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佳作「隣室の霊 白浜釘之」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第21回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「隣室の霊 白浜釘之」

二階建て築三十年のアパートは、家賃が安いのが魅力だったが、壁が薄いせいか隣の物音が結構聞こえてしまうのが難点だった。

特に右隣の学生は、夕方から夜にかけて毎日大音量で音楽をかけて大声で歌う癖があり、これには閉口した。

何度か注意しようかとも思ったのだが、わざわざ行くのも面倒なので我慢していた。

それにこちらも苦学生で夜勤のバイトなどもしており、夜中に帰ってきてシャワーを浴びたりすることもあるので、騒音に関してはお互い様の部分もある。

その日はバイトもなく、講義も早めに終わったので、久し振りにのんびりしようと早めに帰ってきたこともあり、いつもは聞こえない左隣の部屋から生活音が聞こえてきた。

台所からは若い母親の鼻歌とトントンとリズミカルなまな板の立てる音、居間からはかすかにアニメ番組の主題歌が流れていて、小さな子供の声も聞こえる。

どうやらこちら側は幼い子供のいる夫婦が住んでいるらしい。

今までは左隣の騒音にかき消されてこちら側の騒音は全く聞こえなかったので、人が住んでいるとも思わなかったが、ちゃんと人がいることに安心した。

しばらくすると、いつものように左隣から音楽が聞こえてきた。その騒音に右隣の家族の声はかき消されてしまう。

しかし、楽しげな親子の会話は、聞いているこちらまでいい気分にさせた。

こうして何日かが過ぎ、右隣の幸せそうな生活音を聞いているうちに、左隣の大声の歌が気に障るようになってきた。

小さな子供もいるのに右隣の家族はよくこの騒音に耐えられるものだ。小さな子供もいるのであまり関わりあいたくないのかもしれない。ここは一つ文句を言ってやらねば。

大声で歌っている隣の学生の部屋の扉を乱暴にノックする。

「……あ、すいません。やっぱりうるさかったですか」

扉の影から現れたのは、青白い顔をした気の弱そうな若い男だった。

「あ、僕はいいんですけど、ほら隣の子供がせっかくテレビ見てるのに、ちょっと……」

勢い込んできたものの、思ったよりも低姿勢で来られたのでこちらもあまり強いことは言えずに小声で注意する。

すると、隣の男は途端に顔色を変えた。

「……もしかして、左隣の部屋から子供の声が聞こえたんですか?」

「ええ、楽しそうにテレビを見てるような」

何気なく答えると、

「そうですか。とうとうあなたも聞いてしまったんですね……」

そう言って、男は左隣の部屋で起こった無理心中事件のことを話し始めた。

夫の浮気に悩んだ若い母親が、子供の目の前で夫を殺し、その後子供に刃を向け、最後に自分で命を絶つという凄惨な事件だった。

その後、その事件のあった部屋からは、決してその家族が得ることのできなかった団欒の声が誰もいないのに聞こえてくるという。

「実は、僕も何度も聞いてしまって、それから怖くなって夕食時から夜にかけて大音量で音楽を聞くようにしていたんです」

「どうしてそんな大事なことを隣の僕に教えてくれなかったんですか」

と、なじるように言うと、

「てっきり知っていると思ったんです。こんな街中でこれだけ安い家賃で借りられるところなんて、自殺や殺人事件のあった部屋かその周辺に決まってるじゃないですか」

そう言って、隣の男は身震いをして扉を閉じてしまった。

翌日、講義をさぼってこの物件を斡旋してくれた不動産屋に文句を言いに行くと、

「すいません。隠していたわけではないんですが、隣の部屋のことなのでそんなに気にしないかと思いまして……でも、自殺した人の霊が出るとなると……」

「自殺? 無理心中があったんじゃないんですか?」

不動産屋の言葉に驚いて聞き返すと、

「ええ、受験に失敗したうえに懇意にしていた隣の若夫婦も転勤で引っ越してしまった後、あの部屋にいた学生は妄想を抱くようになって、『隣から事件で死んだ家族の声が聞こえる』とか言い出し、最後にはとうとう首を吊って……でも、おかしいな。あなたの部屋の右隣のご夫婦やお子さんは特に何か聞こえるとかは言っていませんでしたが……」

すると、昨日話した隣のあの男こそがつまり、その自殺した学生だったということか。

不動産屋を後にし、アパートに帰って右隣の部屋を見てみる。今までに気にしたこともなかったが、昨日たしかに開けたはずの右隣りの部屋の扉には、古びたお札がまるで扉を封印するかのようにしっかりと貼られていた。