選外佳作「ある日神様に恋されて 小口佳月」
俺は神様だ、と一真くんが言った。
「俺は神様だ。お前らにとって、俺は神様だ。俺がいなければお前のママはパパと別れることができなかったし、お前とママがいま食べ物に困らず暮らしていけるのも、全部俺の稼ぐ金のおかげだ。だから杏奈、俺に逆らっちゃいけないよ。神様の言うことは絶対なんだから。俺の言ってること、わかるよね?」
私はアイスのスプーンを舐めながらうなずいた。神様は微笑み、私の頭を撫ぜた。
「アイスだけでいいの? 他に食べたい物があったらなんでも頼みなさい」
神様にそう言われたので、私はファミレスのメニューを広げ、エビグラタンの写真を指さした。本当はお腹なんてすいていなかったけど。神様に言われたのだから、仕方がない。
「杏奈は、今年いくつになる?」
「十二歳です」
神様には敬語を使うべきだと、私は思う。
「いっぱい食べて早く大人になりなさい。俺、杏奈が大人になるの、楽しみにしているから」
はい神様。心の中で呟き、私は運ばれてきたグラタンを、吐き気を押さえて食べ続けた。
「杏奈、今日も一真くんとごはんを食べてきたの?」
仕事で夜遅くアパートに帰ってきたママに聞かれ、私はうなずいた。
「一真くんが子ども好きで本当によかったわ」
神様は、ママの新しい恋人だ。まだ二十代の神様をママはいつも「くん」付けにして呼ぶ。神様のことを話すママはいつも頬を赤く染め、にやにやと口元を歪める。恋愛話をする同級生の女の子を彷彿させ、思わず目を逸らした。
「ねぇ……杏奈は一真くんが新しいパパになるとしたら、どう思う?」
「どうも思わない……一真くんがいいって言ったら、いいんじゃない?」
神様の言う事は絶対だから、逆らうことはできない。ママは嬉しそうに笑っていた。でも私は、たまに神様のことがわからなくなるときがある。神様はたまに、私のことを抱き締める。神様の力は強い。抱き締められると体中の骨が軋み、息がうまく吸えない。
「痛いです」
「ああ、ごめんね。でも、仕方がないんだ。俺は杏奈のことが好きなんだから」
神様はたまにおかしなことを言う。私のことが好きだって? 私はまだ子どもだし、それに神様は、ママの恋人ではないか。
「君のママのことは、本当は好きじゃないんだ。君のママと付き合っているのは……杏奈、君に近づくためだ」
神様は私の頭を撫ぜた。
「このことは、誰にも言っちゃいけないよ。もし言ったら、杏奈もママも、生きていけないようにしてやる」
はい神様。私は神様の言う通りにします。
「杏奈、服を買ってあげるよ。どれがいい?」
どれでもいいです。神様が買ってくれるのなら、どれでも。
「杏奈、今度の日曜日は遊園地に行こう。何に乗りたい? ジェットコースターか? 観覧車か?」
ジェットコースターは怖くて本当は苦手だけど、神様が乗れと言うのであれば、喜んで乗ります。
「杏奈……俺のこと、好き?」
橋の欄干にもたれかかり、空の色を映して漆黒に染まった河を眺めながら、神様がぽつりと言った。河に沿って立てられた外灯が白く発光し、その下でそれぞれ種類の違う蛾たちが、光を貪るようにはためいていた。
「心配しなくていいよ。この辺りは人通りが少ないから……誰も聞いていない」
神様、どうしたんだろう急に。私は上目遣いで神様を見た。
「杏奈は、俺の言うことよく聞いてくれるけど……そこに自分の意思がないみたいだ」
意思、と私は口の中で呟いた。意思も何も。私は神様の言う事は絶対だと思うので、そこに私の意思は必要ないと思うのですが。
「そんなことないよ。もっと自分の意思を持ったほうがいいよ」
神様は私を真正面から見た。
「もっと君はわがままを言っていいんだ。俺は君に、恋してる。君のためだったらなんでもできる。言っただろう、俺は神様だって。杏奈の願い事なんでも聞いてあげられるんだ。何がしたい? 何が望み? なんでも言って。杏奈のわがまま、なんでも聞いてあげる!」
では、と言い、私は神様を河に突き飛ばした。神様は目を丸くして私を見たが、一瞬で闇のような河に吸い込まれていった。
この世には、神様がいる。けど、みんながみんな神様を好きなわけではないのです。
河の流れるゴウゴウという音を聞きながら、私は小躍りをしてママの待っているアパートに向かった。