口のなかに甘みが広がり文句のつけようがなかった。
「お客さんはあそこの山に神様が住んでいるって聞いたら信じますか?」
店員に言われ苦笑いになる。シュガートーストは美味いが神仏の話は好きではない。
「私、正直、経営に自信がなかったから、お店を作る前に、願掛けにあの山に登ったことがあるんですよね。そうしたら中腹のお堂のところで神様が私に話しかけてきたんです。お前は甘い砂糖の匂いがするって」
店員は七輪のうえで二枚目のトーストを炙りながら続けた。
「それで神様が言うんですよ。山には砂糖がないから、毎年、甘いものを持ってきてくれたら願いを叶えてやろうって。でも私、怖いから神様が見えませんって言ったら、神様。向こうの山に雪が降ったら砂糖を持ってやってこいって、山に雪を降らせて見せたんです。その時に思いついたのが風花名物、シュガートースト。この話、信じます?」
「……面白い話ですね」
「でも嘘じゃないんですよ」
店員が山を指さすと、冬晴れの空のしたにさっと雪が散ったのが見えた。あっ、俺は口惜しく鞄を漁るがカメラを取り出すことが出来なかった。バンダナの店員は言った。
「あそこの神様、良くつられ食いをするんですよね。これお願いされてくれませんか?」
俺は店員がアルミホイルに包んだシュガートーストを持って、雨ヶ岳と言う山のお堂を目指すことになった。
参道は直ぐに見つかった。バイクを降りひたすら山道を歩く。かなりの陽気に風流を感じることは出来なかった。一時間ほどあるくと、寂れたお堂の前についた。
本当にこの山に神様が住んでいるんだろうか。狸の餌になるぐらいなら俺が食ったほうがましだと思いながら、シュガートーストを賽銭箱の前にお供えした。
一応、お堂に手を合わせ、いわるわけのない神様を拝んでみる。
「神様、写真家になる夢を叶えて下さい」
どこからともなく冷たい風が吹いた。首をすくめると青空に雪がちらついた。また写真を撮り損ねてしまった。それにも関わらずトーストだけがどこかに消えていた。
俺は振り返り神様を探した。だがそこには雄大にそびえる富士の山しか見えなかった。