第17回「小説でもどうぞ」佳作 スィート・ホーム/諸井佳文
第17回結果発表
課 題
家
※応募数253編
「スィート・ホーム」
諸井佳文
諸井佳文
「ただいま」
家に帰ると台所からは美味しそうな肉じゃがの匂いが漂っていた。
「お帰りなさい」
妻はエプロン姿で僕を出迎えてくれた。僕はスーツから部屋着に着替えて居間に向かった。ダイニングテーブルに着く。テーブルの上には料理が並んでいた。
妻のサユリは説明する。
「昨夜のメインがビーフシチューだったので、今夜はあっさりめにしました。今日の献立は肉じゃがと生鮭の塩麹焼きと小松菜の煮浸しです。お味噌汁の具は大根とお豆腐です」
「スタンダードだが、いい献立だ」
肉じゃがを一口食べる。
「美味しい。サユリ、料理の腕があがったね」
「ありがとうございました。今日の献立を作るにあたり、新しく買う必要があったのは、生鮭と小松菜とお豆腐でした。半径一キロ以内のスーパーのチラシをチェックしたところ、生鮭が一番安かったのは、因幡屋でしたので、最初にそこに向かいました。小松菜は一二七円で、少し割高に感じましたので、そこから近所の八百安に向かい八〇円の小松菜を買いました。豆腐はちょうど時間的にスーパーマルビーの値引きの時間だったので、そこに向かい二十%引きで三六円の木綿豆腐を買いました」
「うむ、なかなかいい買い物だ。無駄がない」
僕の以前の妻ならチラシを見て安いところに行くところまでは良かったが、つい必要のないものまで買って、最後には使い切れず腐らせてしまうことが多々あった。それが原因で喧嘩が絶えず、ついには離婚することになった。もう生身の人間には我慢がならなかった。それで汎用人型AIのサユリを買うことにしたのだ。
夜はひとりで眠る。サユリはセクサロイドではない。セックス用のAIを買うつもりはない。そこまで性欲はない。しかし物足りなさは否めない。暖かさが欲しくなる。
次の日の帰り、元妻のマンションに寄った。サユリには仕事の付き合いで外食しなければならないと嘘の連絡をした。元妻のマンションは僕が金を出して購入した。子供の将来を考えてそうしたのだ。
インターフォンに出た元妻は意外に愛想が良かった。快く部屋に入れ、息子の颯太に「ほら、お父さんよ。挨拶しなさい」と声をかけた。颯太は元妻ほど愛想はよくなかったが、僕を見て「こんばんは」と言った。
「ちょっと心配になってここに寄った。最近の颯太の成績表を見せてくれ」
元妻は小さくため息をついて居間の戸棚を引っかき回して一枚の紙を取り出した。相変わらず整理整頓をする気はないらしい。
「去年からよくなっているな。よい傾向だ」
元妻と颯太は意味ありげな笑顔を作った。ふとダイニングテーブルを見ると、三人分の食事が用意されている。豚カツとポテトサラダだった。僕の分のはずはない。その時インターフォンが鳴った。
元妻が申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。今日はお客様が来ることになっているの。帰ってくれない?」
「こんな時間に来るお客様?」
元妻は答えずインターフォンに向かった。
「良樹さん、どうぞ入って。今、前の旦那が来ているけど、すぐ帰るから」
現れたのは小肥りのいかにもオタクのような男だった。
「はじめまして。わたくし麻生良樹と申します。愛子さんとお付き合いさせてもらっています。結婚も考えています」
軽い目眩を覚えた。
「良樹さんは颯太に勉強も教えてくれるの。あなたみたいにやみくもに間違いを指摘せず、どうして間違えたのか、どうすれば正しい答えを導けるのか、丁寧に教えてくれるの。おかげで颯太も勉強が好きになって、成績もどんどんあがったのよ」
僕は適当に挨拶をし、その場を去った。なんだか負けた気がした。サユリに連絡をした。
「会食の予定がお流れになった。いまから帰るが食事の支度は出来るだろうか? 家には三〇分後に着くと思うが……」
サユリは即答した。
「だいじょうぶです。お待ちしております」
僕は元妻と息子の住むマンションの権利関係をどうするか思案しながら帰途についた。家庭には子供が必要だ。オタク男はいまは颯太を可愛がっているのかもしれないが、所詮赤の他人だ。愛子との間に自分の子供が出来れば継子いじめが始まるに決まっている。颯太はこちらに引き取ろう。サユリに理想の母親になるようデータを集めさせよう。僕は理想の家庭を作る。玄関を開ける。美味しそうなカレーライスの匂いがする。
