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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「片道きっぷ」あべせつ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第32回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「片道きっぷ」あべせつ

蟹のシーズンには、まだ間があるせいか特急こうのとりのグリーン車はガラガラだった。後部側のドアから乗り込むと、始発駅から乗っているはずの佐野の姿を目で探す。

しかしどうしたことか、それらしい姿は見当たらず、後列の中年の夫婦と最前列の老人の白髪頭が見えただけだった。

「この列車に間違いないよな?」

不安になり、きっぷに印字された文字を確認してみる。

「おおい、久保君。こっちだ」

見れば、最前列の白髪頭がこちらを向いて手招きをしている。

――ええっ、あれが佐野? まだ四十路前なのに、この老けようはどうしたことだろうか?

半信半疑のまま、その男の座るボックス席に行くと、向かいの席に腰をおろした。

「やあ、久保君、来てくれたんだね。うれしいよ」

挨拶もせず無言で睨み付けている俺に、戸惑ったようにしながらも、佐野は話し続けた。

「七年経つのに、君は変わらないな。元気そうでよかった」

――何が元気なものか。お前のせいで、こっちは散々だったんだ。

腹の中で毒づきながらも、俺は先日来の疑問を奴に問いただした。

「で、今日は俺に何の用があるんだ? わざわざ、こんな手の込んだ呼び出し方をしてまで幸せ自慢をしたいのか?」

「まさか、ちがうよ。つい先日、君のうわさを聞いたから、心配になってな。連絡を取ろうにも、携帯番号もメアドも変わってるし、手紙を出しても宛先不明で戻ってくるし」

「それで実家にきっぷを送ってきたっていうわけか。俺がいまだに独身で、仕事も転々とした揚げ句にプータロウをしてると聞いて、多少は良心の呵責を感じてるってわけかよ」

「君には申し訳のないことをしたと思ってる。でも信じてくれ。君と久美が付き合ってたなんて、俺はちっとも知らなかったんだ」

「俺も、お前があの娘と結婚するほどの仲だとは知らなかったよ。あの女、『会社の人にバレたら恥ずかしいから交際はナイショにしてね』なんて言っておきながら、実は二股かけてやがったとはな」

「二股じゃない。三股だよ。それにもう妻じゃない。去年、別れたんだ」

「えっ、なんだって?」

「久美は、ひどい女だったんだよ。とにかく贅沢三昧をするばかりで、家事の一つもしやしない。それでも惚れた弱味で我慢してたんだが、ある時、複数のカード会社から請求書が送られてきてな。総額にして五百万円」

「ご、五百万!」

「さすがの俺も怒ったよ。これは何だと怒鳴り付けたら、奴さん、なんて答えたと思う? 贅沢させてくれると思ったから、あんたみたいな冴えない男とでも結婚してやったんだ。有りがたく思えとさ。ブランド品だけならいざ知らず、ホストにも入れあげていたらしい」

「こんな金、払えるかと突っぱねてやったんだろうな?」

「ああ、もちろんさ。そしたら今度はお定まりのDVときたもんだ」

「それは、ひどいな」

俺は、佐野への怒りも忘れて身を乗り出していた。

「結局、別れてもらうために、家を売り払って、借金返してやった上に、身ぐるみ矧がされたってわけだ」

「あの新築の家をか。で、三股ってのは?」

「久美が再婚した相手、誰だと思う? 松木課長だよ」

「ああ、あの人事課のエロ親父か」

「古女房を放り出して、久美を後妻に入れてさ。そしたら、いきなり俺がリストラされたんだ。こう、すんなり事が運ぶところを見ると、久美は部長の愛人だったんじゃないかと思い当たったんだ」

「そうか、じゃあ、お前もプータロウなのか」

「その上、宿無しだよ。そこでな、叔父の旅館を手伝おうと思ってるんだ」

「ああ、昔、よく泊めてもらった、あの叔父さんの旅館かあ」

「うん、夫婦ともに体にガタがきてるらしい。是非とも跡を継いでくれとも言われてね」

「それで、城崎温泉行きなのか」

「どうだい、久保君。君も一緒に俺とやってくれないだろうか?」

「えっ、俺も? いいのか?」

本来なら俺が被るはずの厄災を肩代わりしてくれた。そう思うと佐野への恨みは瞬く間に消え去り、むしろ感謝の念さえ湧いていた。

――そうか、だから片道分のきっぷだけを送ってきたのか。

緑色のきっぷが、なぜか金色に輝いて見えた。

どうやら俺は、明日への切符も手に入れたようだ。