選外佳作「恩恵 中西和広」
暴言を吐かれたり、中には、塩をまかれたこともある。たいていの人は、「宗教」と聞いただけで、お断りになる。私は、布教活動として、雨の日も、雪の日も、歩いて、人々に神様の存在を信じてもらえるように一軒一軒回って、ご案内している。たいていは担当地区が決まりそこをまわり、勧誘する。私たちの班は終わろうとしていた。残すところ一軒である。
翌日、班長である私が行くことになった。細い路地の奥の家だ。体を横にすると、通れる。真正面から歩いていくと、ダウンが切れてしまうだろう。やっと長い通路を超えた時、狭い入口を構えた二階建ての家の前に出た。ここだけは、上から日が差し、明るく、地面に生えている苔がきれいな緑色を放っていた。古い日本家屋で、引き戸の前に張り紙がある。
警告 訪問販売、勧誘だと判断をしたときには、家に入ってもらう。
私は、意味が分からなかった。どこの部分が警告なのかがわからないのだ。普通は、家に入ってもらうのを断るのではないだろうか。これは書き間違いだろうか。たいていは、「警察を呼びますよ」とか、「うちは違う信仰です」とか断られるのに。ダウンの中が異常に熱くなっているので、脱いで片手にぶら下げ、ハンドバッグから、パンフレットを一冊取り出した。呼び鈴を鳴らすと、引き戸がしばらくしてあいた。
下駄をはいた男性、年は三十くらいで、長い汚れた髪に伸び放題のひげ、引きこもりのまま暮らしているのだとすれば、チャンスだ。集会に誘って治ることを紹介すれば、いずれは私たちの宗教を信仰してくれるはずだ。
「なんですか」
「宗教の勧誘なので、ここに書いてあるとおり、中でご案内させてください。」少し強引過ぎただろうか。
「あのね、よく読んでよ、私が判断して、これは勧誘だと、ね、そういうこと、あなたが判断することじゃないんだよ」
「あ、いそいですいません」
「で、何の宗教なの?」
「どの宗教でもないです。私どものはいちばん宇宙で古い宗教で、創造主を信仰する活動をしています。」
「引きこもってもうだいぶ経つんだ、何かいい話なの?」
「ええ、ぜひともお話ししたいですわ」
「じゃ、中に入って」
引き戸が閉まった時、私は後悔した。私たちの仲間が置いて行ったに違いないパンフレットが壁一面に糊付けされ、それは天井まで貼り付けられている。
「急用を思い出して、あの本当にごめんなさい、私急いで帰らないと」動悸が激しい。「奥に入ってくれるか。」私の腕を男はつかんで、引きずった。「痛いじゃない、放してよ」「お話ししたいといったじゃないか」
リビングに連れてこられた、そこは白一色に幕が張られ、一体の黒いミイラが祭壇の上に腰かけて安置されている。男は、静かに言った。「私どもの宗教を信仰しますと、ありとあらゆることが叶います。財力、健康、金運、異性関係、結婚、すべて皆様は幸せになって、ここを愛するようになります。新しい兄弟を祝福します。」
快晴であった。まぶしい日光に私は目を細め、「行ってきます」と、二階の窓際に向けて、声を上げる。
「ああ、気を付けてな、そこの通路」二階から覗いて、答えてくれる。
「もっといいとこ引っ越そうよ」
「考えとくよ、信者も君のおかげで増えた、帰りは何時ごろだい」
「夕飯の支度をしなくちゃいけないから、5時には帰れると思うわ」通路を横切るのも慣れた。それもそのはずだ、あれから十年近くたった。私は教祖の妻になった。今、私はとても幸せだ。「ママ、バイバイ」夫に抱かれ、三歳の私たちの子供が手を振って毎日見送ってくれる。私は、今日もまた神様を広める。