(了)
家に帰ると台所からは美味しそうな肉じゃがの匂いが漂っていた。
「お帰りなさい」
妻はエプロン姿で僕を出迎えてくれた。僕はスーツから部屋着に着替えて居間に向かった。ダイニングテーブルに着く。テーブルの上には料理が並んでいた。
妻のサユリは説明する。
「昨夜のメインがビーフシチューだったので、今夜はあっさりめにしました。今日の献立は肉じゃがと生鮭の塩麹焼きと小松菜の煮浸しです。お味噌汁の具は大根とお豆腐です」
「スタンダードだが、いい献立だ」
肉じゃがを一口食べる。
「美味しい。サユリ、料理の腕があがったね」
「ありがとうございました。今日の献立を作るにあたり、新しく買う必要があったのは、生鮭と小松菜とお豆腐でした。半径一キロ以内のスーパーのチラシをチェックしたところ、生鮭が一番安かったのは、因幡屋でしたので、最初にそこに向かいました。小松菜は一二七円で、少し割高に感じましたので、そこから近所の八百安に向かい八〇円の小松菜を買いました。豆腐はちょうど時間的にスーパーマルビーの値引きの時間だったので、そこに向かい二十%引きで三六円の木綿豆腐を買いました」
「うむ、なかなかいい買い物だ。無駄がない」
僕の以前の妻ならチラシを見て安いところに行くところまでは良かったが、つい必要のないものまで買って、最後には使い切れず腐らせてしまうことが多々あった。それが原因で喧嘩が絶えず、ついには離婚することになった。もう生身の人間には我慢がならなかった。それで汎用人型AIのサユリを買うことにしたのだ。
夜はひとりで眠る。サユリはセクサロイドではない。セックス用のAIを買うつもりはない。そこまで性欲はない。しかし物足りなさは否めない。暖かさが欲しくなる。
次の日の帰り、元妻のマンションに寄った。サユリには仕事の付き合いで外食しなければならないと嘘の連絡をした。元妻のマンションは僕が金を出して購入した。子供の将来を考えてそうしたのだ。
インターフォンに出た元妻は意外に愛想が良かった。快く部屋に入れ、息子の颯太に「ほら、お父さんよ。挨拶しなさい」と声をかけた。颯太は元妻ほど愛想はよくなかったが、僕を見て「こんばんは」と言った。
「ちょっと心配になってここに寄った。最近の颯太の成績表を見せてくれ」
元妻は小さくため息をついて居間の戸棚を引っかき回して一枚の紙を取り出した。相変わらず整理整頓をする気はないらしい。
「去年からよくなっているな。よい傾向だ」
元妻と颯太は意味ありげな笑顔を作った。ふとダイニングテーブルを見ると、三人分の食事が用意されている。豚カツとポテトサラダだった。僕の分のはずはない。その時インターフォンが鳴った。
元妻が申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。今日はお客様が来ることになっているの。帰ってくれない?」
「こんな時間に来るお客様?」
元妻は答えずインターフォンに向かった。
「良樹さん、どうぞ入って。今、前の旦那が来ているけど、すぐ帰るから」
現れたのは小肥りのいかにもオタクのような男だった。
「はじめまして。わたくし麻生良樹と申します。愛子さんとお付き合いさせてもらっています。結婚も考えています」
軽い目眩を覚えた。
「良樹さんは颯太に勉強も教えてくれるの。あなたみたいにやみくもに間違いを指摘せず、どうして間違えたのか、どうすれば正しい答えを導けるのか、丁寧に教えてくれるの。おかげで颯太も勉強が好きになって、成績もどんどんあがったのよ」
僕は適当に挨拶をし、その場を去った。なんだか負けた気がした。サユリに連絡をした。
「会食の予定がお流れになった。いまから帰るが食事の支度は出来るだろうか? 家には三〇分後に着くと思うが……」
サユリは即答した。
「だいじょうぶです。お待ちしております」
僕は元妻と息子の住むマンションの権利関係をどうするか思案しながら帰途についた。家庭には子供が必要だ。オタク男はいまは颯太を可愛がっているのかもしれないが、所詮赤の他人だ。愛子との間に自分の子供が出来れば継子いじめが始まるに決まっている。颯太はこちらに引き取ろう。サユリに理想の母親になるようデータを集めさせよう。僕は理想の家庭を作る。玄関を開ける。美味しそうなカレーライスの匂いがする。
(了)