阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作 「帰り道」米田玲
十二月の赤城山は、粉砂糖をうっすらまぶしたように雪をいただいている。高校からの帰り道にはいつも、目の前に広がる山並みを見上げながら歩くのが好きだ。けれど、今日は視線を上げる気持ちになれなくて、さっきから隣を歩く有美のローファーのつま先と地面ばかりを見ている。
不意に、山の方から風がかたまりになって吹きおろしてきた。後を追うように、白い粒子がきらきらと舞う。思わず顔を上げ、その動きに見入った。
「うっ、寒い。からっ風が生足に沁みるね……紗代ちゃん?」
制服のスカートを押さえながら歩いていた有美が、立ち止まった私を不思議そうに振り返る。そして、高く澄み切った群青色の空を流れてゆく粒子に気付き、顔を輝かせた。
「うわあ、きれい!何だろうね、これ」
「山に積もった雪が、風に吹かれてここまで飛んでくることがあるんだよ。こういうの、何ていったかな……」
思い出そうとする私に構わず、有美はうっとりと空を見上げている。
「不思議な感じ。何だか、スノードームの底にいるみたい。それともマリンスノー?ううん、風に乗ってるから桜吹雪かな?」
「さっきから『雪に似た何か』の例えばかり。これは本物の雪なんだってば」
おかしくなってそう言うと、有美は首をかしげながら答えた。
「だって、本物の雪っていう感じがしないんだもの。空はこんなに晴れてるし」
中学まで東京にいた有美には、山に特有の気象現象は、あまり馴染みがないのかもしれない。
けれど、今日の私には、有美の言うことにも一理あると思えた。
「確かに、私もこれが雪以外の何かに見える時があるよ」
「でしょ!ちなみに、紗代ちゃんには何に見えるの?」
「……消しゴムのカス」
「何それ。情緒がないなあ」
頬をキュッと上げて屈託なく笑う有美は、美人ではないけれど、とても可愛い。曖昧に笑い返しながら、私は関森君のことを思い出した。彼の前で咄嗟に取り繕ってみせた私の笑顔は多分、有美のそれのように可愛くはなかっただろう。
今日の放課後、私はクラスメイトの関森君を呼び出し、想いを告げた。充分に心の準備をして臨んだはずだった。けれど、困惑したように立ち尽くし、懸命に言葉を探している彼を見ているうちに、いたたまれなくなって、その場を逃げ出してきてしまったのだ。
「伝えたかっただけだから、気にしないで」というようなことを言い、笑ってごまかして。
教室で待っていてくれた有美を見た時、ホッとすると同時に、胸が鈍く痛んだ。私は有美に、今日の告白のことはおろか、関森君を好きだということすら、いまだに言えずにいたから。その理由は、深く考えたくなかった。
有美と別れた後も、雪片はまだちらほらと舞っていた。こんな風に降る雪が風花と呼ばれることを、私は思い出していた。有美が桜吹雪に例えたのは、あながち的はずれではなかったのだ。
けれど、この花びらはどこにも残らない。晴れた空に現れ、地面に積もることもなく消えていく風花は、明日になれば本当に存在していたのかも曖昧になってしまう幻のようなものだ。
私が関森君に伝えた言葉も、明日になれば跡形もなく消えてしまえば良いのに。いや、出来ることなら消しゴムでゴシゴシと、今すぐに消し去ってしまいたい……。
そう思った時、カバンからスマホの着信音が聞こえた。発信者の名前を見て、逃げ出したくなるのをこらえ、スマホを耳に当てる。
「……もしもし」
「もしもし、稲田?関森、だけど」
口ごもりながらも懸命に発せられているような電話越しの声に、「うん」とだけ答えた。
「さっきは、ありがとう」
「うん」
「それで俺……その、今は好きな人がいて、だから稲田の気持ちには、こたえられない」
「うん」
「でも、本当に嬉しかった」
「……うん」
風が吹いて、また風花が舞った。まつげに絡んで、視界が白くぼやける。
関森君の姿が浮かんだ。彼がいつも優しい眼差しで見つめているのは、有美だった。いつも、いつもそうだった。本当は、とっくに気がついていた。
まつげが冷たい。風花は幻などではない、確かにここに存在しているんだと思った。
まつげの風花が涙で溶けた。